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起点駅 たそがれ JR神戸駅

ぷらっと沿線紀行(12)

 JR神戸駅の5番線ホームの真ん中あたり。レールの向こうの側壁に、高さ2メートルの白いくいが打ち込まれている。

写真薄暮の神戸駅前広場。雨上がりに出来た水たまりに駅の明かりが輝いて映った=神戸市中央区で
写真東海道線と山陽線の分岐点を示す0キロポストが見える神戸駅の5番ホームに、特急「はまかぜ」が入ってきた=神戸市中央区で
写真兵庫の豪商・北風正造の碑。境内には彼の墓も残る=神戸市兵庫区の能福寺で
写真神戸駅構内の飲食店奥にある貴賓室。気品と風格が漂う玉座が往時を物語る=神戸市中央区で
写真JR神戸駅と高速神戸駅を結ぶ地下街にある広場。地上はバスターミナルになっている=神戸市中央区で
写真戦前から戦後にかけて特急「燕」に連結されて走っていた展望車
地図  

 左に「東京起点589K340M」、右に「神戸起点0K0M」。東海道線589.34キロの終点と、山陽線の起点を示す「0キロポスト」だ。

 新橋―横浜間に日本初の鉄道が開通してから2年後の1874(明治7)年5月11日、大阪―神戸間もレールがつながる。このとき、神戸と三ノ宮の二つの駅ができた。神戸市の「主要駅」の地位を争った両駅の地元が1953(昭和28)年、正面から激突する。

 当時、国鉄の特急は「1都市1停車」が原則。京都と博多を結ぶ特急「かもめ」の運転が決まると、神戸駅周辺の住人らは署名を集めて直訴。国鉄は、上りは神戸駅、下りは三ノ宮駅に停車するという裁定をした。

 姫路独協大教授で郷土史家の道谷卓さん(42)は「繁栄する三ノ宮に対し、繁華街の新開地の衰退で沈滞する神戸をなんとかしようという地元の人たちの気持ちの表れだった」と話す。

 だが、50年代末に神戸市役所が三ノ宮駅近くに移転し、勝敗はほぼ決する。今では神戸駅に止まる特急は、1日3往復の「はまかぜ」だけだ。

 鉄道の草創期を担ったこの駅の誕生には、幕末・明治の激動期に歴史の波間に消えた一人の豪商がかかわっていた。

■志とともに駅は生まれた

 「兵庫大仏」で知られる神戸市兵庫区の能福寺。その境内に、「北風正造君碑」がある。1896(明治29)年に当時の兵庫県知事が建立。元勲伊藤博文が揮毫(きごう)した。

 北風家は江戸時代に回船業で財をなした豪商。正造は養子として入り、家長になった後は伊藤や西郷隆盛らに活動資金を援助して、討幕運動を陰で支えた。

 明治新政府ができると、湊川神社の建立などに私財を投入。1872年、約4万坪(約13万平方メートル)の広大な所有地を、神戸駅の建設用地として無償で提供した。

 神戸駅ができてしばらくして、回船の入港が減り始める。北風家は1893年に破産。正造も2年後に亡くなった。正造の養子の安田荘右衛門の孫にあたる男性は「正造は『商売で得たお金は天皇から預かったもの。お国のためになるならお返ししなければいけない』と、父によく話していた。世の中のためならお金を出す、商売っ気のない人だった」と母親から聞かされたという。

 神戸駅は山陽鉄道と連絡した際に駅舎を建て替えた。高架化に伴って1934(昭和9)年に完成したのが現在の3代目駅舎だ。

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 4年前、2代目駅舎の時代から100年以上も構内で営業を続けてきた食堂「みかど」が店を閉めた。

 1901年に高級洋食店として創業。3年後、日露戦争の黄海海戦で勝利した東郷平八郎連合艦隊司令長官らが神戸港に上陸して立ち寄り、食事をしてから明治天皇に戦果を報告するため東京に向かったという。

 戦後は大衆食堂に転換。高度成長期に営業部長だった龍川勝さん(86)は「近くの川崎重工業の労働者らが詰めかけて大盛況だった」と振り返る。だが、にぎわいが三ノ宮側に移るにつれて客は減り続けた。

 みかどの後藤二郎社長(66)は「会社発祥の駅なので特別な思い入れがあった。残念だったが、時代に合わず撤退を決めた」と話す。現在は他の駅で営業を続ける。

 神戸駅に「復権」のチャンスがなかったわけではない。1958年に発足した神戸市出資の第三セクター、神戸高速鉄道は、神戸電鉄湊川駅から高架を延ばし、神戸駅に接続する線路を作る計画を立てていた。実現すれば神戸駅が有馬温泉や三木市方面への玄関口になる。

 しかし、「用地買収の見込みが立たず、国鉄も乗り入れに難色を示した」(「神戸高速鉄道のあゆみ」)ため、64年に断念する。

 神戸駅近くの和菓子店「幸福堂」の3代目店主、佐々田善繁さん(71)は、神鉄の乗り入れを見越して4階建てのビルを建てた。「実現していれば、神戸駅はもっとにぎわったに違いない」と悔しがる。

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 山側から神戸駅に入る。窓には文字盤にステンドグラスがはめこまれた丸い時計が時を刻む。

 左手の飲食店のカウンターの奥に、大理石の暖炉や豪華な玉座のある部屋が保存されている。元は皇族が休むための貴賓室だった。神戸駅が時代の主役だったころの香気が、ほのかに立ち上ってくる気がした。

鉄ちゃんの聞きかじり<1番ホームと超特急燕>

 神戸駅の1番ホームが完成したのは、1930年10月。同月、神戸と東京を結ぶ「超特急」とうたわれた「燕(つばめ)」が誕生し、このホームから発車するようになった。

 燕は蒸気機関車が引き、東京まで9時間。表定速度(停車時間を含めて計算した平均時速)は65キロ。当時としては画期的なスピードだった。水を補給するための停車回数を減らそうと、特別設計の水槽車を機関車の後に連結する工夫もあった。展望車と食堂車もあった。

 戦前は1番ホームから東京方面に向かう優等列車(特急や急行列車)が多く運転された。

 東海道新幹線開業翌年の65年を最後に、神戸駅始発の定期優等列車は姿を消す。89年、北陸方面への特急「スーパー雷鳥」が始発となったが、8年後に姿を消した。

 現在は平日朝の約1時間、9本の上り快速電車が発着するだけだ。

探索コース

 JR神戸駅から約1.4キロ南西に能福寺がある。兵庫駅からだと、海側(東)へ約500メートル。高さ11メートルの「兵庫大仏」は、奈良、鎌倉とともに「日本三大大仏」に数えられたが、戦時中に金属供出のため壊され、91年に再建された。寺の前の道を南に500メートルほど行くと、平清盛の供養のために建てられたとされる「清盛塚」がある。

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