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ここから本文エリア 甲子園・伝説の左腕エース 故・嶋清一さん野球殿堂入り2008年01月11日 戦前の中等学校野球で和歌山・海草中(現向陽高)のエースとして活躍した故・嶋清一さんが11日、野球殿堂入りを果たした。若くして戦火に散ったため、プロ野球の経験などはない。それでも、甲子園での輝かしい活躍が、有名選手らが名を連ねる殿堂に、嶋さんを導いた。
全国高校野球選手権大会がまだ全国中等学校優勝野球大会と呼ばれていた戦時中の1939(昭和14)年、第25回大会で、伝説の快投は生まれた。海草中の左腕エースだった嶋さんは、1回戦から決勝までの全5試合を1人で投げ抜く。右打者の内角に食い込むように伸びてくる速球と、「懸河(けんが)のドロップ」と呼ばれた垂直に落ちるかのような変化球で、相手打者を次々と打ちとっていった。 優勝まで45イニングを投げて、失点はゼロ。しかも連投で疲れがたまる準決勝、決勝でノーヒット・ノーラン(無安打無得点試合)を達成するという偉業だった。 和歌山中(現桐蔭高)時代に嶋さんと対戦しているプロ野球元近鉄監督の西本幸雄さん(87)=88年殿堂入り=は「戦争で命を落としていなければ、戦後の野球史は必ず変わっていた」と語る。 全5試合完封での優勝は戦後、48年の30回大会で福岡・小倉高の福島一雄投手も達成したが、準決勝、決勝で1安打も許さなかったのは、今年で90回を迎える大会史上、嶋さん1人しかいない。決勝の無安打無得点試合もその後、80回大会で横浜高の松坂大輔投手(現レッドソックス)が成し遂げただけだ。 嶋さんは1920年、和歌山市に生まれた。姓は野口。幼少のころ、親族の嶋家に養子入りした。甲子園での雄姿とは裏腹に、ロイドメガネをかけた容姿は優しく、おとなしく見えたという。 明治大学に進学し、43年、学徒出陣。出征時に、海草中時代からの同僚、古角俊郎さん(86)に「おれなあ、戦争がなかったら新聞記者になりたかった」とこぼしたという。野球を愛し、甲子園で球児たちの姿を追うことを夢見た青年は45年3月、インドシナ半島沖の海戦で戦死した。24歳という若さだった。 古角さんは殿堂入りの知らせに「感激と感謝に尽きる」と喜び、「嶋をはじめ、多くの選手が戦争で亡くなった。平和ほど尊いものはないと思ってほしい」と語った。 この記事の関連情報 |