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【メメント・モリ】(4) あの年出産 くじけへん

2009年1月16日

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短歌 学校と仕事と子育て疲れても 子供の笑顔で元気回復   写真アスペルガー症候群の子を持つ親のネットワークづくりを目指す山口るい=大阪府枚方市、宮崎勇作撮影

 「久しぶりー」

 03年3月。神戸工業の入試当日。面接室に、山口るいが笑顔でやってきた。

 面接官の南悟(62)は「元気やったか」と声をかけた。震災の年、18歳で中退した少女は、小学2年の長男と保育園児の長女を育てる26歳のシングルマザーになっていた。

     ■

 山口はあの日、神戸市兵庫区の自宅で被災した。タンスが妊娠7カ月の腹の上に倒れているのに気づいた。腹が張り救急車を呼んだが来ない。歩いて病院に行くとロビーに血まみれの人、壁にもたれたまま息絶える人がいた。

 切迫早産の恐れで1カ月入院した。食事は缶詰と賞味期限切れのパン。水もガスもない病棟で、「大丈夫よ、ママと会えるよ」と腹をさすった。震災で死ぬ人と引きかえにさずかる命だと思った。

 家族がほしかった。

 3歳で両親が離婚。妹とともに父親に引きとられたが、継母になじめなかった。中学卒業後、同校に通う知人に誘われるまま入学し、すぐ同棲(どうせい)、結婚。学校から足が遠のいた。

 震災の年の春、長男を18時間かけて出産した。自宅で余震のたび「何があっても育てる」と赤ん坊の上で四つんばいになった。まもなく主婦に専念しようと学校をやめた。

 長男は言葉が遅く、いら立つ夫から八つ当たりされることもあった。長女が生まれた1年後の98年に離婚。子どもを実家にあずけ、商店街やパチンコ店で働いた。

 2人の子は、発達障害の一種、アスペルガー症候群だった。ゴミ箱にごみを捨てられない。はさみで自分の髪を切り、計算ドリルで間違えると泣き叫んだ。

 01年、山口は交通事故に遭い、後遺症で自律神経失調症の症状がでた。耳鳴りがひどく睡眠薬にたより、2年間自宅にひきこもった。中卒で資格もなく老いる将来に望みを失い、自殺も考えた。

 そんな頃、コンビニの帰りに神戸工業の生徒募集の張り紙を見た。「まだ学校という人生がある」。家に戻るなり子どもに伝えた。「お母さんな、もう一回学校いくわ」

     ■

 授業では、となりの席に2人の子を座らせ、漢字帳やお絵かきをさせた。休み時間は職員室で遊ばせた。仕事のある週4日、朝5時から朝食の支度。長女を保育園に送り、勤めが終わった夕方、2人の手をひいて登校した。

 そんな姿を見た南に言われた。「勉強の勉も分娩(ぶんべん)の娩も女性が出産する姿が字になったんやで」「私、どっちもしてるやん。頑張ってるわあ」

 夜、自宅で突然、子どもが笑い出すことがある。「何が面白いん」と尋ねても壁や天井を向いて笑っている。その姿につられ、つい自分もクスクスと声を立ててしまう。

 3年で南の授業をとり、短歌を詠んだ。子どもの笑顔があれば頑張れる。その気持ちをそのまま歌にした。

 同じクラスに、1年以上も不登校の男子生徒がいた。再入学する前、生きる望みを失いかけた自分を思い出した。駅まで送り迎えをし、休み時間は隣で「私もな、引きこもりやってん」「お母さんのお腹痛めて生まれてきたんよ。しっかり生きな」と声をかけた。「インターネットで友達に秘密ばらされたんや」。ある日、生徒は不登校だったわけを打ち明けた。

 山口は週1時限ずつ授業を多くうけ、06年春、4年かかる定時制を3年で卒業した。

 山口は今、32歳。交通事故の後遺症が再発し、人込みに息苦しさを覚える。暮らしは月約20万円の生活保護頼みだが、子どもは中学2年と小学5年に成長し、子育ては楽になった。高校で習ったパソコン技術を生かし、同じ障害を持つ子の親とつながりたいと思う。高卒の資格を得て、介護福祉士になる夢もできた。

 「しんどさの連続やけど、人間は生きているだけで素晴らしい。母になってそう思える」(山田佳奈)

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