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ここから本文エリア 現在位置:asahi.com>関西>関西の住まい>ぷらっと沿線紀行> 記事 ようこそ キネマの世界へ 京福電鉄嵐山線ぷらっと沿線紀行(10) 浅田次郎さんの小説「活動寫眞(しゃしん)の女」は、1969(昭和44)年の京都が舞台だ。
主人公はアルバイトを紹介してもらうため、友人と「嵐電(らんでん)」こと京福電鉄嵐山線で映画の撮影所に向かう。 「小さな、お伽話(とぎばなし)のようなその車両に乗りこんだとき、僕が早くも映画の匂(にお)いを感じとったのは決して錯覚ではない。(中略)明らかに映画人と思える顔が目についたのだ」 「太秦(うずまさ)駅のホームに降りたとき、僕の心はすでに銀幕の彼方(かなた)に飛んでしまっていた――」 太秦広隆寺に改名された駅のホームに降りると、民家の玄関や店が目の前に立ち並ぶ不思議な光景が広がった。 その一軒に「舞踊研究所」という古びた看板が掛かっていた。舞踊振付師、藤間紋蔵さんのけいこ場だ。1965年以来、映画やテレビで数々の振り付けを手がけ、里見浩太朗や富司純子もやってきた。「雨の日も傘がいらない」と藤間さん。 嵐電が嵐山電車軌道として開業したのは1910(明治43)年。26年に東映京都撮影所の前身、阪東妻三郎プロダクション太秦撮影所ができた。松竹や日活の撮影所も続いた。 「活動寫眞の女」では、主人公の友人は30年以上も前に撮影所で自死した美しい大部屋女優の亡霊と恋に落ちる。嵐電に乗って、現実と虚構が交錯するキネマの世界へ行ってみよう。 ■育て映画人 日はまた昇る 1930年代、嵐電沿線には太秦を中心に10カ所近くの映画撮影所が林立した。戦後も東映、大映、松竹の各撮影所を中心に時代劇映画の黄金期を築く。やがて斜陽の時代を迎え、大映は71年に倒産。この街に残った二つの撮影所は、いまも多くの映画とテレビドラマを送り出す。 その一つ、松竹京都映画撮影所でいま、映画をめぐるユニークなプロジェクトが進行中だ。 「言葉で表現できなければ映像にはできない」 5月11日、新設されたばかりの立命館大学映像学部の講義。客員教授の映画監督山田洋次さんが、学生たちに語りかけた。 立命館と松竹、松竹京都映画は、将来の映像産業を担う人材の育成で連携することで合意。山田監督が「たそがれ清兵衛」を撮った太秦の松竹京都映画撮影所では、学生とプロの共用施設を作る構想が進む。今月15日夜には撮影所を約30人の学生が訪ね、今夏から放映されるテレビ時代劇の新番組の撮影風景を見学した。 ◇ 太秦広隆寺駅から西に約300メートルの民家に、撮影所関係者らでつくるNPO法人「京都の文化を映像で記録する会」の事務所がある。 理事の千本木亮二郎さん(73)は30歳前後の数年間、沿線にあった制作会社「東伸テレビ映画」に勤めた。 当時、現在の「ナショナル劇場版」の前の「ブラザー劇場版」と呼ばれるテレビシリーズの「水戸黄門」を撮影していた。映画スターの月形龍之介が主役。「重厚感があって、セットに入ってきたらぴんと張りつめるような雰囲気になった」と振り返る。 番組制作が続いていた65年、東伸テレビ映画は倒産。千本木さんも業界を離れたが、3年前にかつての同僚に誘われてNPOに加わった。自宅と事務所との行き帰りで嵐電に乗るうち、撮りたい気持ちを抑えられなくなった。今月、2年がかりで自作ビデオ「京都・嵐電沿線を往(ゆ)く」を完成させた。 運転士の視点と沿線の映像が巧みに切り替わり、踏切の警報機の音やレールのきしむ音が臨場感を盛り上げる。3部構成の1、2部は昨夏に完成し、3部は現在、NPOのホームページ(http://www.miyakodori.org/)で公開中だ。 ◇ 四条大宮から嵐電に乗った。車やバスにもまれるように三条通を西に。太秦広隆寺駅の手前、蚕ノ社(かいこのやしろ)駅を出ると、「水戸黄門」のオープニングテーマが車内に流れる。2年前、沿線の活性化策を話し合う「嵐電サミット」で地元の大映通り商店街で書店を営む御舘統生(みたち・おさむ)さんが提案したのをきっかけに今春から実現した。 帷子ノ辻(かたびらのつじ)駅ではホームに地元の中学生たちが育てたアジサイが満開だ。20分ほどで終点の嵐山へ。150円を払ってホームの足湯につかると、ほっとして疲れがほどける。千本木さんのビデオのエンディングがよみがえった。 「実際におこしいただいて、奥の深い嵐電沿線を堪能して下さい」 鉄ちゃんの聞きかじり<嵐電と京福電鉄> 嵐電のルーツは嵐山電車軌道。1918年、京都電燈に合併され、嵐山電鉄部になった。 京都電燈は14年に福井県内で越前電鉄、25年に叡山電鉄を開通させるなど事業を拡大。26年に帷子ノ辻から北野までの北野線が全線開業し、29年には嵐山から愛宕山までを鉄道路線とケーブルカーで結ぶ愛宕山鉄道(44年に廃止)も開通した。 これらの鉄道部門が42年に独立して京福電鉄が誕生。白梅町―北野間は58年に京都市電に譲渡された。叡山電鉄は91年、京阪電鉄に経営権を譲られ、現在は同社子会社。 京福電鉄は00年12月と01年6月、福井県内の越前本線で2度の正面衝突事故を起こし、同県内の全3路線の鉄道事業廃止届を提出。うち2路線は第三セクター「えちぜん鉄道」に引き継がれた。現在、嵐電は京福電鉄唯一の鉄道。昨年11月、「嵐電」が正式な呼称になった。 探索コース 沿線には観光名所の寺社が多く、この時期は初夏の祭事や催しが相次いで開かれる。妙心寺の塔頭(たっちゅう)「東林院」では6月末まで「沙羅(さら)の花を愛(め)でる会」。車折(くるまざき)神社や北野天満宮では今月30日を中心に、罪やけがれをはらう夏越祓(なごしのはらえ)がある。嵐山では、7月1日から鵜飼(うか)いが始まる。 |