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私の甲子園(5)史上初、女子高生監督

2008年03月21日

 スポーツ紙に大見出しが躍っていた。「史上初、女子高生監督」。昨年9月、漫画家の田中モトユキは「やられた」と感じた。

写真ノックをする鎌ケ谷の斎藤友夏莉さん=千葉県立鎌ケ谷高校で

 05年から週刊少年サンデーで「最強!都立あおい坂高校野球部」を連載している。20代の女性監督、菅原鈴緒(すずお)が自分を慕う球児たちと甲子園に出場する物語。時代を先取りしたつもりだったが、「現実の方が進んでいた」。

 監督に女性を選んだのは、「読者が興味を持つ入り口にしたい」の思いからだ。それが、描き進めるうちに変化が生じた。女子部員だったために試合に出られなかった菅原が、負傷した選手を代えられない弱気な一面を見せながらも、「あの速球はボールの2個上をフルスイング」などと的確な指示を与える。

 「試合に出ない人間の力がチームの戦力を左右する」が、いつしか持論になった。

   ■  ■

 田中がニュースに接した1カ月前、斎藤友夏莉(ゆかり)(17)は2度、聞き返した。汗がしたたり落ちる千葉県立鎌ケ谷高校のグラウンド。部長の武部外司広(としひろ)(46)の言葉は変わらなかった。

 「監督やってもらう」

 5歳で野球に接し、少年野球チームのエース。中学でも軟式野球部で投手兼外野手を務めた。「男子の中でもやれる」。自信満々で二つ上の兄がいた鎌ケ谷野球部の門をくぐった。

 レベルの違いを思い知らされた。練習にまったくついていけない。入部2日で足が向かなくなり、軽音楽部やダンス同好会を見学に行った。

 何げなくバックネット裏で野球部の練習をながめていた時、当時の監督と偶然、目が合った。「なぜ、練習に来ない」と話しかけられた。

 「女の自分にはキャッチボールもトレーニングも相手がいない。心細いんです」。声に出したら涙が止まらなくなった。

 「やれる範囲でやったらいい」。そう励まされた。帰宅すると、今度は母と兄が居間で背中を押してくれた。「友夏莉なら大丈夫」

 40分間の走り込み、坂道ダッシュ20本、午後9時過ぎまでの居残り練習……。男子と同じメニューを課した。2年の夏は練習試合で投げまくり、チーム一、二の登板回数を誇った。

 女子野球日本代表が中学からの夢。野球がうまくなりたい一心でやってきた。でも、最後の夏に涙する先輩や裏方に徹するマネジャーを見て考えが変わった。「少しでもチームの近くにいたい」

   ■  ■

 秋季大会地区予選の初戦。指揮を執る武部から初仕事を与えられた。試合前7分間のノック。相手の視線を気にしながら、白球をたたいた。

 試合は7回コールド負け。「落ち着けー。楽にいけー」。制球が乱れる味方投手を励ましながら、マウンドへ飛び出したい衝動に駆られていた。

 どうすればチームが強くなれるか。あれ以来、ずっと考えている。もっと際どい所にノックが打てるようになれば、守備が鍛えられる。相手投手のくせを見抜けば、打線を援護できる。「選手じゃなくても戦えるんだ」

 斎藤がようやく見つけた答え。それを漫画の世界でどう表現していくか。田中は腐心する。

 中学時代まで強打者でならした選手が名門校で記録員になった理由について語るシーンがある。「選手を支える仕事はいろいろあるけど、最も近くで勝敗に貢献できるから」

 甲子園をめざす形は一つじゃない――。これからも、そんな夢の続きを描きたい。

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