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ここから本文エリア 現在位置:asahi.com>関西>関西の住まい>ぷらっと沿線紀行> 記事 バス型“発車オーライ” 北条鉄道ぷらっと沿線紀行(5) 初めて、「レールバス」に乗った。
5月5日、兵庫県小野市の粟生(あお)駅を訪ねた。JR加古川線、神戸電鉄粟生線、第三セクター北条鉄道の3社の路線が共用する珍しい駅だ。 北条鉄道が使う3番線ホームに、目指す「フラワ1985型」が停車していた。1985年、旧国鉄から切り離されて地元の自治体や企業が出資する第三セクター鉄道として再出発した際に導入した。旅客輸送の主役は00年に買い入れた新しい気動車に譲ったが、いまも月2回程度、週末に運行されている。 12時10分、「ボンボンボン」。ディーゼルエンジンの音を響かせて出発した。外観はバスそのもの。丸いハンドルがないのが不自然なほどだ。車窓からは、線路脇にタンポポの綿帽子、一面ピンク色のレンゲ畑、遠くに小高い山が見える。乗り心地は決してよくはないが、振動と音に懐かしさを感じる。22分後に加西市の終点・北条町駅に着いた。 このローカル鉄道が昨年、ちょっとした話題を集めた。 給与も出勤の義務もないけれど、制服・制帽を貸してもらえる――無人駅の「ボランティア駅長制度」を始めたところ、各地から応募が相次いだ。副駅長、助役にも採用され、総数は32人。鉄道を愛する市民の手で、思い入れとアイデアのつまった駅づくりが始まっていた。 ■鉄道ファン愛の無人駅 3月31日。北条町駅を発車して粟生(あお)駅に向かう列車の中に、拍手と笑い声が響いた。約30人が参加したボランティア駅長の1周年懇親会。通路にテーブルを並べた車内で報告会が始まった。 兵庫県丹波市の石飛寿子さん(60)は、駅舎のない田原駅周辺で週1回読書サロンを開いている。「緑地が広がっているので、円卓やイスを置くなどしています。木道やデッキみたいなものも使ってみたい」 法華口駅長の会社役員、上谷昭夫さん(68)=兵庫県高砂市=は「台風で瓦が飛んで、雨漏りがしてます。シートをかけてますが、何かいい考えがあれば教えて」。播磨下里駅長の僧侶畦(うね)田清誠さん(29)は堺市から通う。「地元の皆さんに花壇を造っていただいた。花の見える駅になりました」 エプロン姿の社員がマイクを手に走り回り、粟生駅で折り返した後は、お菓子や弁当も配られて盛り上がった。 建築家で街づくりも手がける神奈川大工学部教授の曽我部昌史さん(44)は、大学院生らと一緒に参加した。「今の日本になくなっている公共圏が駅にできつつある。役所のお仕着せではなく、人々の自主的な活動からつくられているのがいい」 ◇ 懇親会終了後の午後4時前、網引(あびき)駅の西約300メートルの線路脇で、62年前の列車脱線転覆事故で亡くなった12人を追悼する初めての現地慰霊祭が営まれた。上谷さんが企画した。 45年3月31日、近くにあった鶉野(うずらの)飛行場から飛び立った旧海軍の戦闘機「紫電改(しでんかい)」が故障で不時着した。機体が線路を引っかけてずれたところに満員の列車が突っ込んだ。 西脇市黒田庄町の亀田みさゑさん(83)は、当時33歳だった夫を亡くした。「事故の2カ月前に生まれた息子がもう62歳。当時は軍部が怖いから事故のことは言うたらいかん、と黙っていました。泣いて暮らすだけでした。いま、ここで慰霊できてうれしい」 上谷さんは「13年前に事故を知り、風化させない取り組みをしたかった」と話す。法華口駅には事故についての新聞記事や手作りの資料が展示されている。 慰霊祭で追悼の読経をした畦田さんは、播磨下里駅の待合室の扉の横に「下里庵(あん)」の表札を掲げている。仏具一式を置き、正座で読経もできる。昨年12月からは、月に5〜10回は駅に来て、青い作務衣(さむえ)姿で通学生をあいさつで迎える。年明けには通学する女子高生2人から「あたたかい笑顔集まる駅になれ」と書かれた画用紙大の「年賀状」をもらった。 幼い頃から鉄道ファンだという畦田さんは「待合室に顔を出してくれる人も増えました。これからもどんな出会いがあるか楽しみ」と話す。 ◇ ボランティア駅長を発案した北条鉄道社長の中川暢三・加西市長は、職員採用問題で市議会で不信任を決議されるなど混乱が続いている。 駅長たちの情熱とアイデアで開き始めた“花”が、市政の混迷などでしおれることなく根付いていくことを願わずにいられなかった。 鉄ちゃんの聞きかじり<播州鉄道> 加古川市を中心に播州平野に伸びるJR加古川線、三木鉄道、北条鉄道は、もともと1913(大正2)年に開業した播州鉄道の路線だった。 同鉄道は加古川の船運の代替を目的としており、同年4月の加古川―国包(今の厄神)間の開通以降、次々と路線を延ばした。粟生―北条町間は1915年に開通。加工しやすい長(おさ)石の産地が沿線にあり、長駅には貨物車両が往来した。 播州鉄道は第1次世界大戦後の不況で経営不振に陥り23年に新設の播丹鉄道に譲渡され、太平洋戦争中の43年に国鉄線となった。国鉄分割民営化時に加古川線と鍛冶屋線がJR線、三木線と北条線は第三セクターに。鍛冶屋線は90年に廃止され、三木鉄道も来春廃止される。 探索コース 北条町駅から西北へ古い町並みの商店街を通って約12分歩くと、新西国霊場二十九番札所の酒見寺(さがみじ)に着く。奈良時代に行基が開いたと伝わる真言宗寺院。国の重要文化財の多宝塔は色鮮やかだ。そこから西へ約3分歩くと、五百羅漢の羅漢寺。どこかで見たことがあるような表情をした野の石仏四百数十体が迎えてくれる。 |