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神様、若き日の願かけ 京阪電鉄 男山ケーブル

ぷらっと沿線紀行(49)

 京の都は、鬼が入ってくるとされる北東方向の鬼門を比叡山延暦寺が守った。一方、反対側の南西方向で裏鬼門を封じたのが、標高142.5メートルの男山に鎮座する石清水(いわしみず)八幡宮だ。

写真男山ケーブルのほぼ中間地点にある鉄橋。ここが眺望ポイントで、ふもと側の眼下に京都市街が広がる
写真石清水八幡宮の本殿前。赤ちゃんを抱いて深々とおじぎをする参拝者の姿があった
写真本殿脇にかけられたエジソンにちなむ竹製絵馬
写真ケーブルカーが到着し、参拝者らでにぎわう男山山上駅
写真空に架かるような男山ケーブルの鉄橋=いずれも京都府八幡市
写真松下幸之助が考案したM矢マーク=松下電器産業提供
地図  

 鎌倉時代の随筆「徒然草」の一節。ふもとの摂社に参っただけで満足し、名高い石清水八幡宮を訪ねなかった老僧がいた。この話を聞いた吉田兼好は「すこしのことにも、先達(せんだち)はあらまほしきことなり(少しのことにも、案内人が欲しいものだ)」と残念がった。

 先達よろしく、今は男山ケーブルが年間約30万人を案内してくれる。ふもとの八幡市駅から男山山上駅まで3分。36の座席から京都の市街地や比叡山が一望できる。

 企業家らによって1926年に開業したが、戦時中に軍へ金属を供出するため解体された。表参道で創業150年の「鳩茶屋(はとぢゃや)」を営む山上喬(やまがみ・たかし)さん(77)は、ドンドンと音を立てて走る当時の車両を懐かしむが、いつの間に撤去されたのかは記憶がない。「ごっつい工事やったろうけど、食べるのに精いっぱいの時代やったから」

 復活したのは55年。正式名称は京阪電鉄鋼索線だが、通称で呼ばれることがほとんどだ。

 ケーブルカーがなかった時代、参拝者はつづら折りの396の石段を約20分かけて歩いた。「経営の神様」と呼ばれた故・松下幸之助も若き日、老僧の二の舞いを演じることなく、この山に登った。

■歩むなら必ず 道は開ける

 神託を受けた高僧の進言によって859年、朝廷は石清水八幡宮を創建した。応神天皇をまつり、歴代の天皇・上皇の参拝は約260回。源氏の氏神で、織田信長や徳川家康も参拝したという。

 その御神矢は厄よけ・勝ち運のシンボルだ。鎌倉時代、ここから遠く九州まで飛んだ矢が神風を起こし、元寇(げんこう)を打ち払った――。南北朝時代に書かれた作者不詳の歴史物語「増鏡(ますかがみ)」はそう伝える。

    ◇

 松下幸之助もこの矢を手にし、立身出世を願ったらしい。

 1894(明治27)年に和歌山で生まれた幸之助は小学校を中退し、大阪へでっち奉公に出た。15歳で大阪電灯(現・関西電力)に入社し、ソケット製造に夢を託して1918(大正7)年、後に松下電器産業(本社・大阪府門真市)へと成長する町工場を大阪市内に構えた。当時23歳だった。

 2年後に考案した商標は、松下の頭文字「M」と「矢」を組み合わせたデザイン。幸之助の伝記には「石清水八幡宮で授かった御神矢からひらめいた」とある。

 当時はケーブルカーがなく、石段を歩いて上ったのだろう。松下電器社史室の圓越淨(えんのこし・きよむ)さん(60)は「創業まもなくで苦労も多く、『厄よけなら石清水さん』と考えたのでは」と話す。幸之助がここを訪ねたという具体的な記録はないが、「生涯一度きりとは考えにくく、ケーブルカーで参拝したこともあったでしょうね」。

 二股ソケットや電池式ライトなどのヒット商品を次々に放ち、商標は27年から「ナショナル」へ徐々に移行した。それでもM矢マークは完全にはなくならず、松下電工の社章として残っている。

 幸之助が89年に94歳で他界した後、歴代の松下電器社長は「創業者ゆかりの地」として石清水八幡宮への初詣でを続ける。今年で創業90年。秋には国際競争力強化のため社名・ブランド名を「パナソニック」に統一するが、幸之助がM矢マークに込めた「どんな障害も突破し、目標に突き進もう」との思いは引き継いでいくという。

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 幸之助が尊敬した米国の「発明王」トーマス・エジソンも男山とゆかりが深い。電球のフィラメントに様々な素材を試した末、繊維が密で強く、工芸品に使われる男山の竹にたどり着く。1879年に炭化させた木綿糸のフィラメントで40時間の点灯に成功していたが、こちらは千時間以上も輝き、実用化にこぎつけた。

 「1%のひらめき 99%の汗」。幸之助と同様に努力の人だったエジソン。彼の名言を印刷した合格祈願の竹製絵馬が石清水八幡宮にあり、受験生たちが願いを託していく。

 新しい生活が始まる春。ケーブルカーが山上へ運ぶ人は初詣での時期に次いで多い。明日への期待と不安を胸に、御神矢を授かり、絵馬に祈る人の中から、新たな「経営の神様」や「発明王」がきっと生まれてくるだろう。

(文・三島庸孝 写真・上田潤)

鉄っちゃんの聞きかじり〈「余部」より高い鉄橋〉

男山ケーブルのほぼ中間地点にある鉄橋の高さは、戦時中に撤去されたものと同じ43メートル。JR山陰線の余部(あまるべ)鉄橋(兵庫県香美町)を上回り、ケーブルカーでは日本一とされる。

 長さは111メートル。午前7時40分の始発前に毎朝、職員2人が10〜15分かけて歩き、軌道を点検する。大井手智主任(54)は「真夏、真冬は大変ですが、慣れれば自慢の眺望がお客様以上に楽しめます。これからは新緑やアジサイがきれいですよ」。

 安全を願って、車両の一番ふもと側の乗降口近くに木製の小ぶりな社を取りつけ、石清水八幡宮のお札を納めている。京阪電鉄は全路線の全車両にお札を付けているが、石清水八幡宮のものは男山ケーブルだけ。他はすべて成田山不動尊(大阪府寝屋川市)のものだ。成田山不動尊は、京阪電鉄が境内地などを寄進して1934年に建立され、交通安全祈願で知られる。

探索コース

 男山山上駅から左手の階段か坂を上ると、展望台に出る。桂川、宇治川、木津川が合流して淀川になるところや京都市街など、ケーブルカーの車内から見えた景色が改めて見渡せる。ハイキングコース「こもれびルート」(一ノ鳥居―山頂―石清水八幡宮=約1.3キロ)を歩くと、鉄橋を行き来するケーブルカーが間近に見えるポイントがある。

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