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私の甲子園(3)高校野球初の女性審判

2008年03月19日

 忘れられない光景がある。16年前、ママさんソフトボールの練習帰りに通りかかった広場の少年野球。知り合いに声をかけられ、試合の審判を頼まれた。

写真試合前にボールをチェックする藤原三枝子さん(左端)=神奈川県藤沢市で

 少年が盗塁を試み、ヘッドスライディング。誰の目にもセーフに映ったが、二塁にいた「お父さん審判」の判定はアウトだった。塁審を見上げて目に涙をためる少年。ベンチに戻ると監督から怒鳴られ、泣きじゃくった。

 その姿に胸が詰まった。「フェアなジャッジで、ひたむきなプレーに応えてあげたい」

   ■  ■

 宮崎県出身の藤原三枝子(52)=神奈川県藤沢市=は高校時代、ソフトボール部の主将。福岡の看護学校に進み、県内の大学病院などに勤めた後、保健師をしながら2女1男を育てていた。それが、あの体験で心が燃えた。

 数カ月後、藤沢市野球協会の審判講習会に参加した。女性はたった1人。少年野球から始めたが、そのうち、「もっと上の舞台」をめざしたいと思うようになった。甲子園が広がっていた。

 「高校野球がやりたい」。協会理事長で審判経験が長い青山俊夫(71)を訪ねると、「やめとけ」の一言。あきらめず、何度か通った。「女は男の5倍やらなきゃ認めてもらえない。覚悟あるか」「あります」

 熱意にうたれた青山に連れられ、県内の強豪校の練習に参加させてもらった。青山とマンツーマンでの特訓だった。球の動きに合わせて全力疾走。「アウト」「セーフ」。土煙が舞うグラウンドで声を張り上げた。

 「今のがボール? 選手は魂込めてんだぞ」。講習会の場でも怒声が飛ぶ。捕手役の選手が背を向けたままささやいた。「がんばって下さい」

 そんな生活が3年続いた。1人で別の高校にも通い、1日8キロのランニング。さらに数年がたった99年、県高野連に登録が認められた。高校野球で初めてとなる女性審判委員の誕生だった。

 練習試合での本塁クロスプレー。「アウト」とコールすると、捕手が「僕、落としてます」。夏の神奈川大会1回戦。頭に球が当たって一時失神した強豪校の選手が食い下がった。「出ます」「冗談じゃない」。やりとりの末、「僕は補欠だから、これが最初で最後のレギュラーなんです」と泣き崩れた。

 その世界には、勝ち負けを超えて高校生活を賭ける球児たちがいた。ベンチ裏で、負傷者に付き添ったグラウンドの外で、あの日の少年と同じ目を見た。

 「自分は何がしたかったのかを気づかせてくれた。甲子園は遠いかもしれないけど、あの人に審判やってもらってよかった、と言われたい」

   ■  ■

 みけんに傷跡が残る。

 5年前、試合中に選手が素振りしたバットが直撃し、鼻骨が砕けた。

 長女の絵美(28)が復帰しようとする母を必死にとめた。そんな時、自宅に見知らぬ大学生がメロンを持って見舞いに訪ねてきた。藤原が審判をする姿を見たことのある元球児だった。母のやりがいが分かる気がした。

 9日。今年の練習試合が解禁された藤沢市のグラウンドで、藤原が球審に立った。バックネット裏から絵美が、スタンドから青山が見つめる。

 「プレー」。藤原が右手を挙げた。球児といられる季節がまた、巡ってきた。=敬称略

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