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踏切の鐘響く坂道 JR山陽線 尾道駅

ぷらっと沿線紀行(50)

 電車が減速しながら大きく右へ弧を描くと、左手に瀬戸内の海が姿を現した。1927(昭和2)年、作家林芙美子も同じ景色を車窓に眺めて感涙し、自伝的小説「放浪記」の一節が生まれた。

写真坂のまちを横切る踏切。夕方、自転車に乗った女子生徒が友人と別れ、路地を走り去った
写真閉鎖された古い映画館。地元の若者らが再建を目指している
写真海と山に挟まれた市街地。密集する建物の間を線路が通る
写真狭い道が複雑に入り組んだ住宅街。迷路のようだ
写真山陽鉄道のマークが刻まれた境界標。尾道駅周辺の所々に今も残る=いずれも広島県尾道市で
地図   

 「海が見えた。海が見える」

 東京での貧困生活に疲れ果て、5年ぶりに故郷の尾道へ帰ってきた場面。地元研究家の池田康子さん(89)は「ぱっと視界が開けた様をリズムよく描写し、尾道を象徴する風景になった」と話す。

 もう一つ有名な「坂のまち」ができあがった歴史にも、鉄道が深くかかわっていた。

 港を囲む尾道三山には多くの寺がある。かつて寺を見下ろす所に居を構えるのはおそれ多いことで、民家は海沿いに集まっていた。1891(明治24)年、JR山陽線の前身の山陽鉄道が尾道まで延伸。すると、線路敷設のために立ち退いた人や、鉄道効果で財を成した人の家々が山へ広がり、「禁」が破られたという。

 山陽新幹線が開通し、その駅がない尾道は次第にさびれていったが、1980年代に大林宣彦さん(70)の映画で注目を浴びた。「転校生」などのヒット作の舞台になり、ファンが詰めかけた。

 映画でまちづくりをしたあのころから約20年。尾道には今、映画館が一つもない。ブームが去り、活気が失われたまち。それを再生させようと、映画を愛する若者たちが立ち上がった。

■シネマパラダイス第2幕

 「動物の尾のような細長い道」が地名の由来といわれる尾道。平安末期の1169年、後白河院の荘園米を積み出す港ができたのがまちの起源だ。瀬戸内を行き来する船の寄港地としても繁栄し、多くの豪商が神社仏閣を寄進した。

 明治時代、神戸から軍都・広島へ延伸を急いでいた山陽鉄道は、尾道でつまずく。線路による市街地分断に住民が猛反対したからだ。「生活権、寺への参詣(さんけい)路も奪われる。精神的にも、物質的にも許すことができない」(尾道市史)。暴動状態にまでなったが、有力者の調停で収まったという。

 鉄道によって、今度は四国と結ぶ連絡船のターミナルとしてにぎわった。だが、1975年の山陽新幹線全線開通を機にさびれ始める。新幹線の駅が西隣の三原市に設けられ、フェリーは三原港に拠点を移してしまった。

   ◇

 尾道を舞台にした映画「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」が発表されたのは、そんな折の82〜85年。ここで育った監督の大林宣彦さんは、ひび割れた屋根瓦、崩れた土塀など、まちの「しわ」を撮り続けた。「全国で古いものが次々と壊され、個性が失われようとしていた。私にとって『まち守り』の映画でした」

 映像に魅せられた人が各地から訪れ、尾道は元気を取り戻した。しかし、大林ファンの若者たちは年齢を重ね、子育て世代に。観光案内所に置かれたロケ地めぐりマップを手に取る人はめっきり減った。88年に新幹線の新尾道駅が開業したが、かつての活気はない。

   ◇

 尾道駅を出ると、空き店舗の目立つ通りがある。その一画の古びた建物に、縦5メートルほどの大きな垂れ幕がかかっていた。「尾道に映画館が帰ってきます」

 かつて中心街にあった八つの映画館のうち最後まで営業を続け、2001年に閉幕した旧尾道松竹。ここが今年中にも再建されようとしている。

 取り組むのはNPO法人「シネマ尾道」。代表理事の河本清順(せいじゅん)さん(31)は「映画のまちに映画館がないのは寂しい」と04年秋に友達2人と活動を始め、メンバーは若者を中心に約20人に増えた。

 再建費用は2千万円ほどかかるが、昨夏に始めた1口千円の募金活動で全国からすでに1200万円が集まった。「映画を通じて、町を愛する雰囲気をもう一度つくりたい」と河本さんは言う。

 この動きに刺激を受け、旧尾道松竹の近くに5月、ジャズ喫茶「TOM」が開店する。8年前まで別の商店街にあり、大林さんやファンが集った店と同じ名前だ。

 以前のTOMは店主の須賀勉さん(65)が体調を崩して閉店したが、次男の貴庸(たかのぶ)さん(25)が復活させることを決めた。「息子があの店を再現したいって。また映画談議をしたい。楽しみだね」。勉さんは満面に笑顔を浮かべた。

 映画のまちは、新しい世代に引き継がれつつある。

(文・堀田浩一 写真・新井義顕)

鉄っちゃんの聞きかじり<「山マーク」境界線 今も現役>

 尾道駅から東へ約1キロの線路沿いで、高さ20センチほどの石柱を見つけた。頂部には二つの連なった山が刻まれている。JR山陽線の基礎を築き、1906(明治39)年に国有化された山陽鉄道のマークだった。

 尾道市文化振興課の担当者に聞くと、「鉄道用地の境界標。山陽鉄道が線路沿いに埋め込み、公用地や民有地との境を定めたものです」という。尾道駅の周辺で現存するのは3基。「山陽鉄道が開通していなければ、まちの発展はなかった。史跡のように大切にしています」

 一方、「史跡ではありません。現在も境界標として使っています」とJR西日本の岡山支社。老朽化などで数は減っているが、可能な限り当時のものを利用しているという。「目立つように上部を赤く塗っています」。たしかに、明治時代に設置されたとは思えないほど、連山は鮮やかに赤かった。

探索コース

 戦禍を免れた尾道には古い寺が多く残り、石畳の道で結ばれた古寺めぐりコースがある。起点は尾道駅北口から東200メートルほどの土堂小学校。林芙美子や大林宣彦さんの母校だ。約3キロの道のりの間に、志賀直哉の小説「暗夜行路」に出てくる千光寺、映画「東京物語」(小津安二郎監督、1953年)に登場する浄土寺などがある。

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