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豊かな海 緩やかな時間 南海電鉄加太線

ぷらっと沿線紀行(45)

 南海電鉄和歌山市駅を出た2両編成の電車は、紀ノ川駅で本線から西に分かれ、全長9.6キロ、単線の加太線に入る。

写真線路に挟まれて改札がある東松江駅。夕暮れの駅舎に明かりがともった
写真城ケ崎海岸からのぞむ紀淡海峡。島影の向こうに夕日が沈んでいった
写真供養のため淡嶋神社に納められた人形
写真軽便鉄道時代の橋脚が使われている河西橋
写真加太地区に残る砲台跡=いずれも和歌山市で
写真加太線は無人駅が少ない。駅員が電車や乗客を出迎える=和歌山市の加太駅で
地図   

 東松江駅では、島式ホームの反対側に行き違いの上り電車が待っていた。乗客は駅構内の踏切を横切って改札口へ歩いていく。時間が緩やかに流れるようだ。

 終点の加太駅まで24分。寄せ棟造りの木造駅舎は、1912(明治45)年、加太軽便鉄道として開業した当時のままだ。「駅舎を見るためだけに、はるばる訪れる人もいますよ」と、駅長の加藤文男さん(69)。

 駅から30分ほど歩くと城ケ崎海岸。展望台に立てば目の前は紀淡(きたん)海峡。友ケ島と総称される地ノ島、虎島、沖ノ島、神島が淡路島との間に並ぶ。

 「藻刈舟(もかりぶね)(海草を刈る舟)沖漕(こ)ぎ来(く)らし妹(いも)が島形見(かたみ)の浦に鶴(たづ)翔(か)ける見ゆ」。この地を詠んだという万葉集の歌碑があった。

 この海は、豊かな恵みをもたらす豊穣(ほうじょう)の海だ。平安時代の「延喜式」に「賀多(加太)潜女十人」が採ったアワビが朝廷に献上された記述がある。タイは明石産などと並ぶ高級品だ。

 加太港の近くで、石谷信雄さん(81)、茂代さん(79)夫婦が、朝採ってきたばかりの天然ワカメを干していた。小舟に乗り、竹ざおの先に付けた鎌で刈るという。「磯の香りがしっかりと閉じ込められているよ」

 万葉歌の藻刈舟もそうだったのかな、と想像をめぐらせた。

■夕日を見たくなったら

 「加太は、日本列島の原点として、国のはじめの物語りと、磯ものを売る老婆を介在して、和歌山市中とはいいながらも、どこか隔絶した素朴さを守り淡嶋信仰の奇妙な女の祈りの村をなして来た」

 和歌山県内の歴史と風土をテーマに、数多くの紀行文や随筆を書き、サントリー地域文化賞を受賞した梅田恵以子さん(76)の「紀州雛(ひな)の宮」の一節だ。加太の町の南西にある淡嶋神社に伝わる「淡嶋信仰」のひとつ、「雛流し」の神事。3月3日、全国から寄せられた雛人形を白木の船に乗せて海に流して供養する。

 「雛流しの人形を見送るとき、女は様々な思いをはせ、自然に手を合わせる。幸せな人生を願い飾られてきた人形との別離には、死者を送る出棺をも思わせる。厳かな春の別れの情景があります」

 梅田さんが初めてこの地を訪れたのは終戦後の1947(昭和22)年、15歳の時だった。大阪・船場で生まれ育ったが、空襲で焼け出されて和歌山市内に転居。加太に住む友人を訪ね、海岸で見た夕日が心に焼きついた。以来、加太にこだわる。

   ◇

 梅田さんが訪れる2年前まで、加太には旅行者はおろか、住民でさえ容易に立ち入れない地区があった。

 対岸の淡路島・由良と、沖に浮かぶ友ケ島とともに、大阪湾へ侵入する敵艦を阻止する役目を担った「由良要塞(ようさい)」の砲台群だ。

 和歌山県立文書館次長の森脇義夫さん(56)の調査によると、1889(明治22)年から17年かけて由良に八つ、友ケ島に五つ、加太には北部の深山地区と田倉崎などに五つの砲台が築かれ、28センチ榴弾(りゅうだん)砲など計142門の火砲が配備されたという。

 しかし、この大砲は実戦で一度も火を噴いたことはなかった。航空機の発達で、第2次大戦のころには時代遅れになっていたのだ。

   ◇

 戦後、大砲は撤去され、公園として整備された砲台もある。俳人の山口誓子は1972年夏、主宰する「天狼(てんろう)」の句会で砲台跡を訪れた。

 「草茂る要塞砲(つつ)を毀(こぼ)たれて」

 平和が戻った加太は、海水浴客などでにぎわった。だが、近年はレジャーが多様化した影響もあり、往時の勢いはない。70年代末には1日平均で約3500人いた加太駅の乗降客も、2006年度には4分の1足らずの866人にまで減り、一時は廃線がささやかれるまでになった。

 「加太線は街の宝。じっとしてはいられない」。05年、加太観光協会の利光伸彦さん(41)ら地元の若手が立ち上がった。

 地元の小学生が「地域学習」で調べて描いた名所の絵などを元に、街の散策マップを作った。毎年約2万部を駅前の観光案内所などに置く。

 当時マップの絵を描いたうちの一人、加美寿里さん(15)は今春、高校生になる。「歴史と自然が加太の自慢。加太線に乗って高校に通うのは、違う世界に行くようで不安だけれど楽しみでもある。大切な電車をこれからも大切にしていきたい」

 歴史の街の誇りはしっかりと、若い世代に受け継がれている。

鉄っちゃんの聞きかじり<すれ違い いつでも>

 紀ノ川駅―加太駅間の9.6キロを結ぶ南海電鉄加太線は、全区間が単線だ。上りと下りの電車は、駅ですれ違う仕組みになっている。加太線では、両端の紀ノ川、加太の両駅を含めた全8駅のうち、無人の西ノ庄駅を除く7駅で電車がすれ違えるほか、紀ノ川駅と東松江駅の間にある梶取信号所でも電車のすれ違いが可能。このことが、かつてのマリンレジャーブームの際には、単線でありながら多数の臨時列車の増発を可能にした。

 同線は、ローカル線でありながら無人駅がほとんどない。窓口業務や構内案内などの駅関係業務は、2000年10月から同電鉄子会社の「南海ビルサービス」が請け負う。加太線で活躍する社員は34人。同電鉄OBのほか、異業種から鉄道の世界に入った「駅員さん」も多い。西ノ庄駅以外、すべての駅に配属され、乗客と発着する電車を笑顔で迎えている。

探索コース

 加太駅前の観光案内所などで手に入る「地元加太の小学生のおすすめスポット」散策マップは、同駅から、江戸時代の石碑の道しるべや役行者堂などを巡り、淡嶋神社まで行く約2キロのウオーキングコースを紹介している。夕日が美しい城ケ崎海岸も同駅から約2キロ。深山の砲台跡地へはタクシーが便利。友ケ島への連絡船はこの季節、1日4往復が運航されている。

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