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いのちと死と能と(上)

2006年04月05日

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 ただ・とみお 34年生まれ。東大名誉教授。免疫抑制細胞の発見などで受賞多数。一方で朝鮮人の強制連行などの新作能を発表。障害を得た後も執筆活動を精力的に続ける。

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 たがわ・しゅんえい 47年生まれ。立命館大哲学科卒、42歳で興福寺貫首に。「天平の文化空間の再構築」を掲げ、東大寺大仏殿に比肩する規模の中金堂の再建などを積極的に進める。

 生か死か。安楽死か尊厳死か。複雑な科学と倫理に能楽を通して警鐘を鳴らす免疫学者で能作者の多田富雄さん(72)と、能に関心が深く生命と仏教を模索し続ける奈良・興福寺の多川俊映貫首(59)が電子メールで意見を交わした。多田さんが脳梗塞(こうそく)の後遺症で言葉が不自由なためだ。“電子対談”は1カ月にわたった。(構成=編集委員・小滝ちひろ)

延命は人間を幸せにしますか

 多川 NHK放送文化賞のご受賞(*1)、おめでとうございます。先生の闘病を追ったNHKのドキュメンタリー「脳梗塞(こうそく)からの“再生”」には、「命のあるかぎりを精いっぱい生きる。それが人の道」というメッセージがありました。

 さて、94(平成6)年に初めて事務所にうかがったのは、脳死と心臓移植をテーマにした先生の新作能「無明(むみょう)の井(い)」を興福寺の塔影能(*2)で取り上げたいというお願いのためでした。

 多田 見慣れない僧形でお見えになったのを思い出します。

 多川 先生はその後、様々な問題作を発表してこられました。最近では「原爆忌」と「長崎の聖母」(*3)。テーマは鎮魂と再生ですね。

   □   ■   □

 多田 広島の犠牲者への鎮魂の思いを託すには能しかないと思ったのです。犠牲者の霊が水を求めさまよう姿が再現され、一人残された老女が打つ鉦鼓(しょうこ)が鎮魂歌を添えました。

 長崎には、もうひとつの面があります。カトリックの信仰、そこにある復活と再生への祈りです。「長崎の聖母」は、悲惨さの中に再生の希望を描きたかった。浦上天主堂(長崎市)での初演はグレゴリオ聖歌が響き、爆心地に現れた聖母マリアが魂の救いと復活の祈りを「早舞(*4)」に託し、ワキ(相手役)が祭壇の燭(しょく)を持ってしずしず退場しました。偶然に聖堂脇の鐘が鳴り、観客は感動の涙でした。この成功には、宗教と能とのかかわりがあったと思います。

 多川 能は祈りだと思います。主人公に多い、非業の死者や不幸な人たちにどう向き合うか。私たちにできるのは祈り、それも深い沈黙だけかもしれません。

私たちにできることは「祈り」

 多田 懸命の祈りは、深い沈黙やそれを突き破る激しい能管や大鼓の音、呪文のような謡(うたい)になります。祈りの感動が宗教的なものになるし、信仰という下地が感動を支えるのでしょう。

 多川 先生には「安楽死」という作品もありますね。未発表ですが、末期乳がんの妻の自殺を夫が手助けして殺人罪に問われ、高瀬舟で島流しにされる。その亡霊が「われらが罪のありかをば、たださんために来たりたり」と問いかけます。

 多田 私の未発表脚本をご覧になったとは知りませんでした。京都であった安楽死事件にショックを受け、森鴎外の「高瀬舟」を下敷きに書いた習作です。

 多川 興味深いのは、高瀬舟の船頭らが供養しようとするのを亡霊が断る場面です。そして地獄の苦しみが描かれ、闇の底に沈んでいく結末に向かう。先生の深い心の世界がほのみえるように思いました。

 多田 安楽死、尊厳死は脳死と並ぶ難問です。これは、日本という風土と文化を考えに入れないと底の浅い議論になります。妻を安楽死させた人を、誰が罪に問えるのでしょう。私は答えのない地獄を描くことで、現代医療と人間の生命を問いたかったのです。

 ますます進歩する延命技術が人を幸福にするのか、と問いたい。オランダでは尊厳死法がすでに施行されていますが、日本も風土、文化に合う答えを模索すべき時です。

 多川 最近も富山県で、安楽死か尊厳死かというケースがありました。これをきっかけに、延命治療中止の基準づくりが進むと思います。

 それにしても、私たちのテーマの立て方はいつも「生と死」「自然と人間」と対立的です。しかし、死を忘れた生は傲慢(ごうまん)です。仏教は「生死(しょうじ)」と包括的にとらえますが、社会に主張し切れていないようです。

   □   ■   □

 多田 確かに「死」を思わない「生」が横行しています。私は01年に倒れて生死の境をさまよい、半身の自由と言葉を失って今もリハビリを続けています。その苦しみからか、「生の中の死」「死の中の生」に意味を見つけました。死の影を感じながら生きる充実感、生きる喜びをやがて来る死の瞬間まで持とうという意思です。

 ヨーロッパの「メメント モリ(死を思え)」というのとはちょっと違います。知らず知らずに、死の中の生を生きている。生の中の死を生きる感覚。生死を包括的にとらえる仏教の立場を、混迷する世に知らせるべき時だと思います。

 *1 生命科学のわかりやすい解説などに加え、右半身の自由と言葉を失いながら力強く生きる姿を示した「脳梗塞からの“再生”」が感動を呼んだ、と評価され、受賞した。

 *2 興福寺境内で毎秋催される能公演。五重塔(国宝)を背景にすることからこの名がついた。

 *3 いずれも05年作で、原爆の惨禍を題材とした。広島の惨状を描いた「原爆忌」(シテ=観世榮夫(ひでお))は東京など3カ所、「長崎の聖母」(同=清水寛二)は長崎市の浦上天主堂で演じられた。

 *4 ややテンポのよい舞。昇天した女性などが優美に舞う。


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