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道連れは まぶしい海 山陽電鉄

ぷらっと沿線紀行(25)

 「シーサイドエクスプレス」の愛称にふさわしい景色は、始発の山陽姫路駅を出てから約30分後に飛び込んできた。

写真夕日の明石海峡大橋をバックに駆け抜ける山陽電鉄の直通特急=神戸市垂水区で
写真秋の雲が広がる空の下、鉄橋を渡る山陽電鉄の車両=兵庫県姫路市で
写真指さし確認をする車掌=兵庫県明石市で
写真背後に山が迫る須磨浦公園駅。椎名麟三もこのあたりを車掌として乗務した=神戸市須磨区で
写真網干駅の建設工事の様子=山陽電鉄提供
地図  

 阪神梅田行きの直通特急は、兵庫県明石市の大蔵谷駅を通過すると、一気に海岸へ。眼前に明石海峡大橋が立ち上がり、遠く緑の淡路島が望める。山陽須磨駅までの約10キロは、瀬戸内海と道連れだ。

 「沿線は日本一風光明媚(めいび)で名所旧跡に富み、四季遊客が絶えないであろう」。この区間を開通させた兵庫電気軌道(兵電)社長の川西財閥総帥・川西清兵衛は、1917(大正6)年4月の記念式典で自賛した。

 だが、翌18年6月5日、神戸又新(ゆうしん)日報に「兵電内閣更迭 伊藤英一派乗取(のっと)る 川西派連袂(れんべい)(行動をともにし)辞任」の見出しが躍る。明石―姫路間の鉄道敷設免許をめぐって争っていたライバル・播州鉄道を率いる伊藤英一に乗っ取られたのだ。

 川西らは明姫電鉄に移り、明石―姫路間を開業する。27(昭和2)年、関西電力の前身の宇治川電気が2社を合併。33年に山陽電鉄が発足する。

 25歳まで沿線で暮らした経済評論家の内橋克人さん(75)は「今より格段に悪い交通事情の中で、鉄道は唯一の移動手段。人々の生活に直結するものだからこそ、競争は熾烈(しれつ)で生々しいものだった」と話す。

 29年、戦後派文学の旗手となる若者が車掌として入社した。

■川を渡った。故郷は、温かい。

 私は、関西の一私鉄に働いている名もない労働者である。十九のとき、この私鉄へ入って以来、三十年近くつとめて、今年はもう四十七になる――。

 戦後派作家として名を残す椎名麟三(1911〜73)の長編小説「美しい女」は、後に山陽電鉄になる宇治川電気時代の同僚をモデルに、自らの車掌体験を織り込んでいる。

 椎名は兵庫県飾磨郡曽左村(現姫路市書写)に生まれた。父親の事業失敗で困窮し、14歳で家出。29(昭和4)年、母親の自殺未遂を機に、車掌になった。日本共産党に入り、31年に一斉検挙で逮捕。鉄道員生活は約2年で終わった。獄中で転向し、47(昭和22)年に「深夜の酒宴」で文壇デビューした。

 人間が運命やしがらみから「自由であること」をテーマに作品を書き続けた。「美しい女」では、主人公が心に抱く「眩(まぶ)しい光だけで姿の見えない美しい女のイメージ」を、自由の象徴に用いた。

 玉田克宏・姫路文学館学芸員(48)は「労働運動で挫折したからこそ、椎名は文学を志した。自分が実感を持てる庶民を主人公とし、実体験を元に自伝的な題材を描くスタイルの作家なので、車掌体験が作家・椎名の源流となった」と話す。

 その椎名が家出以来28年ぶりに帰郷したのは54年10月。同郷の作家田靡(たなびき)新さん(74)は、バスで同行した。「夢前川の橋がなかなか渡れなくてね。一種の犯罪者のような気分を背負っていたんですよ」。椎名はそう述懐したという。

    ◇

 姫路市香寺町にある「日本玩具博物館」館長の井上重義さん(68)も元山陽電鉄マンだった。

 「あれは何だろう?」

 67年8月6日夕。車掌として乗務中、姫路市の八家(やか)駅近くの民家の軒先で七夕の笹竹(ささだけ)に飾られた紙人形を見つけた。「七夕人形」。江戸〜明治時代によく飾られたが、今では長野県松本市や仙台市などわずかな地域にだけ残っている風習。当時、姫路市の七夕人形についての記録はなく、存在は知られていなかった。

 調べてみると、山陽沿線の5駅周辺で飾られていた。北を走るJR沿線にはない。著書「兵庫の郷土玩具」などで紹介した。「車掌になっていなければ見つからなかったかも。山陽沿線は昔のものが大切に残されている地域だと実感しました」

 24歳から集め始めたコレクションが5千点を超えた74年、自宅の一角に前身の井上郷土玩具館を開く。84年に45歳で退職するまで、館長と広報誌編集の二足のわらじを続けた。

 「理解ある上司に恵まれ、開館時には山陽電鉄から金一封も出た。おおらかな社風に感謝している」

    ◇

 阪神梅田行きの直通特急は、いわし雲の広がる空の下を走る。スピードは並行するJRには遠く及ばないが、揺れも少なく、落ち着いて乗っていられる。「赤く錆(さ)びている沿線の家の屋根屋根や、そしてあの泡立っている海などが、私におかしなやさしさを感じさせてくれる」(美しい女)。椎名が感じた温かさは、沿線にいまも息づいている。

鉄っちゃんの聞きかじり<岡山まで延伸構想も>

 山陽電鉄は、山陽姫路―西代(神戸市長田区)の本線(54.7キロ)のほかに飾磨―山陽網干の8.5キロを結ぶ網干線がある。かつては、この網干線を岡山まで延ばす構想があった。

 山陽電鉄の前身の宇治川電気が1928年、岡山までの新線を目指して飾磨―岡山間の鉄道敷設免許を申請した。この計画は認められなかったが、35年に日本製鉄(現・新日鉄)が広畑製鉄所の建設を決めて工員輸送の必要性が高まり、37年に飾磨―網干間に限って免許が交付された。網干線は39年着工、41年に全線開通した。

 戦後、網干線の延伸計画が再浮上。49年に網干―赤穂間25.2キロの免許を申請し、52年に認められた。その後、道路建設などの影響で工事施工内容がたびたび変わり、技術面、資金面の問題が発生。71年に廃止申請が認められ、延伸計画は完全に消滅した。

探索コース

 山陽姫路駅から北へ1キロほど歩くと、国宝・姫路城がそびえる。周辺には文化施設が豊富。北西にある姫路文学館には、椎名麟三のほか、和辻哲郎、阿部知二ら播州ゆかりの作家らの資料が展示され、司馬遼太郎記念室も常設する。城の北東には、姫路市立美術館、兵庫県立歴史博物館、国内外の城郭資料を集めた日本城郭研究センターが並んでいる。

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