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お困りごと ありますか えちぜん鉄道

ぷらっと沿線紀行(51)

 「車内で何かお困りのことがありましたら、ご遠慮なくお申し付けください」

写真えちぜん鉄道の車内。女性アテンダントが観光客の質問に丁寧に応対していた=福井県永平寺町
写真夕暮れ時、車窓に帰宅客らのシルエットが浮かぶ。水田には苗の緑が輝いていた=福井県あわら市
写真線路は住宅地も通る。民家の菜園すれすれに電車が走り抜けていった=福井県永平寺町
写真一面のコケが観光客を出迎える平泉寺白山神社=福井県勝山市
写真製造から90年近くたっても現役の電気機関車「テキ6形6号」=福井市のえちぜん鉄道本社
地図  

 女性アテンダント(接客乗務員)の明るいアナウンスを合図に、えちぜん鉄道の旅は始まる。

 福井県北部を走る1両か2両編成の電車だが、昼間は20〜30代のアテンダントが切符販売やお年寄りの乗降補助などに携わる。メンバーは12人。自らの体験をつづった「ローカル線ガールズ」が今年出版され、彼女たちを目当てに遠方から訪れる鉄道ファンも多い。

 福井から九頭竜(くずりゅう)川沿いに東の勝山へ向かう勝山永平寺線(27.8キロ)と、この川が日本海に注ぐ三国港まで北へ延びる三国(みくに)芦原(あわら)線(25.2キロ)の2路線がある。

 九頭竜川は「崩れ川」とも呼ばれ、古代から治水事業が欠かせなかった。福井から出た継体天皇が「越前の三大河を開き、水を治めた」と江戸時代の地誌にある。川にちなんで、えちぜん鉄道の名称を「くずりゅう鉄道」にする案もあった。だが、縮めると「くず鉄」。お蔵入りになった。

 福井駅から勝山永平寺線の電車に乗って約20分。志比堺(しいざかい)駅を過ぎると、緩い下り坂にさしかかった。「次の志比堺踏切の手前が、事故現場なんですよ」。アテンダントがそっと教えてくれた。

 「乗客最重視」を掲げるえちぜん鉄道が03年7月に走り始めたのは、その忌まわしい事故がきっかけだった。

■優しさが再生への切符

 00年12月17日。事故現場の近くに住む和田信子さん(71)が自宅へ戻ると、線路上に前部の大破した電車があった。「ドカーンって、雷よりも大きな音がしたんですって」

 えちぜん鉄道の前身の京福電鉄時代。上りと下りの電車が単線で正面衝突し、上りの運転士が死亡、双方の乗客乗員27人が重軽傷を負った。ブレーキ部品の破損で上り電車が支線の終着駅に止まれず、本線に入ってしまったのが原因だった。和田さんは七回忌まで、線路脇の祭壇に献花を続けたという。

 事故は再び起きた。半年後の01年6月24日、今度は東に約13キロ離れたところで正面衝突があり、25人が重軽傷。上りの運転士が赤信号を見落とした。

 国土交通省は同年7月、初めての「安全確保に関する事業改善命令」を出し、赤字だった京福電鉄は福井県内3路線の廃止を決定。1914(大正3)年に当時の電力会社によって開業した北陸最初の電車が、消えた。

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 廃止の影響は高校生らを直撃した。代行バスが運行されたものの、国道が渋滞して遅刻者が続出。勝山市の自宅を離れ、高校がある福井市での下宿を強いられる生徒もいた。

 住民の熱望を受けた結果、沿線自治体などが第三セクターを設立。2路線を引き継ぎ、えちぜん鉄道として再出発した。事故の教訓から、安全と顧客サービスが第一。アテンダントの乗車もその一環だ。

 電車は30分に1本。駅を降りた後の足がないため、全43駅のうち19駅に無料駐車場を設け、10駅で自転車の無料貸し出しを始めた。客とじかに接するために自動券売機は全廃。全駅に配置したスピーカー付き監視カメラで、客の安全を確認し、事故や悪天候で電車が遅れた時に誘導案内をする。

 「変わっているとよく言われる。だが、サービス業として変わったことは何もしていない」と見奈美(みなみ)徹社長。乗客は年々増え、07年度は307万人。事故前を上回った。

    ◇

 終点の勝山駅からタクシーで約15分。白山信仰で知られる平泉寺白山神社がある。4月下旬、葉桜になりかけた社務所前のエドヒガンザクラが、コケの上に薄いピンク色の花びらを散らしていた。

 奈良時代初めの創建とされ、広大な領地を抱えて栄華を誇った時期もあったが、安土桃山時代に一向一揆で焼かれた。「残っているのは、要するに杉の大木と苔(こけ)だけ」。随筆家の白洲正子が記したように、一面緑の静かな世界だった。

 勝山市などは世界遺産への登録を目指しているが、駅からのバスは日に3本しかなく不便。今夏から週末に観光用バス5便を走らせる予定だ。地域住民の足の確保の次は、訪れる人を増やすためのサービス向上が大きな目標という。

(文・久保田裕 写真・日置康夫)

鉄っちゃんの聞きかじり<大正生まれ いまだ現役>

 動く電気機関車では国内最古とされるのが、えちぜん鉄道の「テキ6形6号」。木造に鉄板張りの造り。真っ黒なボディーに数字の6が白く書かれ、前から見るとほっぺのマークみたいでかわいい。1920(大正9)年に堺市の梅鉢鉄工所で製造され、普段は福井口車庫の線路上に置かれている。

 車籍が抜かれているので本線上は走れないが、今でも整備車両の入れ替え作業用に使われている。大正時代にはテキ7、テキ8といった仲間もいたが、火災などでみな姿を消してしまった。

 テキ6を目当てにやって来る鉄道ファンも多いとか。なかには上部に付いているパンタグラフ(集電装置)を立ててくれと頼む人も。「『パンタグラフが立ってないと、テキ6は死んでいるんだ』と言われるんですよ」とアテンダントの嶋田郁美さん(29)。

探索コース

 日本海側と瀬戸内を行き来した北前船(きたまえぶね)の拠点として栄えた三国周辺には古い町並みが残され、地元豪商の旧森田銀行、小説家・高見順の生家などがある。白亜の洋館「みくに龍翔館(りゅうしょうかん)」では郷土史が学べる。明治期にあった5層8角の小学校を復元した建物で、設計者はだまし絵で有名なエッシャーの父親だ。三国駅で無料自転車を借りて巡るのが便利。

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