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わずか一駅「夢」運ぶ JR和田岬線

ぷらっと沿線紀行(8)

 

写真単線の線路を電車が走り去った。何かをみつけたのか、子供が踏切内でしばらく立ち止まっていた
写真川崎重工業兵庫工場内の引き込み線から運び出されるコンテナ車。JR各社や私鉄に納入される車両が和田岬線を走ることも
写真朝、折り返し運転の電車が走り去っても、まだホームに乗客が残るほど混雑する和田岬駅。「きょうもまたお元気で」の看板がかかった駅舎が出迎える
写真和田岬線を走る電車は朝と夕方から夜だけ。昼間の時間帯は時刻表に空欄が並ぶ
写真船を使って搬出される川崎重工で造られた新型新幹線の車両
写真兵庫運河をまたぐ和田旋回橋。中央の橋脚を中心に90度回って船を通した=いずれも神戸市兵庫区で
地図  

♪単線未電化 わずか一駅

 気動車列車が ガタゴト走る

 それがなんと

 満員満員 超満員の

 和田岬線

 兵庫県伊丹市に住む小学校教諭の村山茂さん(52)が93年につくった「和田岬線の歌」だ。

 高校卒業後、73年に旧国鉄に入った村山さんは、車掌として和田岬線や東海道線に8年間乗務した。在職中に通信教育で資格を取り、民営化前の85年に退職して小学校教諭になった。

 「国鉄時代に体験した鉄道の魅力、旅する楽しさを伝えたい」と北海道から九州までの100路線をテーマにした唱歌を作詞作曲し、99年に「クイズ鉄道100線の歌」(絶版)として出版。和田岬線は75番目だ。

 正式には山陽線の支線。始発の兵庫駅から終点の無人駅・和田岬駅までわずか2.7キロ、電化は01年のことだ。平日の運転は17往復だが、午前10時台から午後4時台は1本も電車が走らない。終点近くの三菱電機と三菱重工業の工場への通勤線だ。

 村山さんが乗務していたころ、朝のラッシュはすさまじかった。「それでも乗客の表情は明るかった。懸命に働けばその分、生活がよくなるという希望が持てる時代だった」

 いまは線路脇に雑草が生い茂る都会のローカル線。その中ほどに、最新の鉄道車両が現れる線路がつながっていた。

■はばたく ぴかぴか新車両

 朝の和田岬線の電車の運転が終わった5月30日午前10時。沿線にある川崎重工業兵庫工場の鉄製ゲートが開いた。構内の引き込み線から、ディーゼル機関車に引かれた真新しい3両のコンテナ車が現れた。

 JR貨物向けの「コキ106形」。トラック輸送に対抗するため時速110キロの高速走行にも耐える設計で、大型の海上コンテナも積み込める。JRの線路を走行し、栃木県の貨物ターミナルに向かった。2日前には、JR東日本から発注された、仙台地域で使われている通勤列車E721系の車両も出て行った。

   ◇

 兵庫工場は、鉄道車両の製造では国内トップの川崎重工の基幹工場だ。和田岬線開業16年後の1906(明治39)年に開設され、累計8万6千両余りを送り出してきた。戦前、旧満州(中国東北部)の南満州鉄道(満鉄)を走った特急あじあ号を引く流線形のパシナ形蒸気機関車や歴代の新幹線車両、今年開業した台湾高速鉄道(台湾新幹線)の車両もつくった。

 5月下旬に工場を訪ねると、7月から東海道、山陽新幹線で営業運転を始める新型新幹線「N700系」の製造が急ピッチで進んでいた。

 鳥が羽を広げたような複雑な形をしている先頭車両は79枚のアルミパネルをつなぎ合わせてつくる。各パネルは、ベテラン技能士らの手作業で曲げられ、ハンマーで微調整を繰り返し、骨組みに取り付けられる。

 アルミ車両課技能士の野上光次さん(52)は1ミリ以内の誤差も見逃さない。「先頭車両は人の視線が集まる一番の花形。精度良く美しい曲面を描いた車両が出荷されてゆくのを見送る時は、苦労が報われます」

 車輪の幅が広い新幹線車両は和田岬線を走れないため、クレーンで船に積み込まれて出荷される。

 川崎重工のゲートから南東に約700メートル、兵庫運河を渡るとレール脇に低い石の列が並んでいるのが目に入った。「鐘紡前駅」のホーム跡だ。戦前、鐘淵紡績(現カネボウ)兵庫工場の最寄り駅として工場従業員でにぎわったが、戦災で焼け、二度と復活することはなかった。

 鐘淵紡績の工場も焼失した。跡地は戦後、神戸競輪場となり、廃止後は神戸中央球技場が建設された。02年に日韓共催で開かれたサッカー・ワールドカップ(W杯)を契機に01年、神戸ウイングスタジアム(現・ホームズスタジアム神戸)として生まれ変わった。

   ◇

 JR西日本は和田岬線に臨時電車を走らせてW杯の観客を運ぶことも検討したが、さばききれないとして断念。逆に、試合の日は混乱防止のため多くの電車が運休になった。

 当時、残念な思いをしたという和田岬駅近くの笠松商店街振興組合の釜須一昭理事長(59)は「和田岬駅をスタジアムの玄関口に、和田岬線をサポーターが集う人やにぎわいの交差点にしたい」と語る。手始めの目標は、スタジアムを本拠地とするヴィッセル神戸の試合観戦用臨時列車の復活だ。企業の発展を支えた小さな無人駅が、地域の新たな夢の始発駅となることを願った。

鉄ちゃんの聞きかじり<和田旋回橋と可動橋>

 JR和田岬線が兵庫運河をまたぐ場所に、1900(明治33)年ごろに完成した和田旋回橋がある。運河を盛んに行き交っていた船を通すためにつくられた可動橋で、中央の橋脚を中心に90度回転して航路を確保する仕組み。いまは動かないが、現存する最古の鉄道旋回橋とされる。

 現役の鉄道の可動橋としては、三重県四日市市の千歳運河にかかるJR貨物の末広橋梁(きょうりょう)が有名。1931(昭和6)年にできた跳開式と呼ばれる橋で、垂直近くまではね上げた橋げたを1日数回下ろして貨物列車を通す光景が見られる。佐賀市と福岡県大川市の間を流れる筑後川にかかる旧国鉄佐賀線の筑後川昇開橋は、1935(昭和10)年の完成。中央部の橋げたが鉄塔の間をエレベーターのように23メートル上昇する。佐賀線は87年に廃止されたが、96年に観光用の歩道橋として復活。1日8回上昇・下降する。

探索コース

 三菱重工業神戸造船所内にある和田岬砲台は勝海舟の設計で江戸幕府がつくった沿岸防備用の砲台(見学は平日のみ。要予約078・672・2418)。「兵庫津の道」には踊り念仏の一遍上人廟(びょう)所、平清盛をまつった清盛塚などがある。笠松商店街には駄菓子屋や銭湯などが軒を連ね、懐かしい風景が残る。

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