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ここから本文エリア 現在位置:asahi.com>関西>関西の住まい>ぷらっと沿線紀行> 記事 夢と走れ 城下の忍者 伊賀鉄道ぷらっと沿線紀行(35) 午前8時すぎ。三重県伊賀市の近鉄大阪線に隣り合う伊賀鉄道の伊賀神戸(かんべ)駅ホームは、通学の高校生たちであふれていた。数少ない、込み合う時間帯だ。
前面に女性忍者「くノ一」の大きな瞳が描かれた「忍者電車」は折り返し上野市駅行きとなり、伊賀盆地の田園風景を進む。池に朝もやがかかり、田んぼではシラサギが羽を休める。 桑町駅の北にかかる赤茶色のれんがを積んだ桑町跨線橋(こせんきょう)のアーチをくぐった辺りから、電車は市街地へ入っていく。 74年秋。フォークグループ「五つの赤い風船」のリーダー西岡たかしさん(63)は、コンサートに向かうため当時近鉄の路線だった伊賀線に乗った。 伊賀上野城の城下町として栄えた面影を残す上野市の街並みは「歴史と文化がじんわりと熟成された箱庭のようだった。別天地に来た気がした」。メモ用紙2、3枚に情景を書き連ね、一つの曲が生まれた。 ♪小さなお城の伊賀の町 静かな暮らしの上野市 曲名は「上野市(まち)」。人情味を出したくて、「市」を「まち」と読んだ。伊賀市になった2年ほど前にも訪れたが、「街の雰囲気はほとんど変わらず、うれしくなった」と話す。 赤字続きだった伊賀線は昨年10月、第三セクター「伊賀鉄道」に変わった。その陰に、自分たちの「足」を守ろうと奮闘した高校生がいた。 ■僕らと どこまでも 06年4月、三重県立上野高校に8人の鉄道同好会ができた。2年生ながら部長になった森喜駿(もりき・しゅん)さん(18)は「伊賀線を盛り上げる活動をしよう」と心に決めていた。 伊賀線はピークの66年度、年間約414万人を運んだ。マイカーの普及などで下降線をたどり、05年度は約230万人まで落ち込んだ。年間の赤字は約4億円に上っていた。 祖父に連れられて幼い頃から写真を撮っていた森喜さんは、中学時代に廃線のうわさを聞いた。高校入学直後から級友らに声をかけ、1年がかりで同好会設立にこぎ着けた。 模型や写真への興味が中心の他のメンバーとは思いがかみ合わない。「休日に利用実態調査をしよう」と提案して反発されたこともあった。 流れを変えたのは、地域住民との交流だった。 昨年3月、近鉄と掛け合い、伊賀線の写真約40枚を飾った「ギャラリー電車」を走らせた。2年の安岡岳さん(17)の作品も数枚あった。乗り合わせた利用客や友人が「きれいな写真だね」とほめてくれた。 その後も、見どころを紹介する沿線マップを作ったり、県内各地で鉄道展を開いたりする度に感謝の言葉をかけられた。「感動の連続でした」と安岡さん。伊賀線を守ることは部員共通の目標になった。 「廃線になるんじゃないかと不安でした」。伊賀市長の今岡睦之さん(68)は、04年5月に大阪市天王寺区の近鉄本社で山口昌紀社長(71)=当時、現会長=と会った時のことを振り返る。当時は上野市長。その約2カ月前、近鉄は「現状では存続は難しい」と申し入れていた。 だが、山口社長の言葉は意外だった。「うちは鉄道屋。球団は手放しても、鉄道は撤退したくない」。施設を近鉄が保有したまま、第三セクター「伊賀鉄道」が運行を担う上下分離方式を採用し、周辺自治体が10年間に計6億500万円の赤字を補填(ほてん)する枠組みが固まった。 ◇ 手裏剣形の青や緑の発光ダイオードが輝く車内に、エレキギターの音と歌声が響く。昨年12月に開かれた地元ロックバンド「S2C Super」の車内ライブ。乗客約30人も手拍子で盛り上げた。「お客さんが逃げられへんのがいい」。ギターの川村真示さん(50)はおどけた。 沿線住民らでつくる「伊賀鉄道友の会」の発足記念イベントの一つだ。新会社になっても、利用の低迷は変わらない。会長の池澤基善さん(58)は「アイデアを出し合って、伊賀線を楽しめれば」と話す。 ◇ 上野市駅近くのお茶と茶道具販売店「むらい萬香園(ばんこうえん)」。村井元治さん(54)、節子さん(49)夫妻は電車を待つために喫茶コーナーを訪れる高校生に無料でお茶を振る舞う。 「志望校めざしてがんばるね」「いつ来ても、ここ最高やねん」 店の片隅に置かれたA4判のノートには、生徒たちが勉強や恋愛、夫妻へのメッセージをつづる。約8年前から始まり、18冊目。 メール全盛の中の手書き文字の交流。「伊賀線がくれた出会いやね」。村井さんの言葉が胸に残った。 鉄っちゃんの聞きかじり<伊賀と甲賀 結ばれぬ宿命?> 伊賀と甲賀。二つの忍びの里が鉄道で結ばれていたかもしれない。現在の近江鉄道貴生川駅(滋賀県甲賀市)と伊賀鉄道広小路駅(三重県伊賀市)を23.6キロの単線でつなぐ「伊賀上野線」構想のことだ。 近江鉄道が1928(昭和3)年に敷設認可を得た。岐阜・滋賀両県や北陸から伊勢神宮(三重県伊勢市)に向かう参拝客を見込んだ延伸だった。伊賀線に乗り入れ、さらに参宮急行電鉄(現在の近鉄大阪線と山田線)への連絡を想定。米原駅と伊勢神宮近くの宇治山田駅は、「当時としては記録的な速さ」(近江鉄道社史)の2時間57分で結ばれるはずだった。 三重県側の用地買収は終わっていたが、買収地を小作地として貸していたため、戦後の農地改革で手放さざるを得なくなった。地方の交通事情もバス主体へと移りつつある中で、1958(昭和33)年、最終的に断念に追い込まれた。 探索コース 伊賀市は俳人松尾芭蕉の出身地でもある。上野市駅北側に広がる上野公園内には、芭蕉の直筆資料などが並ぶ「芭蕉翁記念館」や旅笠をかぶった芭蕉をイメージした「俳聖殿」が点在する。また広小路駅から北東へ徒歩約5分で芭蕉が生まれたとされる「芭蕉翁生家」。芭蕉五庵の一つで、唯一現存する「蓑虫(みのむし)庵」は、茅町(かやまち)駅から西へ歩いて約10分の場所にある。 この記事の関連情報 |