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青春電車、詠んだ。 京阪石山坂本線

ぷらっと沿線紀行(54)

 大津市内の住宅密集地。軒先を線路が通り、ホームを降りると目の前に民家の玄関がある。駅間は最短で400メートルしかない。

写真「青春」を運ぶ京阪石山坂本線。朝の登校時間はにぎやかだ
写真義仲寺にまつられている芭蕉像
写真義仲寺にある芭蕉の墓
写真夕日に照らされた瀬田は近江八景の一つ。芭蕉も詠んだ唐橋が架かる
写真派手なラッピング電車が走ることも。公園で遊ぶ子どもたちと重なり、一枚の絵のようだ=いずれも大津市、諫山卓弥撮影
写真昭和30年代の浜大津。右が石坂線の浜大津東口駅、左奥が京津線の浜大津駅=大津市歴史博物館提供
地図   

 京阪石山坂本線(石坂線)の魅力は「げた履き感覚」。それをアピールしたいと昨年、ファンでつくる団体が石坂線をめぐる青春や初恋のメッセージを募った。全21駅にちなみ、21文字以下で表現するのが条件。全国から2600以上の作品が寄せられた。

 「毎日乗るこの緑の電車が、もう一つの学校。」

 優秀作の一つは、沿線の高校に通う女子生徒(17)がつづった。審査した歌人の俵万智さん(45)は「様々な人が乗り合わせる車内で学ぶことも多いはず。若い人のこういう気持ち、うれしいですね」と評した。

 1913(大正2)年、琵琶湖への観光客誘致を狙って開業し、27(昭和2)年に石山寺―坂本間の14.1キロが全線開通。沿線には小学校から大学まで20以上の学校がある。1日の乗客約3万人のうち20%以上が通学定期を使い、京阪全線平均の16%を大きく上回る。2両編成の車内には、青春がいっぱい詰まっている。

 21文字の短いメッセージに、若者たちは身近な感動をみずみずしい感性で映し出した。300年以上前の江戸時代には、俳人・松尾芭蕉(ばしょう)も独自の心象風景を重ねながら、「5・7・5」の17音に大津の風雅を詠み込んだ。

■俳聖の 旧里映す 十七音

近江八景の一つ「瀬田の夕照(せきしょう)」で知られる瀬田の唐橋は、京阪石山坂本線の唐橋前駅から歩いて数分のところにある。琵琶湖の南端に架かり、昔は京へ上る東海道の要衝だった。

 「五月雨に隠れぬものや瀬田の橋」

 風景が雨に煙るなか、当時としては長大な唐橋だけが浮かび上がる様を、松尾芭蕉(ばしょう)はこう詠んだ。

 芭蕉が初めて大津に滞在したのは1685年、数えで42歳の時とされる。9年後に大阪の宿で亡くなるまでたびたび訪れた。遺言によって墓が建てられたのは、琵琶湖畔に近く、源義仲(よしなか)が葬られた義仲寺(ぎちゅうじ)。伊賀上野(三重県伊賀市)に生まれた芭蕉がここを選んだのは、平安時代後期に波乱の人生を歩んだ義仲へのあこがれがあったからだといわれる。

 加えて、定収のない暮らしを支え、進歩的な俳風に深い理解を示す門人がいた地への愛着も深かった。大津市歴史博物館の樋爪(ひづめ)修次長によると、芭蕉が各地の門人に送った手紙の中で、「旧里(ふるさと)」と表現されたのは大津だけ。生涯に詠んだ980余句のうち、1割近い89句はここが舞台になった。

 奥の細道の旅を終えた翌年の1690年、芭蕉は門人と一緒に琵琶湖に舟を浮かべ、「行く春を近江の人と惜しみける」と詠んだ。

   ◇

 その湖は、戦後の高度経済成長期に大きく姿を変える。豊かな水資源や交通の利便性を求めて工場が次々に進出し、大阪のベッドタウンとして住宅も増加。「近畿の水がめ」は汚れる一方だった。

 1977(昭和52)年には赤潮が大発生し、蛇口から出る水が赤茶けた。これを機に、水質悪化の原因となる有リン合成洗剤を使わず、粉せっけんに切り替える運動が主婦らを中心に広がった。

 その一人の林美津子さん(83)は「戦後間もないころは湖岸でお米をとぎ、水に入ると魚が足をつっついた。そんな美しい琵琶湖を取り戻したかった」と振り返る。多くの消費者団体などが粉せっけんの使用を呼びかける講習会を開き、合成洗剤の販売中止を行政に働きかけた。

 こうした取り組みを受けて県は79年、有リン合成洗剤の使用禁止や工場の排水規制などを盛り込んだ条例を制定。粉せっけんの使用率は80年に70%を超え、合成洗剤の品質改良も進んだ。その結果、深さ1.9メートルまでしか見通せなかった琵琶湖南部の透明度は、06年に2.5メートルまで回復してきた。

   ◇

 石坂線の一部区間は50年代半ばまで、芭蕉も歩いたであろう琵琶湖岸に接していた。波が荒い時は車体に水しぶきがかかることもあったという。

 次々に埋め立てが進んだ今、岸は遠くなった。線路との間にはホテルや大型商業施設、マンションが立ち並ぶ。

 開発と環境の共生が問われる現在の湖都を、芭蕉ならどう詠むだろうか。

(文・森本美紀 写真・諫山卓弥)

鉄っちゃんの聞きかじり<浜大津の駅 昔は二つ>

 京阪石山坂本線と京津(けいしん)線が分岐する浜大津にはかつて、交差点をはさんで二つの駅があった。石坂線の「浜大津東口駅」と京津線の「浜大津駅」だ。

 京都方面から来た京津線の電車は、まず行き止まりの浜大津駅に停車。ここでスイッチバックして石坂線に入り、浜大津東口駅を経て石山寺方面へ向かった。京都へ向かう電車もこれと逆の手順を踏んだ。なぜそんな面倒なことをしていたのか。

 京阪電鉄によると、先にあったのは石坂線の駅。1925年に京津線が延伸された当時、石坂線は大津電車軌道、京津線は京阪の経営だったため新たな駅が造られ、京阪に統合後も両駅が残ったというわけだ。

 81年、びわこ国体に合わせた駅前整備の一環として、浜大津東口駅があった場所に現在の浜大津駅が一本化され、ややこしい運行方式は姿を消した。

探索コース

 石山寺は12月14日まで、源氏物語千年紀に合わせて様々な催しを実施。ここから歩いて30分程度のところには芭蕉が一時期暮らした幻住庵(げんじゅうあん)がある。湖上交通で栄えた琵琶湖の変化や治水・利水の歴史を知るなら「水のめぐみ館 アクア琵琶」。滋賀県南郷水産センターではアユのつかみ取りが人気だ。その場で塩焼きにして食べることもできる。

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