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がん公表の民主・山本参院議員が死去

2007年12月23日

 がん患者であることを公表して議員活動を続け、4月に施行されたがん対策基本法の成立にも尽力した民主党参院議員の山本孝史(やまもと・たかし)さんが、22日午後11時50分、胸腺がんのため東京都内の病院で死去した。58歳だった。告別式の日取りは未定。連絡先は大阪市中央区釣鐘町2の4の17、ニュー大阪ビル201の山本孝史事務所。

 交通遺児育英会事務局長を経て、93年に衆院選旧大阪4区で初当選。2期務めた後、01年に参院選大阪選挙区にくら替えして当選。05年末に胸腺がんで、肺と肝臓に転移しているとの診断を受けたが、07年の参院選比例区に立候補し、再選を果たした。

 医療や年金など社会保障制度改革に一貫して取り組んだ。衆院議員の時は薬害エイズ問題を追及。06年5月の参院本会議の質問では「私自身、がん患者だ」と告白し、がん対策基本法の早期成立を後押しした。再選後は本会議にも欠席しがちになったが、今月4日には民主党が参院に提出した被爆者援護法改正案の筆頭発議者を務めた。

     ◇

 ゆかりのある人たちからは、山本孝史さんの死を惜しむ声があがった。

 「これはおれの置き土産だから」。NPO「自殺対策支援センター ライフリンク」(事務局・東京)の清水康之代表(35)は、がんを告白した後、自殺対策基本法制定に渋る議員を一緒に説得して回った時の言葉を覚えている。「執念に押され、自民の議員も協力してくれた。党利党略でも私利私欲でもなく、国民の命のために行動した」

 今夏の参院選では「がん患者として感じてきた日本の医療の貧しさを何とかしたい。引き続き国会で仕事したい」と訴えた。治療のため地元の大阪に入れなかったが、比例20番目の最後の議席に滑り込んだ。当選後、大阪事務所の込山剛秘書は本人から電話を受けた。

 「これも天命で、おれにもっともっと仕事しなさいということかなあ」

 「うれしそうだった。これで張りができると思ったのに」と込山さん。

 交通遺児支援活動で40年来の知り合いでもある民主党の藤村修衆院議員は13日に病院で会った。「何くそ、という気持ちを感じた。1月に自分の本が出るのを楽しみにしていたのに。残念だ」

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