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「にゃ〜」響く坂道 近鉄生駒ケーブル

ぷらっと沿線紀行(22)

 夕刻、奈良県生駒市の近鉄生駒駅に大阪から電車が到着した。降車したスーツ姿のサラリーマンの一部は、生駒ケーブル宝山寺線の鳥居前駅へ向かう。

写真夕暮れの街を背に宝山寺駅に向かう「ミケ」。異界のような、不思議な雰囲気が漂う
写真宝山寺線を走る「ブル」(左)と「ミケ」。すれ違う時は車内放送で鳴き声が流れる
写真(左)山上線の「ドレミ」。オルガンと音符のイメージ (右)山上線の「スイート」。ケーキをデザインしている
写真(左)カブトムシやクワガタの絵が描かれた「ゆめいこま」 (右)「ブル」と「ミケ」の運休時や繁忙期に走る「ゆめいこま」。小学生の描いた絵が車体にペイントされている
写真2000年まで使用されていたコ1形車両。生駒山麓公園に展示されている=いずれも奈良県生駒市で
写真1929(昭和4)年の開設直後の飛行塔=近鉄提供
地図   

 ホームで彼らを待っていたのは、「ミケ」。車体の前後がネコの顔、赤い口を半開き、二つの丸い目が窓になっている。ほかにイヌ形の「ブル」もいる。

 「最初は、なんじゃこりゃって気が引けた。でも、今は慣れたし、乗り心地も良いような気がするんですよねえ」と会社員の出口正和さん(46)。

 宝山寺線は1918(大正7)年、中腹にある「生駒の聖天(しょうてん)さん」こと宝山寺への参拝客を運ぶために開業した国内最古の旅客用ケーブルカーだ。国内唯一の複線。29年には宝山寺と山上を結ぶ山上線も開通した。

 元近鉄社員の寺井嵩雄さん(76)によると、昭和30年代には週末と月2回の縁日には長い乗客の列ができた。「複線じゃないとさばけなかった」

 いま、参拝客もミケやブルに乗る。7年前までのレトロな「いのり」「めぐみ」に比べるといかにもミスマッチだ。年に数回、お参りに来るという大阪府東大阪市の男性(74)は「ミケも幸せの招き猫って感じでいいんじゃないですか」。

 「大変身」は、山上のある変化の影響だったという。

 「にゃ〜〜」。私には確かにそう聞こえた警笛を鳴らし、ミケは坂道を上り始めた。

■ふわり 時空の旅へ

 「乗客は定めし大空を走る飛行機の愉快さを味覚するであらう」

 1929(昭和4)年3月26日、大阪朝日新聞の大和版(当時)は、完成間近の生駒山上遊園地の「飛行塔」を紹介した。標高642メートルの山頂に立つ高さ約40メートルの鉄塔を、4機の飛行機形のゴンドラが回りながら上下する。

 手がけたのは大型遊戯機械の先駆者とされる故土井万蔵氏(1883〜1965)。「遊園地の文化史」(中藤保則著、自由現代社)によると、自分の幼い娘がぐるぐる振り回されて楽しんでいる様子がヒントになったという。千里山花壇(大阪府吹田市)や愛宕山の山上遊園(京都市)など、同時期に全国数十カ所に建設されたが、ほとんどは太平洋戦争中、「不要不急」として兵器の材料にされ、姿を消した。

 宝山寺の門前で旅館「たき万」を営む奥垣守弘さん(72)は、終戦翌日の45年8月16日、不時着した日本軍の戦闘機を見ようと、海軍に接収されていた遊園地に忍び込んだ。

 恐る恐る草むらをかき分けて進むと、突然、鉄塔だけになった飛行塔が目の前に現れた。

 「無事やったか!」

 大阪平野を見渡せる立地から防空監視所として使われたため、解体を免れたのだ。翌年には早くも新しい飛行機を付けて復活し、敗戦ですさんだ人々の心を潤した。

   ◇

 だが、80年代以降、宙返りが売り物の「絶叫マシン」が主役の座を奪う。年間入場者も右肩上がりに増え、92年に67万2千人を記録した。その後は若者の遊園地離れで急落。04年にはピーク時の3分の1以下の17万4千人まで減った。通算30年ケーブルに勤める島田豊さん(54)は「遊園地を訪れる人が減るのがはっきりわかった」。

 宝塚ファミリーランド(兵庫県宝塚市)や阪神パーク(同西宮市)など、戦前から続く老舗(しにせ)遊園地が次々と閉園を決める中、近鉄は起死回生の賭けに出る。入園料を無料にし、絶叫マシンを撤去してスポンジの積み木やすべり台をそろえた「キッズランド」、アニメの立体映像を楽しむ「3Dシアター」、「ペットふれあいの森」を新設。家族連れやハイキング中の団塊の世代が気軽に立ち寄れる遊園地へと転換を図った。ケーブルへのミケやブルの導入は「改革」の目玉だった。06年の年間入場者は20万人まで持ち直した。

 絶叫マシンがなくなったいま、レトロな巨大飛行塔の存在感は圧倒的だ。「観覧車物語 110年の歴史をめぐる」(平凡社)の著書があり、飛行塔の歴史に詳しい作家の福井優子さん(60)は「戦前から利用され続けてきたのは奇跡的で、価値は国宝級。まずは登録有形文化財の指定をしてほしい」と話す。

   ◇

 25日の夕刻、飛行塔に行ってみた。「ジリリリ」というベルを合図に、2本のワイヤでつるされた機体はゆっくりと浮き上がり、スピードを増す。大阪や奈良の街並み、遠く六甲山、京都まで見渡せる。空中を飛んでいるようなこの感覚は、80年前と変わらないのかもしれない。

鉄っちゃんの聞きかじり<ケーブル都合で秘境駅>

 周囲に人家がなく、なぜそこに駅があるのかわからない不思議な駅を鉄道ファンは「秘境駅」と呼ぶ。

 生駒ケーブル山上線の途中にある霞ケ丘駅も典型的な秘境駅だ。霞ケ丘駅の周囲にはうっそうとした雑木林が広がるばかり。ここから乗車しようとすれば、山道を歩いて行かなければならない。

 山上線は鋼索(ケーブル)の両端に車両がつながっていて、片方が山上へ上がると、もう片方が下がる。なので片方の車両を梅屋敷駅に停車させると、もう一方が索道の途中で止まっていなければならなくなる。そこでその位置に霞ケ丘駅ができたというわけだ。

 「秘境駅へ行こう!」「もっと秘境駅へ行こう!」(小学館文庫)の著者で会社員牛山隆信さん(40)=広島県三次市=は「秘境駅は誰でも行ける身近な異次元。歩いてしかたどり着けない駅は珍しい」と話す。

探索コース

 生駒山上遊園地から信貴生駒スカイラインを車で北に5分ほど走ると生駒山麓(さんろく)公園があり、1918(大正7)年から2000年まで宝山寺線を走っていた車両がそのまま野外に展示保存されている。引退時に近鉄が生駒市に譲った。車内に入ることができ、壁に張られた開業当時の沿線や車両の写真、ケーブルカーのしくみを紹介した古い案内板を見ることができる。

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