ここから本文エリア

現在位置:asahi.com>関西>関西の住まい>ぷらっと沿線紀行> 記事

PR関西の不動産情報

うみと空を見つめて JR湖西線 おごと温泉駅

ぷらっと沿線紀行(44)

 敦賀発姫路行きの新快速電車は、滋賀県高島市のJR近江高島駅を出て間もなくトンネルに入った。暗闇を抜けると、視界いっぱいに真っ青な湖面が広がった。眼下の国道のすぐ手前まで波打ち際が迫る。ここから約20キロが、JR湖西線で最も眺望の良い区間だ。

写真琵琶湖畔を疾走する「サンダーバード」。湖の向こうに雪をかぶった伊吹山が姿を見せた
写真水辺にホテルや旅館が立ち並ぶおごと温泉
写真深夜に「雄琴」から「おごと温泉」に駅名表示が変更された
写真駅名変更に合わせてJRおごと温泉駅前の一角に登場した「六角足湯」=いずれも大津市で
写真湖西線を走る113系電車
地図  

 西に千メートル級の比良山地が迫り、東は琵琶湖。空気の澄んだ日には、雪をかぶった対岸の伊吹山を望むことができる。

 この雄大な湖は、平安時代から物流の動脈でもあった。その最も狭くなる地点に位置し、水上交通の要衝だったのが、いまは大津市となっている堅田だ。

 国際日本文化研究センター教授の今谷明さん(65)によると、琵琶湖は日本海側から米などの重い荷を船で効率よく運ぶ経路として重用されたという。

 船着き場に関所を置いて人や物の往来を自由に操った地元の人たちは「堅田衆」と呼ばれた。「応仁の乱で都から脱出する僧侶や貴族に高い船賃をふっかけ、時には略奪なんかもして『湖賊』と呼ばれた。民衆はしたたかですよ」と今谷さん。

 水運は明治になると廃れ、代わって1931年、浜大津―近江今津間に江若(こうじゃく)鉄道が全通。それも69年に廃線となり、74年、代わって湖西線が開通した。

 堅田駅で普通電車に乗り換えて4分、雄琴駅に着いた。15日、地元の悲願だった「おごと温泉駅」への改名が実現した。

■変われるんだ いつだって

 雄琴は平安時代から江戸時代にかけて朝廷の官務を世襲した小槻氏が9世紀後半に開いたとされる。いつのころから雄琴と呼ばれるようになったのかははっきりしないが、始祖とされる小槻宿禰今雄の「雄」と、彼らが奏でた「琴」の音にちなむという優美な説もある。

 12世紀に編まれた勅撰集「金葉和歌集」に藤原敦光の歌がある。

 松風の雄琴(をごと)の里にかよふにぞおさまれる代(よ)の声はきこゆる

 (松風が琴の音のように雄琴の里に吹き通うにつけて、治世安楽の御代の調べが聞こえるよ)

 今雄が863年に創建した氏寺の法光寺は、寺地内に霊泉がわくことが知られていた。大正時代に地区のわき水がラジウム泉と確認され、温泉旅館ができ始めた。

 1925(大正14)年9月14日付の大阪朝日新聞京都滋賀版「雄琴温泉行」は「この春まで宿屋らしいものもなかつた雄琴にも又平、魚久、泉家の料理屋を本位とした旅館が新築され互に包丁の味を競ひ日がへりで来遊する浴客を満足せしめるやうになり、やゝ整った温泉境を造りあげて来た」と描写している。

   ◇

 京都や大阪に近く、戦後も新たな泉源が次々と掘られて発展した地域を大きく変えたのが、1966(昭和41)年の風俗営業法改正だった。

 滋賀県が条例を改正し、改正法で規制対象になった特殊浴場の「禁止除外区域」に雄琴の一部を指定したのである。全国から業者が進出し、最盛期の79年には、49軒(滋賀県警調べ)も軒を連ねた。

 雄琴の風俗産業をルポした「ちろりん村顛末(てんまつ)記」(80年、広岡敬一著)は、ほとんど男性ばかり40万人も集まった当時のにぎわいを「困惑の繁栄」と表現する。わずか数十年で、長い歴史を持つ「雄琴」の印象は、がらりと変わってしまった。

 03年1月20日。旅館・ホテル10軒でつくる「おごと温泉旅館協同組合」の役員会は深夜まで討論が続いていた。メンバーは跡取り世代に大幅に代替わりし、平均年齢が26歳も若返った初会合だった。

 「歓楽街のことを言っても始まらん。自分たちに何ができるかを考えよう」。理事長になったばかりの「湯元舘」社長針谷了さん(57)が訴えると、「雄琴は温泉、ということで売っていかないと」「風俗のイメージを変えていかなきゃ」。次々と声があがった。

 変化の芽はその前からあった。各旅館で浴場や客室を改装したり、古風な旅館名を女性や家族連れにうける名前に変えたりした。

 マスコミや旅行会社に働きかけた新生「おごと温泉」のイメージ戦略は成功。利用客は女性や家族連れが中心になり、07年は史上最高の54万人が訪れた。「びわ湖花街道」専務の佐藤祐子さん(37)は「うちのお客様の7割は女性」と話す。駅名の変更は、その仕上げだった。

   ◇

 15日午後、「おごと温泉駅」前に真新しい「六角足湯」がオープンした。旅人を温かく迎える温泉町になりたい。針谷さんたちのそんな思いが込められている。

鉄っちゃんの聞きかじり<走る走る 旧国鉄色>

 湖西線では、懐かしい電車にたくさん会える。その代表格が、緑とオレンジ色に塗り分けられた113系だ。

 JR西日本によると、旧国鉄時代の1963年に近畿圏に登場し、70年には京都―西明石間の新快速に起用。東海道線では2004年に米原以西からほぼ姿を消したが、湖西線では74年の開通時から、停車時に乗客が手動でドアを閉めて車内の温度低下を防ぐことができる寒冷地仕様車が走っている。

 80〜91年にJR西日本管内で東海道線の新快速だった117系も湖西線ではおなじみ。ベージュに緑の線が入った車体は、内装を手入れしながら現役続行中だ。

 このほか、特急「雷鳥」(485系)、同「サンダーバード」(681・683系)、寝台特急「日本海」(24系)、新快速(223系)、交流・直流両用の最新鋭車両521系など新旧さまざまな車両が走る。

探索コース

 おごと温泉駅前の改札口脇の観光案内所では、「六角足湯」で使えるタオルを100円で販売。温泉街までは送迎車やタクシーで約5分。徒歩なら約20分。温泉街から山手に約20分歩くと小槻宿禰今雄が創建した法光寺。秘仏の本尊・薬師如来像は伝教大師(最澄)の作と伝わる。法光寺から約20分登った所に「見晴らし台」があり、琵琶湖が一望できる。

このページのトップに戻る