ありくに・ともみつ 57年生まれ。山口県出身。東京大学大学院でインド哲学を専攻。塾講師などを経て、浄土真宗本願寺派の長久寺住職。著書に『遊雲さん 父さん』がある=山口県周南市、門間新弥撮影
山口県周南(しゅうなん)市の長久寺(ちょうきゅうじ)住職、有国智光さん(51)は2年前、15歳の息子を小児がんで亡くした。3年におよぶ闘病。宗教者として、一人の父親として揺れ動いた心は、やがて平穏を見いだす。静かな山寺で、かつての葛藤(かっとう)と今の思いを尋ねた。
――長男の遊雲(ゆううん)さんの右足首に腫れ物ができたのが2003年秋。小児がんが疑われ、医師に「最悪の場合、あと3年の覚悟を」と告げられたのですね。
いったいどう受け止めたらいいのか、持ち合わせの言葉はありません。でも、不思議にパニックにはならなかった。状況を把握していれば、不必要におびえなくていい。だから「こわいのは転移するからだよね」と、科学的に一つひとつ説明していくことにしました。
「楽しむ」のが上手な子でした。腫れ物には「影丸」と名をつけた。自分の影に向かって「おとなしく収まっていてちょうだい」という響きですよね。きつい抗がん剤での治療中も歯を食いしばるのではなく、ポテッと横になっている。つらさに柔らかく身を寄せ、それと一つになっている。つらさそのものに下から支えてもらっているような、つらささえも楽しんでいるような姿に見えました。つらさを認め、逆らわない。どんなにつらくても直視する。そのこと自体に救いがありました。
――親もつらいですね。
「この子が死んでしまうとはどういうことだろう」との思いで、はらわたがねじきれてしまいそうだったこともあります。そのとき、自分のつらさの実体を見つめようとしました。
だれかを「かわいそう」というとき、自分は高みに立ったまま、安全圏にいる。相手のことを慈しんでいるようで、実は、自分がつらさを見たくない、ということではないでしょうか。私は、我が子を亡くす現実を認めるのが一番つらく、目をそらしていたのです。結局、大切にしていたのは自分自身のことと気づきました。
■宇宙にぽっかりいるような孤独感
――そこからどのように現実を受け入れていったのですか。
「孤独」という言葉を手がかりにしました。社会的な孤独感ではなく、宇宙にぽっかりといるような、むき出しの孤独感のことです。我が子であろうとも代わってあげられない。私もまた、だれにも代わってもらえない唯一の存在。そんな宇宙的な孤独を受け入れていくしかありませんでした。
――「代わってあげたい」という発想とは違いますね。
彼のつらさは彼にしか分からない。だから「遊雲のつらさ」に寄り添うのではないのです。私の中に投げ込まれている私自身のつらさに寄り添うしかない。
つらささえも楽しむ遊雲。じゃあ、父さんも同じことをしよう。子を失う父であることを楽しもう。子に先立たれる父として、のうのうと生きていこう。そう覚悟しました。
遊雲よ、あなたはあなたの生を生きよ。父さんは父さんの生を生きる。そう思いました。やがて体中への転移が見つかります。しかし私には、死にかけているかわいそうな遊雲ではなく、精いっぱい、その時にいのちを輝かせている遊雲として見えてきました。
私は死の瞬間には立ち会っていません。母親に「ありがとう。みんなにもありがとうって言ってね」と告げたそうです。そして「ぼくはもう往(い)きます」と。
■大きな悲しみは慈しみにつながる
――今はどのようなお気持ちですか。
はるか昔のことのような気もするし、今もあの子がいるような感覚でもある。あれから2年、という実感はないですね。
思い出すのは彼の目です。好奇心いっぱいで、話に聴き入るときのキラキラした目。何かいたずらを考えているときのクリクリッとした目。思い出していると、見つめているつもりが、見つめられる。自分がどれだけ成長したか、いろんなことに気づくことができたか。ずっと対話している感じです。
あの子は「大きないのち」へ還(かえ)っていった。「全宇宙」と呼んでもいい。私を包んである一切のものです。遊雲のことも重なって、より親しみを増した「大きないのち」になりました。それがつねに私を見守り、支えてくれている感じなのです。
小さい悲しみはやがて消えていく。深い悲しみは私を育てる。大きな悲しみは慈しみにつながる――。そんなことを考えます。いま、まったく悲しくないと言えば、うそになります。でも私はもう、「小さい悲しみ」を超えた「大きな悲しみ」に触れている。そのように納得しています。(磯村健太郎)