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銀世界で太平洋を見た 北陸鉄道石川線

ぷらっと沿線紀行(39)

 1月下旬。金沢市の北陸鉄道野町駅から石川線の電車に乗った。

写真雪の白山ろくを走る北陸鉄道石川線。静かな雪原にレールの音が響いた
写真石川線の終点・加賀一の宮駅。乗車する人はまばらだった
写真鉄道敷設の提唱者小堀定信の像が、雪に覆われた山々を見つめていた
写真早朝、湯気に包まれながら黙々と地酒の仕込み作業をする蔵人たち=いずれも石川県白山市で
写真大日川橋梁(きょうりょう)を渡る金名線のモハ3752=北陸鉄道提供
地図  

 2両編成のワンマン車。JR北陸線西金沢駅に隣接する新西金沢駅を出ると、線路は大きく南にカーブして雪化粧した山々のふもとへ向かう。郊外に出ると、見渡す限りの田んぼは雪で真っ白。揺られること30分余りで終点の白山市の加賀一の宮駅に着いた。

 歩いて10分ほどのところに、駅名の由来となった白山比(しらやまひめ)神社がある。古代から霊峰とあがめられる白山(はくさん)(2702メートル)が神体山。「白山信仰」の拠点の一つ、加賀馬場(ばんば)の中心地で、白山を登拝する禅定道(ぜんじょうどう)と呼ばれた登山道の起点でもある。

 北陸鉄道の鉄道部長、徳野公一さん(54)は「今年は鎮座から二千百年と伝えられる節目の年。多くの人に電車でお参りしてもらいたいですね」と話す。

 「勝(すぐ)れて高き山(せん)、大唐唐(だいとうとう)には五台山(ごだいさん)、霊鷲山(りょうじゅせん)、日本国には白山(しらやま)天台山、音にのみ聞く蓬莱山(ほうらいさん)こそ高き山」(すばらしく高い山は唐の国の五台山、そして霊鷲山、日本には加賀の白山と比叡山、伝え聞くだけの蓬莱山)

 平安時代後期、後白河法皇が世に流行していた今様(いまよう)と呼ばれる歌謡を集めた「梁塵秘抄(りょうじんひしょう)」に白山をたたえた歌が残る。

 この神聖な山の峰を越え、名古屋まで通じる鉄道の建設を夢見た、「大風呂敷」と呼ばれた男がいた。

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 加賀一の宮駅から手取川沿いに車を走らせると、木造の小さな一軒家のような建物が見えてきた。北陸鉄道グループのバス会社、加賀白山バスの白山下バス停だ。

 入り口に「白山下駅」の看板。地元の観光ボランティアガイド、辻貴弘さん(47)が「1987(昭和62)年に廃線になった金名線白山下駅の駅舎です」と説明してくれた。裏手に小さなホームも残っていた。

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 金名線の前身、金名鉄道を建設したのは実業家、故小堀定信。1888(明治21)年、農家の三男に生まれ、鶴来町(現白山市)で荷馬車を使った運送会社を始め、手取川水系の水力発電所の資材輸送を担った。

 金沢を名古屋などと結ぶ鉄道構想は、明治期から何度も浮かんでは消え、金沢の財界の悲願だった。小堀は個人で鉄道建設に乗り出す。金沢と鶴来を結ぶ鉄路を延ばし、現在の白山スーパー林道とほぼ同じルートで白山連峰を越え、合掌集落で知られる岐阜県側の白川から名古屋方面へとつなぐ雄大な計画だった。

 小堀が書き残した資料を分析した石川県立大聖寺実業高校教諭の新本欣悟さん(46)は「初めは鉄道を金もうけの手段と考えていたようだ。でも、途中から、手取川ぞいの山間地を振興しようという熱い思いへ変わっていった」とみる。

 周囲から「大風呂敷の男」と呼ばれながらも、電力会社から資材を運搬する代金40万円を前借りして1924(大正13年)年に工事を開始。26年(同15)年2月1日、白山下―加賀広瀬間13.8キロを開業させた。

 同年2月2日付の大阪朝日新聞石川富山版に載った「金名鐵(てつ)道開通す」の記事には「総工費六十五万円、(中略)沿線には至るところ手取川の絶景が展開している、賃金は片道四十五銭」とある。

 翌年には鶴来まで延伸したが、資金が続かず、そこまでだった。

 三女の山守久子さん(85)は「小学生のころ、家に帰ると差し押さえをするため人が来ていた。父は亡くなる直前に、『おまえらには何も残してやれなかったな』と言いました。そのときの寂しそうな姿が、忘れられません」と目頭を押さえた。

 戦時体制下の私鉄統合で金名鉄道は北陸鉄道の「金名線」となる。戦後、車社会の到来で利用者は減り続け、最後には手取川を渡る橋を支える岩盤が劣化して運休。87年、正式に廃線となった。

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 鶴来の町に小堀の遠縁の小堀幸穂さん(61)が営む小堀酒造店がある。地酒「萬歳楽(まんざいらく)」の醸造元だ。

 粉雪が舞う中、酒蔵を訪ねた。酒米を蒸す白い湯気が立ちこめ、ほんのりと甘い香りがした。白山を水源とする名水から生まれる清酒は「加賀の菊酒(きくざけ)」と呼ばれ、豊臣秀吉も愛したと伝えられる。小堀酒造など5社は「白山菊酒呼称統制機構」を組織し、ブランド化に取り組む。

 「ぼくらの目標は、日本酒の名産地として、この地域を世界的に有名なレベルに育て上げること。たとえば、ワインのボルドーのようにね」

 夢を忘れず、新たなテーマに挑む開拓者精神は、いまも生きていた。

鉄っちゃんの聞きかじり〈最盛期は14路線〉

 北陸鉄道は1943(昭和18)年10月、旧北陸鉄道、能登鉄道、温泉電気軌道、金名鉄道、金石電気鉄道、湯涌自動車、七尾交通の7社により設立された。45年10月には浅野川電気鉄道(現浅野川線)を合併した。

 67(昭和42)年までは金沢の市内電車も運行した。同鉄道によると、最盛期には加賀地方と能登の一部に計14の路線をもち、総延長は147.9キロにおよんだ。

 その後、道路網の整備が進むにつれて次々と路線が廃止され、社名には「鉄道」が残るものの現在はバス事業が中心。不動産業なども手がける。鉄道事業は「石川線」(野町駅―加賀一の宮駅、15.9キロ)と「浅野川線」(北鉄金沢駅―内灘駅、6.8キロ)の2線を残すだけとなっている。

 北陸鉄道の本社は金沢市内にあるが、鉄道部の建物は石川線の鶴来駅近くにある。

探索コース

 「白山比神社」は加賀一の宮駅から徒歩約10分。「白山さんお参りクーポン」は、野町から同駅までの往復運賃(千円)で、お神酒などの引換券がつく。金名線の跡地は、大半がサイクリングやウオーキングの専用道「手取キャニオンロード」となり、06年10月に白山市白山町〜同市瀬戸の約20キロが完成。緑深い「手取峡谷」の付近を通る。

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