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ここから本文エリア 現在位置:asahi.com>関西>関西の住まい>ぷらっと沿線紀行> 記事 運んだ。巨木も栄光も 旧魚梁瀬森林鉄道ぷらっと沿線紀行(36) 太平洋岸から四国山地に分け入る曲がりくねった道を、レンタカーで走ること30分。高知県東部の馬路(うまじ)村に着いた。県道の数メートル下を流れる安田川の川岸に、細い軌道跡とトンネルが見えた。さびたレールが、10メートルほどだけ残る。「日本三大美林」とたたえられた、魚梁瀬(やなせ)杉を運んだ魚梁瀬森林鉄道の跡だ。
年間4千ミリ以上。黒潮上の湿った気流がもたらす日本有数の多雨が、天下の銘木を育んだ。「高知営林局史」によると、江戸時代初めの約100年間に大坂城や江戸城、二条城などの普請に約30万本が献上されたという。森林鉄道は1911(明治44)年から63(昭和38)年の廃線までの半世紀余り、海岸の貯木場までの運搬を担った。 いのち短し恋せよ少女(おとめ)――。「ゴンドラの唄(うた)」の作詞者で、歌人の吉井勇(1886〜1960)は33(昭和8)年夏、この鉄道に乗る。妻との不仲や父の巨額の負債に苦悩していたが、魚梁瀬杉に心を打たれる。 大土佐の杉の年の輪見るほどにおのづからなる力湧(わ)き来ぬ 吉井は翌年、高知の青年実業家に誘われ、香北町(現・香美市)に庵(いおり)を結んで隠棲(いんせい)する。ここでの3年間の経験が、「人生の悲哀に直面した、あわれ深い人生的歌風」(新潮社「日本詩人全集」)をもたらした。 いまは過疎が進む山里が輝いていた時代。消えた鉄道復活にかけた人たちに会った。 ■村の未来 わしらが走らす 廃線から四半世紀を経た1988年5月。「森林鉄道を語る会」が村の温泉で開かれた。当時の村長の西野真司さんの呼びかけに営林署OBや機関車メーカーの関係者ら約100人が集い、往事を懐かしんだ。 「今の子どもらあにも見せたいがよ」。「村に古い機関車が残っちゅう。おれが走らしちゃらあ」。誰かが「走らす会」の結成を呼びかけると、拍手がわき起こった。 ◇ 魚梁瀬森林鉄道の支線を含めた総延長は、一時250キロに及んだ。まっすぐ伸びた幹、桃色がかった材質の魚梁瀬杉は高値がつき、「1本で嫁入り支度ができる」と言われた。 巨木を積んだ10両以上の台車を引っ張る列車の速度調整は、材木の上を飛び移りながらブレーキをかける制動士が担った。村議会議長の清岡博基さん(66)の亡き父親も制動士。「ぴょんぴょんと飛ぶのは危険やけど、花形でかっこよかった」 村外と結ぶほぼ唯一の住民の足でもあった。駅名看板や切符には、物騒な「乗車心得」が書かれていた。 「運行中萬一(まんいち)如何(いか)なる災害が生じても補償致しません」 S字カーブが多く、軌道幅は新幹線の約半分の762ミリ。脱線はしょっちゅうで、39(昭和14)年には、山火事の消火に向かう営林署員らを乗せた列車が急カーブを曲がりきれずに約40メートル下の谷底に落ち、14人の死者を出した。「でも、村の子どもらあのあこがれやったき。いつも山の上から見ちょった」と馬路村農協組合長の東谷望史さん(55)。 トラックが普及し始めた63(昭和38)年、豊富な雨量に着目した電源開発が魚梁瀬ダムを建設した。映画館が3軒もあった魚梁瀬集落とともに軌道は湖底に沈み、廃線。林業も安価な輸入材に押されて衰退した。 「語る会」が開かれたころ、村の人口は昭和30年代の半分以下の約1500人。西野さんから復元を託された清岡さんは「森林鉄道は村が華やかやったころの象徴。再び走らせれば村民が元気になれる」。 だが、鉄道事業法に基づく新線の敷設のハードルは高かった。行き詰まった頃、森林鉄道で活躍した蒸気機関車を復元した北海道の町の担当者の言葉がヒントになった。「同じ所から出発して同じ所に戻れば、旅客ではない。遊園地と同じです」 ダム湖岸の丸山公園に1周約400メートルの円形軌道を整備し、放置されていた野村組工作所(高知市、解散)製ディーゼル機関車「L―69」を修理した。がんに侵されていた西野さんは、当時の運輸省四国運輸局のヒアリングのため、車に布団を積んで高松市に出向いた。「復活」は91年7月。西野さんが亡くなってから半年後だった。 ◇ 丸山公園にはいま、静岡や鳥取で活躍したガソリン機関車など3両も保存され、往事をしのばせる。 村の主産業はユズに代わった。農協のユズ加工品の年商は、村の一般会計の2倍の33億円余りに上る。合併を拒んで生きる人口約1100人の村の気概と、力強いエンジン音を響かせるちっちゃな機関車の姿が重なって見えた。 鉄っちゃんの聞きかじり<機関車は最初「犬」だった> 魚梁瀬森林鉄道では初期の頃、材木を運んだ台車を再び伐採地まで引っ張り上げるのは犬の役目だった。土佐犬は根気が乏しいため使われず、主に洋犬との雑種が活躍した。人力や馬、牛も使われた。その後、蒸気機関車、ガソリン、ディーゼル機関へと変遷した。 林野庁によると、森林鉄道の草分けは1909(明治42)年の津軽(青森)。各地に広がり、52年度末の国有林内の森林鉄道は818線(支線も含む)、総延長約6200キロに達した。50〜60年代、トラック輸送への切り替えや木材の枯渇などから廃線が相次ぎ、71年度末にはわずか18路線、総延長134キロに激減。いまも現役なのは鹿児島・屋久島の安房森林軌道のみ。 探索コース 森林鉄道の運行は日曜、祝日(8月は土曜日も)の午前10時半〜午後3時。料金は大人400円、中学生以下200円。魚梁瀬の象徴が、林木遺伝資源保存林に指定されている千本山(標高1084メートル)。丸山公園から車で約30分の登山口では、「橋の大杉」(樹高54メートル、推定樹齢200年以上)が迎えてくれる。下山後は同公園の「やなせ温泉」で汗を流せる。 この記事の関連情報 |