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高架抜けると万葉の都 近鉄吉野線・飛鳥駅

ぷらっと沿線紀行(6)

 人口6千人ほどの村のはずれにある小さな駅に、特急電車がとまる。それだけでもう、そこが特別な場所だと思えてくる。

写真新緑の中を駆け抜ける近鉄吉野線の特急電車の上に太陽のかさが現れた
写真夕闇迫る近鉄飛鳥駅。観光客の姿も消え、一瞬の静寂が訪れていた
写真聖徳太子生誕の地とされる橘寺。東門から明日香村の山並みを見ることができた
写真飛鳥駅の近くで、若い女性がスケッチを描いていた
写真高松塚古墳の近くに万葉の歌を刻んだ石碑がひっそりとたたずんでいた=いずれも奈良県明日香村で
写真吉野鉄道時代の1923(大正12)年に導入された電気機関車「デ1型」(52年撮影、近鉄提供)
地図   

 奈良県明日香村は、約1400年前から100年余りの間にいくつもの都が造営された、日本の中心地だった。

 近鉄吉野線の飛鳥駅は、村にあるただ一つの駅だ。

 もとは「橘寺駅」といった。

 橘寺は駅から東へ約2キロ、聖徳太子が生まれた地に、太子自身が建てたと伝えられている。

 1970年、住職の高内良正さん(81)を近鉄の社員が訪ねてきた。「岡寺駅、橘寺駅とお寺の名前がついた駅が二つ続きます。明日香村の玄関口にふさわしい駅名に変えませんか」

 提案されたのが「飛鳥駅」。「村のためになるんなら」。高内さんはうなずいた。

 その2年後、飛鳥駅に多くの観光客が降り立つようになる。駅にほど近い高松塚古墳から極彩色の壁画「飛鳥美人」が見つかった。全国的なブームになり、村は「天下第一級の観光地と化した」(明日香村史)。

 5月のある日、大阪・阿部野橋発吉野行きの特急電車に乗った。

 橿原神宮前駅を出て沿線の新興住宅地へ続く高架道路をくぐり抜けた瞬間、ビルやマンションが視界から姿を消した。瓦屋根に白壁の民家、その向こうには新緑が美しい丘や畑。懐かしい風景が広がっていた。

■守り継がれる古代の記憶

 飛鳥駅の改札を出ると、駅前広場に棚田をイメージしたという階段状の芝生が目に飛び込んできた。リュックを背負った人たちが、自転車で、徒歩で、駅を後にしていく。

 4月初めの日曜日。飛鳥駅を出発した10人ほどの一行が、高松塚古墳隣の丘の上にやってきた。小さな石碑を囲むと大きな声で歌い出した。

 「立ちて思ひ居てもそ思ふ紅の 赤裳裾(あかもすそ)引き去(い)にし姿を」

 立っても座っても、紅の赤い裳のすそを引いて去っていったあなたの姿を思っています――。作者不詳の万葉の恋の歌。石碑の揮毫(きごう)は万葉学者・犬養孝の手によるものだ。

 「恋人を思う気持ちは今も昔も同じ。人間ってそんなに変わらないものだと、万葉の歌で知りました」

 一行の道案内をした前田昭二さん(62)は話す。万葉集の歌碑めぐりのイベントの引率を、ボランティアで引き受けている。

 万葉集の世界にあこがれ、4年前、定年を前に会社を辞めて大阪から明日香村の隣、橿原市に引っ越してきた。大和三山が見えるアパートから村境までは100メートルほど。あえて村内に住まなかったのは「『飛鳥へ向かう』という新鮮な気持ちをいつも味わうため」という。

    ◇

 明日香村の景観が守られたのは、1980年に施行された「明日香法」が大きい。建物の高さや、現状の変更に厳しい規制がかかる。住宅団地などの開発が進む北隣の橿原市から近鉄電車で村の境界を越えたとたんに景色が一変するのは、そのためだ。

 村で生まれ育った寺西和子さん(60)は、観光ボランティアガイドを始めて11年目になる。

 5月16日。石舞台古墳で滋賀県から来た30人の修学旅行生の案内をしていた寺西さんは、キトラ古墳の壁画「玄武」のポスターが張られた看板を話題にした。

 「手のひらぐらいの大きさの蛇と亀なんやで。北の守り神でな、色もちゃんと残っていて、今、本物が見られるんやでえ」。男の子から「すっげー」と声が上がった。

 「見慣れた風景でも、外から来た人はものすごく感動してくれる。草1本、石ころ一つ、村のすべてが宝物なんだと思えるようになった」

 夕刻、村の中央にある、かつて蘇我氏が館を構えた甘樫丘(あまかしのおか)に上った。犬養の万葉歌碑があった。

 「采女(うねめ)の袖吹きかへす明日香風 京を遠みいたづらに吹く」

 持統女帝の時代の694年、都は飛鳥浄御原(きよみはら)京から藤原京へ移った。志貴皇子(しきのみこ)がその寂しさを詠んだ。

 それから二度と飛鳥の地が政治の中心になることはなく、代わりに古代の記憶がそのまま残された。

    ◇

 遠くでコトン、コトンと、電車の音が聞こえた。のどかな田園風景を見渡していると、どこかほっとする。寺西さんが、修学旅行生と別れるときの言葉を思い出した。

 「一番素晴らしいふるさとは、みなさんが住んでいるところです。でも、その何番目かに飛鳥を入れてくれて、時々思い出してほしい。飛鳥は日本人共通のふるさとだから」

鉄ちゃんの聞きかじり<吉野鉄道>

 1912年開業の吉野軽便鉄道が発祥。吉野山地から吉野川を水上輸送されていたスギなどの木材を運ぶため、地元の「林業王」で、吉野材木銀行(現・南都銀行)の創業者でもある阪本仙次(1869〜1934)らが、吉野(現・六田(むだ))―吉野口間の11.2キロに敷設した。翌13年、吉野鉄道と社名変更。28年までに橿原神宮前―吉野駅間の全線が開通し、29年には大阪鉄道(現・近鉄南大阪線)との直通運転を開始した。同年、近鉄の前身会社の一つ、大阪電気軌道に統合された。

 線路の幅は他のほとんどの近鉄路線が採用する標準軌(1435ミリ)ではなく、JR路線と同じ狭軌(1067ミリ)。吉野口駅でJR(国鉄)線と直通し、貨車を受け渡せるようにするためだったという。このため、吉野線から京都方面への直通運転はなく、橿原神宮前駅で橿原線への乗り換えが必要だ。

探索コース

 キトラ古墳の壁画「玄武」が特別公開中(27日まで)の奈良文化財研究所飛鳥資料館へは、飛鳥駅からレンタサイクルで約20分。途中、高松塚古墳や甘樫丘がある。資料館の南には、飛鳥京跡や国内最古の大仏がある飛鳥寺、蘇我馬子の墓とされる石舞台古墳、蘇我入鹿の首塚など、飛鳥時代の遺跡・古墳が点在する。

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