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なにわ科学の源流

なにわ科学(3)医学・天文学 独自に極めた麻田剛立(2/2ページ)

2008年8月18日

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写真浄春寺にある麻田剛立の墓碑=大阪市天王寺区、久保田写す

 剛立は誰から医学を学んだのか、はっきりしない。天文学も誰が師なのか分かっていない。終始、独学の人であったのかもしれない。大阪では医師で身を立てながら、天文塾を開いた。

 剛立のもとからは優秀な学者が多く育った。懐徳堂の孔明と呼ばれた山片蟠桃(ばんとう)も薫陶を受けたひとり。寛政の改暦を成功させた間重富(はざま・しげとみ)や高橋至時(よしとき)の2人が代表的な高弟だ。剛立や至時らがいなかったら、伊能忠敬の大日本沿海輿地(よち)全図の作製もあり得なかった。この話は、次回紹介したい。

 晩年は西洋天文学の著しい進歩を知り、自分の天文学には間違いが多かったのではないかと悩んだ。後世に間違いは残せないと、自分の著書などは死後すべて焼き捨てるように命じたと伝えられている。

 剛立は、日本初の月面のスケッチを残した人物としても知られる。望遠鏡で月面を眺め「疱瘡(ほうそう)のあばたのようだ」と記している。

 月面に見えるウサギ模様の耳に当たる「豊かの海」に、「アサダ」という名のクレーターがある。剛立の偉業をたたえ、国際天文学連合が命名した。直径12キロの小さなクレーターだが、夜空の月を見上げれば、「麻田剛立」は今もそこに輝いている。(久保田裕)

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