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橋の向こう 幻の水面 近鉄京都線・向島駅

ぷらっと沿線紀行(32)

 京都駅を出発した近鉄京都線の普通電車は、近鉄丹波橋駅を出ると間もなく高架橋に上がる。次の桃山御陵前駅から約800メートルの区間は、1928(昭和3)年11月に奈良電鉄が完成させた「京都初」の高架線だ。

写真宇治川にかかる鉄橋を、ほんのりと夕日に染まった電車が越えていった=京都市伏見区で
写真池の跡にできた団地と田んぼが、鮮やかな対比を見せる=京都市伏見区の向島駅付近で
写真内田又夫さんが残したハス園に咲くハスの花=同区で、金子明雄さん提供
地図   

 計画時には地上や地下化も検討されたが、明治天皇の墓所の桃山御陵への参道と京阪宇治線を横切ることや、伏見の酒造用地下水への悪影響を避けるために高架が採用されたという。

 前方に巨大な緑色の鉄橋が見えてきた。中央の鉄げたの頂点の高さは24.4メートル。宇治川をひとまたぎする澱川橋梁(よどがわきょうりょう)だ。無数のリベットを打たれた武骨な鉄骨が、電車の重みに「ゴオッ」とほえる。

 川を渡り切ると、線路は街並みの中に入っていく。突然、西側の車窓が不意にまぶしくなった。建物が消え、視界には刈り取りを終えた一面の田んぼが広がった。

 反対側の東に目をやると、向島(むかいじま)ニュータウンの高層住宅が立ち並ぶ。向島駅を過ぎると田は消え、再び街が戻ってきた。

 晩秋、線路脇にある田の一角にコスモスが咲き誇っていた。十数年前から趣味で続けているという橋本隆さん(68)が、興味深い話をしてくれた。「春になると、あぜや田からハスが生えてくる。昔の名残です」

 農地も、ニュータウンも、線路も、昭和の初めまでは池の底だった。

■蓮がささやく。ここが古里

 「ふっと気がついて見ると、私たちは見渡す限り蓮(はす)の花ばかりの世界のただ中にいたのである。(中略)私は全く驚嘆の情に捕えられてしまった」

 哲学者の和辻哲郎(1889〜1960)は1920年代、巨椋池(おぐらいけ)を訪れたときの驚きと感動を、随筆「巨椋池の蓮」につづった。

 現在の京都市伏見区の南部や宇治市、久御山(くみやま)町にまたがる低地は、宇治川、木津川、桂川などが集まる。その合流点付近に巨椋池があった。

 古代から景勝地として知られ、万葉集巻九に「巨椋(おほくら)の入江響(とよ)むなり射部(いめ)びとの伏見が田井に雁(かり)渡るらし」(巨椋の入り江が鳴き声で響いているのが聞こえる。伏見の田に雁が飛び渡っていくらしい)と詠まれた。

 豊臣秀吉の伏見築城に伴い宇治川が北へ曲げられてからも、巨椋池は周辺の農地を潤し、漁民の生活を支えていたが、1907(明治40)年の淀川改修の完成で宇治川と一水路で結ばれるだけになった。

 大雨が降ると水を排出できず、周辺の浸水はたびたび。水の出入りが減って水質が悪化し、蚊を媒介としたマラリアの流行に悩まされた。

    ◇

 電車が開通した1928年、巨椋池の命脈は尽きようとしていた。

 向島駅の近くに住む橋本好弘さん(75)は開通後の生まれだが、大人から聞いた工事の様子を覚えている。「松林を切り、くいにして線路用地の両側の水面に突き刺し、間を埋めて路盤をつくった」

 衛生対策や食糧増産のため、巨椋池は初の国営干拓事業の対象になる。33(昭和8)年から8年間かけて周囲16キロ、約800ヘクタールあった池を干上がらせ、周辺の土地改良と合わせ約1900ヘクタールもの美田を生んだ。

 向島ニュータウンができるのは72(昭和47)年から。6500戸、1万5千人の足として79年、向島駅が開業した。一方、線路の西側は農業振興法で開発が制限され、対照的な車窓風景が作り出された。

 向島駅から西へ3キロ。干拓田の一角に、350ものハスの鉢植えが並んでいる。消えた巨椋池のハスを復活させようと、故・内田又夫さんが30年ほど前、個人で開いたハス園だ。満開となる7月には、知人や近くの人らでにぎわう。

 農家だった内田さんは、お盆向けのハス栽培をきっかけに、巨椋池のハスにのめり込んだ。池が干上がった今でも、地中にレンコンとなって眠るハスが、時折田畑やあぜ道から顔を出す。その姿を追い求めては、愛用のバイクで干拓地を走り回り、地元の種だけで約80を集めた。

 ハスの写真撮影が縁で、後を任された金子明雄さん(55)は、京都府立植物園の技術課長。「内田さんが残したものをどう続けていくか」

    ◇

 「巨椋池の蓮」は50年の7月に書かれた。現地の様子を確認しなかった和辻は「あの蓮の花の光景がもう見られなくなっているとしたら、実に残念至極のことだと思うが、しかし巨椋池はかなり広いのであるからそんなことはあるまい」と結んだ。

 和辻の予想は外れたが、夏が来れば内田さんのハスがまた咲き誇る。

鉄っちゃんの聞きかじり<橋げたは一つ、軍関与>

 「澱川橋梁」(国登録有形文化財)は、長さ165メートル。途中に橋脚がなく、一つの橋げたで両岸をつなぐ特殊な構造になっている。1928年の開通当時、この橋げたの長さは「東洋一」とうたわれた。現在でも単純トラス橋としては日本最大級だ。

 63年に近鉄と合併した際に奈良電鉄が出した社史によると、当初は川に橋脚を6基建てる予定だった。だが旧陸軍の工兵部隊が「夜間に架橋演習をするのに、橋脚が邪魔で危ない」と架橋場所の変更を求めた。このため橋脚なしで済む工法に変更。国産で足りない材料は海外から鋼材を取り寄せて間に合わせた。

 工事では、木製の仮橋を通した上に高さ30メートルに及ぶ鉄製の移動式作業場を築き、鋼材の巻き上げや固定をしたという。総工費は80万円。28年4月1日に着工し、同年10月16日には完成を見た突貫工事だった。

探索コース

 桃山御陵前駅から南へ10分ほど歩くと宇治川に出る。澱川橋梁の東にかかる観月橋(かんげつきょう)を渡り、南詰めから分かれる旧街道は、周囲より建物1階分ほど高い。豊臣秀吉が宇治川治水のため築かせた「太閤堤(づつみ)」の名残で、今年9月にかつての姿が宇治市内で発掘され話題になった。ハス園へは、京阪本線淀駅から久御山町の「のってこバス」西ルート前川橋下車、徒歩約5分。

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