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ここから本文エリア 現在位置:asahi.com>関西>関西の住まい>ぷらっと沿線紀行> 記事 「危険」の地 駆け抜けて JR土讃線 坪尻〜大歩危駅ぷらっと沿線紀行(41) トンネルを出たとたん、逆三角形に切り取られた空が見えた。徳島県三好市山城町。特急「南風5号」は、千メートル級の山々からなだれ込むV字谷の西岸にへばりつく線路を南へ向かう。
眼下を流れるのは、「四国三郎」こと吉野川。高知県の瓶ケ森(かめがもり)に源を発し、四国山地を貫いて紀伊水道に注ぐ全長194キロの上流域だ。 無人の小歩危(こぼけ)駅を通過して間もなく、「ここから8キロが土讃線で最も景色のよいところです」とアナウンス。「天下の奇勝」とうたわれた小歩危峡・大歩危峡の核心部だ。両岸に片理(へんり)と呼ばれる層状の構造を見せる白い結晶片岩が連なる。青緑色の水面との対比が鮮やかだ。 「絶険行く可からず一人之を守れば百夫過ぎず」(極めて険しく一人が守れば百人で攻めても通れない)。阿波藩が1815年にまとめた漢文体の地誌「阿波志」を郷土史家の笠井藍水(らんすい)氏が書き下(くだ)した「阿波誌」は、その険しさを記述する。 徳島大学教授の石田啓祐さんは昨年夏、東に約30キロ離れた剣山(1955メートル)の山頂近くで、3億1千万年前のヤツメウナギに似た生物の歯の化石を見つけた。「太平洋の熱帯域にあったサンゴ礁が地層ごと移動し、長い年月をかけて隆起して山頂になったのです」 地殻変動で生まれた山地は、地滑りが多発する難所だった。 ■山と戦う。山と生きる。 「銘記すべき昭和十(1935)年十一月二十八日!この日こそ全四国民が過去四十幾年にわたつて翹望(ぎょうぼう)した(待ち望んだ)国鉄土讃線が科学と人智の粋を盡(つく)して四国アルプスの峻険(しゅんけん)を見事征服し(中略)産業の開発、文化の向上を我らに約束した永遠に記念すべき日だ」 翌11月29日付大阪朝日新聞徳島版は、興奮した筆致で土讃線全通を伝えた。最後まで残った大歩危(ぼけ)・小歩危越えが完成、瀬戸内と太平洋側をつなぐ鉄路がつながった。高知と阪神間の所要時間は、それまで主流だった海路の15〜16時間から5〜6時間も短縮された。 池田町(現・三好市)は祝賀ムードに包まれた。阿波池田駅では一日中、列車が着くたび、阿波踊りの地元連がホームで乱舞した。 島口君代さん(94)は、5人ほどいた三味線の一人だった。50、60人いた踊り手と違い、交代がいない。ばちを持つ右手の薬指は、まめがつぶれて血がにじんだ。「みんな、もっと弾いてくれ、弾いてくれって言うし、痛いなんて言ってられなかった」。ガーゼをあてながら、朝から晩まで弾き続けた。 ◇ だが、保線区員にとっては、この日が長い戦いの始まりだった。 険しくもろい地形に加え、年間雨量が2千ミリを超え、台風がたびたび直撃する。年間300回を数える落石、土砂崩れの復旧に追われた。「土讃は岩の落ちるドサン」「これじゃあ土惨線だ」と嘆いた。 後に大歩危駅となる阿波赤野駅と、小歩危駅になる西宇駅には、巡回要員として1人多く配置された。木村市郎さん(84)は20歳で保線区に入った。午前4時半に起きて、真っ暗闇の中を、始発列車が来る前に線路を歩く。「責任感と恐怖心が半分ずつでした」。異常を見つけると、車輪が踏むと爆音のする雷管をレールに2本取り付け、赤色のガス灯を振って列車を止めたという。 旧国鉄は防災のため、86年までに阿波川口―土佐北川間に大歩危トンネル(4180メートル)など計7カ所、総延長約13.8キロのトンネルを掘り、線路を付け替えた。落石を知らせる警報装置も整備された。 それでも、最後は人だ。徳島保線区池田駐在の田所義人さん(50)は「雨量や震度を聞いただけで危険な沢や山肌が頭に浮かぶ。2時間で安全を確認してみせる」と話す。 ◇ 土讃線には「秘境」と呼ばれる駅がある。阿波池田駅から普通列車で15分、香川県境近くの谷底に取り残されたような坪尻駅だ。約100メートル上の集落に住む開清(ひらき・きよし)さん(80)が、ただ一人定期的に利用している。 信号場として開設され、50(昭和25)年に駅に昇格した。開さんは当時地元の青年団長。祝賀会のため高松から来た旧国鉄の幹部は「こんなところに駅を作って、イノシシやサルでも乗せるのか」と驚いた。 金曜日の朝。病院に行く開さんは、早めに来て秘境駅巡りの旅人が残したごみを片づけていた。「わし専用の駅やからきれいにしておかんと。ほんまにイノシシやサルのための駅になってしまわんようにな」 鉄っちゃんの聞きかじり<おいらだって「レールスター」> 「レールスター」といえば、山陽新幹線ひかりの愛称として知られている。だが、JR四国の社員にとっては、線路の点検などのため、作業員を乗せて線路上を走るガソリンエンジン付き軌道自動自転車のことだ。 大歩危を受け持つ徳島保線区池田駐在には、4人乗り、2人乗り合わせて7台ある。大雨などで列車が止まると、トラックに積んで最寄りの駅や踏切まで運び、線路に乗せる。速度は時速30キロ制限。5台をフル稼働させれば、夜間2時間で管内の全線を点検できる。 「四鉄史」などによると、四国では1935年、香川県内でペダルをこいで走る軌道自転車が考案されたのが最初。改良を重ね、昭和40年代にエンジン付きが出現。そのころからレールスターと呼んでいるという。 各地での名称はアルミカート、ATカート、レールスクーターなどメーカーによって違う。 探索コース JR大歩危駅から徒歩20分の「ラピス大歩危」は、石の博物館と観光情報館の複合施設。付近で採れた珍しい石が展示されているほか、天然石を使ったアクセサリー作りも体験できる。「レストラン大歩危峡まんなか」からは、観光遊覧船も出ている。往復4キロで30分間、川面からの渓谷美を堪能できる。乗船料金は大人1050円、子ども525円。 この記事の関連情報ぷらっと沿線紀行
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