現在位置:
  1. asahi.com
  2. 関西
  3. 広域
  4. 記事

封印した被爆体験を絵本に、脚本家の励まし受け(1/2ページ)

2008年7月27日

印刷

ソーシャルブックマーク このエントリをはてなブックマークに追加 Yahoo!ブックマークに登録 このエントリをdel.icio.usに登録 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをBuzzurlに登録

写真河野きよみさんが描いた一枚。原爆投下翌日、広島赤十字病院の前で目にした中学生の遺体 ※写真をクリックすると拡大します 写真名柄堯さんが描いた1枚。原爆投下直前のB29を見つめる国民学校の生徒たち ※写真をクリックすると拡大します 写真作品を前に当時を語る名柄堯さん(左)と河野きよみさん=広島市中区、青山芳久撮影 ※写真をクリックすると拡大します 写真早坂暁さん

 言葉にできなかった被爆地の光景を、封印していたあの時の記憶を、絵で初めて表現した2人の被爆者が広島にいる。「見た者には伝える義務がある」。その生々しい筆致に心を揺さぶられた脚本家の早坂暁さん(78)=東京都=から励まされ、2人はこの夏2冊の絵本を世に送り出す。「あの日を、忘れない」というメッセージを携えて。(武田肇)

 ■夢に出てきた中学生たち■

 胎内被爆者の女性をヒロインにしたテレビドラマ「夢千代日記」の脚本などで知られる早坂さんが2人の絵と出会ったのは6年前。NHK広島放送局と広島市などが募集した「市民が描いた原爆の絵」をNHKから依頼されて見たのがきっかけだった。

 花壇の上に放射状に積み重ねられた中学生の遺体が描かれた絵。全身にやけどを負った人たちが黒い雨に打たれながら川の土手を歩く絵。河野きよみさん(77)=広島市中区=と、名柄堯(たかし)さん(74)=同市西区=が描いた絵だった。つたないが、早坂さんは強く心打たれた。

 河野さんは被爆時、高等女学校2年生。爆心地から約30キロ離れた自宅で黒いキノコ雲を見た。翌日、爆心地からわずか1.5キロの広島赤十字病院で看護師見習をしていた姉を捜しに母と病院に向かった。

 丸太のように積まれた遺体を見たのは、病院の玄関前の花壇だった。胸の名札には「広島二中」とあった。どの子も外傷は少なく、横顔はまだあどけなく、眠っているようだった。

 「あの子たちの骨はお母さんの胸に抱かれたのだろうか」。ずっと気になっていたが、「痛い目をしていない自分が傍観者のように語ってはいけない」と胸に秘めた。

 70歳になって夢を見た。ゲートルを巻いた中学生たちが「早う僕らのことを代弁をしてえやあ」と叫びながら走り去った。仏壇に手をあわせ、風呂で体を清め、絵筆を握った。「人生で見た一番むごい光景」を4日間かけて描いた。

 名柄さんは国民学校6年の時、爆心地から約3キロ離れた国民学校で被爆。運動場のプラタナスの下で同級生とB29の機影を見た瞬間、ピカっと光り、熱線をあびた。全身にやけどを負い、飛び込んだ小川で黒い雨に打たれた。1カ月半寝たきりとなり、化膿(かのう)した皮膚はウジがわき続けた。

 戦後、「同情されたくない」と被爆者であることは黙っていたが、65歳で仕事から身を引いて思った。「人生の証しである被爆体験を忘れることはできない。恥ずかしいことじゃない」。絵筆を握ると、細かい記憶があふれ出た。

前ページ

  1. 1
  2. 2

次ページ

PR情報
検索フォーム
キーワード:


朝日新聞購読のご案内