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【メメント・モリ】(5) 恨まん 親の分まで生きる

2009年1月16日

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写真短歌 震災で止まった時間今日からは 変えて見せるぞ名に恥じぬよう写真集会で作文を読む西山由樹=神戸市兵庫区の神戸工業高校、西畑志朗撮影

 14日夜、神戸市兵庫区の神戸工業。震災激励集会でひとりの生徒が立った。

 震災で父(当時39)と母(同31)を失った電気科2年、西山由樹(よしき)(23)。作業服姿で、作文を読んだ。

 「親に甘えることも素直な気持ちも持てなかった」

 「もう悪いことはしないと自分に誓い、卒業したい」

     ■

 あの日、小学3年生だった西山は同区の文化住宅2階で揺れる2段ベッドの柵(さく)にしがみついた。下段の小学1年生の弟と、両親を呼んだ。隣に住む祖父に腕をつかまれ家の外に出た。両親のいた1階は2階に押しつぶされていた。

 家の前の道で、毛布をかぶり、ひざを抱え震えた。

 がれきとなった玄関のすき間に、自分と弟の二つのランドセルが見えた。

 数日後、寺で両親のひつぎをかたわらに弟と正座した。

 親類の家を弟と転々とした。家族のだんらんが始まると部屋を出た。「なんで僕ら残して死んだんや」。声を押し殺し壁に向かって泣いた。叔母が飼ってくれた子犬を抱き、公園で夜を過ごした。

 半年後、大工の祖父が元の場所に家を再建し、祖父母と弟と暮らし始めた。

 「塾行くねん」「オレ、おやじに教えてもらう」。そんな友達の話に入れなかった。

 中学で茶髪にピアス。バイクで夜の国道をパトカーに追われながら暴走した。同級生が自宅に来て「金出せや」と祖父母を脅し警官が駆けつけた。「あいつ親おらんからな」。人づてに理由を聞いた。卒業式も出なかった。

 卒業後、別の高校の定時制へ通った。朝6時半から屋根のふきかえ会社で働き、生活費と学費をかせいだ。

 会社は1年半で倒産した。修学旅行の積立金が惜しくて通い続けた高校も旅行が終わった3年途中で退学した。

 先が見えなくなった。そんなとき、がれきの中のあの黒いランドセルを思い出した。

 会社員だった父は柔道が強かった。片腕で自分と弟を持ち上げ遊んでくれた。机の隣で算数をよく教わった。

 「勉強するんやで」。父が言った気がした。

      ■

 07年春。神戸工業に入学したばかりの西山を、教師の南悟(62)が廊下で呼び止めた。手にした震災犠牲者の名が載った本のページを指さし、「お父さん、お母さんだね。頑張るんやで」。受験で面接したとき、両親が震災で死んだと聞いていた。

 震災を知らない生徒に、体験を話してほしかった。何度頼んでも「オレなんて見本にならん」と断られた。「読んでみ」。卒業生が残した震災体験の作文のコピーの束を手渡した。

 1年後の昨夏。第二種電気工事士の学科試験に合格した西山に、「体験発表会」に出るよう勧めた。1カ月後、原稿用紙3枚半の作文を受けとった。

 図書室の机で西山と向き合った。作文を読むうち、メガネをずり上げ、まぶたを押さえた。震災後の日々を初めて知った。「よう生きた。前向いてな、進め……」。震える声は後が続かなかった。黙っていた西山がぽつり「先生の言うこと、よう分かる」。そして去り際、「ありがとう」と言った。

 西山は給食センターの配送をしながらこの夏、残った実技試験に挑む。

 昨年12月11日の晩。自宅の勉強机で短歌を下書きした。

 「父と母 恨んだ日々は 何処(どこ)へやら 今では父の 分まで生きる」

 「恨んだ日々」。しばらく見つめ、別の歌を書いた。

 「自由に生きろ。その分大樹のように根を張れ」。祖父が教えてくれた「由樹」に込めた父の願いを思った。「あの日」から、親を恨んだ人生をやり直したかった。

 14日の集会。作文を読み終えた西山が短歌を2回朗読した。拍手に包まれた会場で、南が何度もうなずいた。敬称略、おわり(村上英樹)

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