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ここから本文エリア 現在位置:asahi.com>関西>こころ>読みもの> 記事 寺院は癒やしのテーマパーク2008年05月09日 京都のお寺や神社は、なぜ今も人をひきつけるのか? なぜ癒やされる気がするのか――。そんな研究を、京都大学こころの未来研究センターが進めている。寺社を「癒やしの装置」ととらえ、仕掛けを解明して、知的資源として位置づけたいという。
■仕掛けの謎探る「京大こころの未来研究センター」 河合俊雄教授(臨床心理学)、鎌田東二(とうじ)教授(宗教哲学、民俗学)が、京都市左京区の狸谷山(たぬきだにさん)不動院を訪ねるのに同行した。ここは、京都の鬼門(東北)に位置し、地元では「タヌキダニのお不動さん」と親しまれている。 境内を上がっていくと、参詣(さんけい)者を迎える「仕掛け」が次々目に入る。信楽焼の狸、弁天さまをまつった祠(ほこら)、幾重もの鳥居、七福神、弘法大師像……。なぜか、阪神タイガースの優勝記念碑まである。 「仕掛けを重ねることで、いろいろな物語が付け加わっていく。これは癒やしのテーマパークやね。奥へ進むほど、高みへ行く実感がある。異次元を目指している気持ちになる」と、河合さん。 鎌田さんは「狸谷山不動院の名は本尊の咤怒鬼(たぬき)不動明王に由来します。タヌキという名のお不動さんの所へ、参拝者が様々な姿のおびただしい信楽焼の狸を持ち込む。そうやって遊ぶ発想が、心を和ませるのでは」。 本堂では不動明王が洞窟(どうくつ)の中に鎮座する。河合さんは「心に例えれば、ここは心の最内奥(さいないおう)。心の奥は、一点に行き着く。それは山の頂上のようにむき出しでなく、洞窟という空間に包まれている。この『包まれる』ことが大切。奥や高みを目指す思いは、果てしなさへの恐怖と紙一重だが、包まれている実感は安心感を与えてくれる」。 河合さんは、京都の寺社に強い興味があったわけではないが、カウンセリングに通う人たちが「心の安定を求めて寺社を訪ねる」と話すのをたびたび聞き、関心を持つようになった。 「西洋では、自分の内面の葛藤(かっとう)や親子関係など、狭い人間関係の中で心を考える。日本の心は広がりがあり、山川草木にも魂を感じる。それが、西洋とは違う癒やしのリソース(資源)になる。だから京都の寺社、祭りは癒やしを求める人々にとって、今なお重要なのです」 どんな仕掛けが心に響くのか解明しようと、河合さんらは昨年10月から市内各所でフィールドワークを始めた。かつて葬送の地だった鳥辺野の入り口にある六道珍皇寺(東山区)には、平安期の文人・小野篁(おののたかむら)が冥界との行き来に用いたという井戸、精霊を呼び出す鐘などがあった。「あの世との境界」を視覚、聴覚、体感で演出している。河合さんは、昨夏亡くなった父の隼雄さんに「精霊迎えの時が来たら、ここで会えるのではないか」という気になったという。 吉川左紀子センター長は、「古都には、辻々のお地蔵さんに花や水を供えてきた人々の心の文化が息づく。今を生きる私たちに、それはどんな意味があるのか。癒やされるとはどういうことなのか。寺に参り、花を手向ける時、心の中で何が起きるのかを問い直したい」と話す。 フィールドワークは、京大の伝統でもある。各所に集まる人たちにインタビューし、象徴的な意味を解明したいと河合さんは意気込む。いずれ「癒やしマップ」を作って本にまとめるという。(大村治郎) 京大こころの未来研究センター 07年4月発足。認知科学、神経生理学、宗教哲学、臨床心理学、倫理学などの研究者が学際的に「こころ」を研究している。感情の爆発、無気力・無関心、自傷行為……。現代人には、心の働きの不全・不調に起因する問題が目立つ。等身大の心を見つめることで解決の糸口を見いだし、社会に発信することを目指す。 PR情報この記事の関連情報 |
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