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【メメント・モリ】(3) 埋めた我が名 復興の証し

2009年1月16日

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短歌 生きるため一生役立つ仕事をと 建設機械の資格を取得   写真ベトナム人従業員に声をかけながら、部品のでき具合を確認して回るジェップ・バン・タイ=ベトナム・ハノイ近郊のムトーテクノロジーハノイ、宮崎写す

 ベトナムの首都ハノイの玄関口、ノイバイ国際空港から南に車で10分。水牛が歩く田園風景の中に突如、日本や韓国企業の工業団地が現れる。

 プラスチック金型会社「ムトーテクノロジーハノイ」。マネジャー、ジェップ・バン・タイ(35)は今もオフィスの引き出しに、11年前に詠んだ短歌をしまっている。

     ■

 90年、17歳で日本の地を踏んだ。父と長兄は難民として先に日本に渡った。母と4人の兄姉と兵庫県姫路市の支援センターで半年過ごし、神戸市兵庫区の中学に入学した。

 センターで習ったのはひらがな程度。小学生用の漢字練習帳をトイレに持ち込み、読みを覚えた。寝静まった家族の隣で布団にもぐり込み、懐中電灯でノートを照らした。

 卒業後、神戸市内の中華料理店で働いた。自動車の運転免許試験は7回目で合格した。兄姉はみな家計のために働いたが、電話帳も読めない家族のため、93年、神戸工業に入学した。

 授業はいつも最前列。国語教師の南悟(62)から最初の授業で「何でも聞いてや」と言われ、廊下では「困ったことあるか」と声をかけられた。食堂でうどんをすする南の隣で四字熟語を習い、宿題の作文を添削してもらった。

 授業で山田洋次監督の映画「学校」の台本を朗読した。中国人と日本人の両親を持つ学校になじめない少年役だった。そのせりふに言葉に苦労する自分が重なった。胸がつまり何度も読み間違えた。

 「日本語の習得は君にとって生きることや」。職員室で南に言われた。覚えたての漢字を交え作文に書いた。

 「必ず最後まで頑張る」

 そして、あの日が来た。

     ■

 激しい揺れに神戸市中央区の自宅マンションを飛び出ると、「地震や」と叫ぶ声を聞いた。初めての体験だった。自宅は半壊し、約1カ月、公園で家族と木の葉を集めて米を炊いた。

 中華料理店は閉店。建設会社でスコップを握って熱いアスファルトを地面にまき、立ち上る水蒸気で指を温めた。

 会社の忘年会。送迎役の自分の車の停車場所が悪いと、同僚はドアがへこむほど車をけった。理由を説明する日本語が通じない。「馬鹿たれ」。言葉が胸にささった。約1年勤めていたが辞めた。

 ベトナムの恋人を思った。17歳で初めて手をつなぎ、自転車に2人乗りで動物園まで行った思い出。3年生のその年、「何のため 遠く離れて 辛く別れ 日々の思い出 君の姿」と詠んだ。

 4年生の春、転機が訪れた。街に復興の槌(つち)音が響き、崩れ落ちた高速道路や沈んだ港の復旧工事が進んでいた。三宮と長田を結ぶ地下鉄海岸線のトンネル掘削を請け負う土建会社に就職し、重機の免許を取った。南のおかげで日本語で冗談も言えるようになっていた。

 地下20メートルの掘削の最前線でショベルカーを操った。早朝から授業が始まる夕方まで泥に濁った地下水を浴び、作業服の袖で顔をぬぐうと真っ黒だった。「よう頑張るな。仕事終わって勉強か」。日本人の同僚は背中をたたいた。

 工事終盤。トンネルの中で足元の石に油性ペンで自分の名をカタカナで書き、スコップで地面を掘って埋めた。

 「新しい神戸のために力になった証しを残したかった」

     ■

 卒業直前、初恋の恋人と結婚し、卒業後は兄が勤めるムトー精工(本社・岐阜県各務原市)に就職した。3年前、ベトナムに赴任した。

 市場経済化を進めるドイモイ(刷新)政策で成長する祖国が神戸の復興と重なる。

 子会社のマネジャーとして約700人の若いベトナム人にパソコンプリンターの部品の作り方を指導して回る。

 「品質を守るため厳しい指示を出すこともある。そんなとき、南先生の笑顔や授業を思い出すんです」

 スコップや操縦レバーを握ってできた両手のまめをさすりながら、そう言った。敬称略(宮崎勇作)

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