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学生街 ときめき始発駅 叡山電鉄 出町柳駅

ぷらっと沿線紀行(55)

 賀茂川と高野川が合流して鴨川になる辺り。叡山電鉄の起点、出町柳駅の東側にある吉田地区かいわいの下宿街は、ジェームズ・ディーン主演映画のタイトルと叡電に引っかけて「エーデンの東」と呼ばれてきた。

写真沿線に大学が多い叡山電鉄。出町柳駅は学生たちの出会いの場でもある
写真高野川(右)と賀茂川(左)が合流して鴨川となり、市街地へと流れていく
写真出町柳駅前の河原は学生や家族連れらの憩いの場だ
写真出町柳駅を出た電車は、古い民家の脇をゴトゴトと走っていく
写真開業当初から残る出町柳駅の駅舎=いずれも京都市左京区
地図  

 近くには明治期に開学した京都大や同志社大があり、ここから北へ延びる叡電沿線には京都造形芸術大、京都精華大、京都産業大などのキャンパスが連なる。

 エーデンの東にある開業約80年の銭湯「東山湯」。かつてはタオル片手に一風呂浴びに来る学生が目立ったが、最近はワンルームマンションが増えたせいか、常連はめっきり少なくなった。2階で営んでいた下宿は2年ほど前に休業。主人は「バンカラな京大生がすっかりオシャレになって。少し寂しいね……」とつぶやいた。

 学生の気風は時代とともに変わる。それでも、出町柳は常に若々しい街だった。

 07年の織田作之助賞大賞を受賞した作家、柴崎友香(しばさき・ともか)さん(34)は20代のころ、京都の大学に通う友人との待ち合わせのため、毎週のように大阪から出町柳へ出かけた。8年前のデビュー作「きょうのできごと」では、主人公と友人の学生同士が再会する重要な場面でこの駅を登場させた。「まるで川の水の流れのように、若者たちが集まってくるところです」

 電車は、ゴトゴトと青春の鼓動を刻むような音を立てて走る。

■出会いと別れのリフレイン

 「明治から大正にかけては、『貸し間あります』という札は至る所で見られた。大八車に小さな荷物を乗せた『学生はんの引っ越し』は吉田界わいの風物詩の一つでもあった」

 旧制三高(現・京都大)を卒業した末川博・元立命館大総長(1892〜1977)は、叡電が産声を上げたころの学生街の様子を随筆にこう記している。

 1925(大正14)年に出町柳―八瀬(現・八瀬比叡山口)間の本線が開通し、4年後には途中から枝分かれする鞍馬線も完成。学生のほか、郊外の山間部への観光客らを運んだ。

 乗客数が年間900万人を超す最盛期を迎えた60年代。出町柳はベトナム反戦運動に沸いていた。京都大出身の大阪大総長、鷲田清一さん(58)は著書「京都の平熱」の中で振り返っている。「東の京大と西の同志社の部隊とが出町の交差点で合流し、道いっぱいにデモをしながら河原町通を南に下る……」

 出町商店街の「京つけもの 出町なかにし」の女将(おかみ)、中西美代さん(68)は店頭に立って50年。学生運動の元闘士から今も声をかけられる。「遠くからも訪ねて来て『おばちゃん、変わらんね』って。みんな華やかなりし学生時代が懐かしいようで」とほほえむ。

    ◇

 いまの学生たちは、下宿屋や定食屋で町の人たちとつながりを持つことが少なくなった。隣人の顔も知らないマンションに住み、携帯電話のメールで会話する。そこで同志社大は今年3月、駅から西へ徒歩10分の寺町通に地域交流拠点「でまち家」を開設した。

 築約150年の町家を大学が借り上げ、学生有志約40人が地域のお年寄りや子どもらに茶道、書道などを教える活動に取り組む。学外の人と付き合うことで、人間性や社会性を磨くのが狙いだ。手話講座を担当する4年の清水幸(みゆき)さん(22)は「いろんな世代の人たちとゆったり触れ合える温かい場所。いつまでもそんな街であってほしい」と話す。

    ◇

 その近くに、古びた喫茶店「ほんやら洞」がある。店名は70年前後に若者の人気を集めた漫画家つげ義春の作品から付けられた。新潟地方のかまくらの呼び名だ。

 雪室で語り合うように、かつては学生運動家らが集った。その店をいま、近辺の学生らでつくるダイビングサークル「マリンスノー」が根城にしている。

 若者が興味を抱く対象は移ろうが、出町柳駅の役割は変わらない。マリンスノーの新入生歓迎ハイキングやイチゴ狩りの集合場所は、必ずこの駅だ。副部長で京都大生の末松公輔さん(20)は「各大学の真ん中にあって、新たな出会いの場にふさわしい」と言う。

 若者たちは同時に別れも繰り返し、やがて旅立っていく。それでも青春の思い出は、走り続ける電車のようにいつまでもゴトゴトと胸に鳴り響いているはずだ。

(文・小林正典 写真・上田潤)

鉄っちゃんの聞きかじり<まだ現役 開業時の駅舎>

 叡山電鉄の前身として鉄道を敷いたのは、電力会社の京都電燈(でんとう)。出町柳駅では、開業当初の大正末期に造られた寺院風の駅舎が今も使われている。

 ただ、その姿を改札の外から眺めることはできない。1989年に京阪鴨東(おうとう)線が三条から出町柳まで延伸された際に近代的な新駅舎が建てられ、その陰に隠れてしまったからだ。ホームに立つと、古い駅舎のアーチ型の鉄骨や、お堂のような屋根が見える。

 新駅舎と一体整備された駅前ビルには、若者向けにレンタルビデオ店やハンバーガーチェーン店が入居している。叡電の担当者は「周辺には大学が多く、学生の利用が見込める店を入れた。待ち合わせ場所としても使ってもらっています」。

 出町柳の古い駅舎とほぼ同じ構造の建物は八瀬比叡山口駅にも残っており、こちらも現役だ。

探索コース

 出町柳の駅名は、周辺地区の通称の「出町」と、付近の旧字(あざ)である「柳」から付けられたとされる。川べりには柳やサクラの木が植えられ、草木や花の苗などを売るガーデニング専門店が並ぶ。京都御苑はサクラや紅葉の名所として名高い。今出川通には、「ほんやら洞」のほかにもゆっくりと時間を過ごせるレトロな喫茶店が多い。

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