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作家 半藤一利さん はんどう・かずとし 1930年、東京都生まれ。文芸春秋編集長などを歴任。著書に「昭和史 1926―1945」「昭和史 戦後編1945―1989」(平凡社)など。 |
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東大寺別当 森本公誠さん もりもと・こうせい 1934年、兵庫県姫路市生まれ。東大寺第218世別当、華厳宗管長。64年、京都大大学院博士課程修了。専門は初期イスラム史で、同大学講師も務めた。 |
終戦から61年の夏。日本にとってあの戦争はなんだったのか。そして戦後の社会はどこへ向かっているのか。10代で終戦を経験した奈良・東大寺の別当、森本公誠さん(72)と昭和史研究で知られる作家・半藤一利さん(76)が、東大寺に近い奈良公園の料理旅館で語り合った。(構成=編集委員・小滝ちひろ)
「爆弾で死んだ」登校せぬ友達
半藤 私は東京・向島の生まれで、15歳で終戦です。昭和20(1945)年3月10日の大空襲で、川の中であっぷあっぷしていたのを引き揚げてくれた人がいて九死に一生を得ました。その後新潟・長岡へ疎開し、終戦の日は勤労動員先の軍需工場でした。悪いやつが「皆カリフォルニアか南方で働かされる。今のうちに好きなことをしないといかん」と。その日、防空壕(ごう)でたばこを吸いました。家へ帰って父に話したら「日本の男全員をカリフォルニアに連れて行くのにどれだけの船がいると思うんだ」としかられました。
森本 私は小学5年生です。陸軍軍人だった父が3月末に広島から故郷・奈良の司令官になりました。引っ越しの時、神戸から先は空襲でやられていて汽車が動かない。広島では空襲で焼けた町を見たことがなかったので、大阪の惨状を見て「これはどうしたことだ」と。
半藤 学校で「さよなら、また明日」と友だちと別れると、中に翌日登校してこないやつがいるんですよ。聞くと「爆弾落ちて死んじゃったんだ」と。昭和20年の春から夏にかけては、戦争でどんどん人が死ぬんだなっていうのがわかりましたね。
森本 広島で通っていた小学校は爆心地に近く、皆原爆で死んだと聞きました。
終戦の日からは数日間、父たちが家にあったいろいろな写真を何日間かかけて燃やしていました。その中には、外国人や鉄道の線路が写っている写真があった。どうもリットン調査団(*1)なんですね。父は調査団の接待をしたそうです。
半藤 燃やしたのはもったいなかったですねえ。実は、リットン調査団の写真はあまり数がないんです。陸軍強硬派がリットンを暗殺しようという動きがあったと聞きますので、護衛役でもあったかもしれませんね。
森本 そうかもしれません。父は終戦で失職。田舎へ帰りましたが、近所のおばさんに「あんたのおやじが悪いんだ」とか言われました。
終戦境に大人たちは変わった
半藤 終戦後は旧軍人の家族に対する迫害がありましたね。私が取材した中に、加藤隼戦闘隊(*2)の加藤建夫中佐の家族がいますが、戦争中は軍神だったのに、戦後は本当に迫害を受けたそうです。
森本 終戦を境に「人間がころっと変わる。大人は信用できない」と感じました。終戦直後、転校先の小学校で海軍あがりの先生にしょっちゅう殴られましたが、その人が今度はアメリカ兵をたたえる歌を歌えと子どもたちに言うわけです。
半藤 昨日まで「戦争完遂のため」「最後の一兵まで」「戦車が来たらつっこんで死ね」「一億玉砕」とやっていた先生がころっと変わって、「民主主義」。私の中学の先生にも、すごい軍国主義者がいました。びんたされたりコップでたたかれたり。その先生に戦後会ったら、「その節は大変申し訳ございませんでした」と深々と頭を下げるんです。日本人はあてにならないなと思いました。
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――軍人の子の森本少年が東大寺に入ったのはいつですか。
森本 中学3年です。終戦翌年の1月、父がB級戦犯として東京に連れて行かれ、父の副官だった人から「東大寺で弟子を探している」という話があった。「普通のお寺と違って学問寺だから、勉強はいくらでもさせてくれる」と。それにひかれたわけです。中学の卒業式の直前に母が過労で亡くなり、父は昭和32(1957)年の仮釈放まで巣鴨プリズンにいました。
半藤 ずいぶん入っていたんですね。私は昭和28(1953)年に文芸春秋社へ入りまして、翌年、荒木貞夫大将(*3)が土日は自宅に帰っているというので取材に行き、記事を書いたんです。すると各国大使館から抗議が来ました。「荒木は巣鴨に入っているはずなのに、なぜ取材できるのか」と。
そのころ、大軍事記者の伊藤正徳さんの担当になりました。伊藤さんの添え書きが入った名刺をもらって旧軍人を取材に歩き、聞き書きをするのです。伊藤さんに原稿を見せると「半藤君、これは違うよ。当時、この人はこんな立場にはいない。こんなことをいうのはうそだ」と教えられる。「これはこちらに本当の知識がないとだめだ」と思いまして、昭和史と太平洋戦争の勉強を始めたのです。
伊藤さんが亡くなる前に「せっかくここまで来たのだから続けた方がいい」と言われました。そして、太平洋戦争とはなんだったか、国家とはなにかを取材しながら考えてきました。
*1 満州建国の過程を調査するため、英国のリットン卿(きょう)を団長に国際連盟が派遣した。報告書は日本に好意的内容だったが、結果的に日本は連盟を脱退する。
*2 日本陸軍飛行第64戦隊。加藤氏は4代目の隊長。
*3 陸軍大将。陸軍大臣や文部大臣を務め、A級戦犯として終身禁固刑になったが、昭和29(1954)年に仮釈放された。