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ぷらっと沿線紀行

帰ってきました。太子様 JR大和路線 法隆寺駅

2008年6月21日

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写真朝日に照らされた斑鳩の里。法隆寺上御堂の向こうをJR大和路線の電車が走り抜けていった写真法隆寺五重塔をバックに記念写真を撮る観光客たち写真法隆寺駅の近く。民家や商店が立て込み、法隆寺五重塔(後方)が見える場所は少なくなった=いずれも奈良県斑鳩町写真駅から法隆寺へ運ばれる礎石。奥に五重塔が見える=「法隆寺発掘調査概報2」から写真法隆寺に帰還した礎石。普段は見ることができない=05年7月、奈良県斑鳩町写真池を横切る天理軽便鉄道の廃線跡=奈良県安堵町地図   フォトギャラリー

 珍客が駅を降りたのは1939(昭和14)年10月14日の午後だった。そのニュースを翌朝の大阪朝日新聞奈良版が伝えている。

 「住吉の野村邸から七千五百貫の巨体をエンヤラヤと古里に向かって旅立った問題の心礎は十四日ついに法隆寺駅に到着した」

 心礎とは2.7メートル四方、高さ1.2メートルの巨石。実際の重さは7500貫(約28トン)もなかったが、それでも12トンだ。かつて法隆寺境内で塔の心柱を支えた礎石とみられていた。

 明治中期、近くに住む男爵が庭石にするため持ち出した後、神戸・住吉の実業家に売却。寺の要望で数十年ぶりに返還されることになり、貨車に揺られてきた。

 駅から寺まで1.5キロ。歩いて20分ほどだが、巨石にとっては7日間の旅になった。並松(なんまつ)商店街に住む宇野逸雄さん(78)は当時9歳。男たちがゆっくり石を引いていたのを覚えている。「『石が毎晩夜泣きするんで法隆寺へ返される』と聞かされたなあ」

 運搬費は予定より安く済んだ。そこで、残金を使い周辺を発掘調査したところ、大発見があった。

 607年創建の法隆寺は670年に火災で焼失したとされる。現在の伽藍(がらん)は8世紀初めまでに再建され、近くに創建時の伽藍跡があるのではと考えられていた。その遺構が出土したのだ。

 巨石の帰還は、失われた斑鳩(いかるが)の風景を浮かび上がらせた。

■永遠なれ 「和」のふるさと

 聖徳太子が法隆寺を建てたとされる時代。斑鳩の里は、飛鳥から20キロも離れた辺境の地だった。イカルという体長20センチ余りの野鳥が群れ飛んでいたのが地名の由来という説があり、のどかなところだったはずだ。

 1890(明治23)年に当時の大阪鉄道が一部開業。法隆寺駅に降り立った参拝客は、高さ31.5メートルの五重塔を目印に歩いた。

 「停車場から村の方へ行く半里ばかりの野道などは、はるかに見えているあの五重塔がだんだん近くなるにつれて、何となく胸の踊り出すような、刻々と幸福の高まって行くような、愉快な心持ちであった」。1918(大正7)年に奈良を訪れた哲学者の和辻哲郎は「古寺巡礼」に書きとめた。

 ただ、その文化財的価値が今ほど広く知られているわけではなかった。礎石が庭石にされてしまったのも、それ故だろう。

 社会の関心が集まったのは、1949(昭和24)年1月26日早朝に起きた痛ましい出来事がきっかけだった。昭和大修理中の国宝金堂が炎に包まれ、阿弥陀浄土図などが描かれた壁画12面すべてが焼損。出火原因はわからなかった。その衝撃と反省が、翌年の文化財保護法制定につながった。

 焼け焦げた壁画は当時の姿のまま収蔵庫に眠る。「悲惨な火災が法隆寺を全国に知らしめ、文化財の大切さを一般に浸透させるのに大きな役割を果たした。皮肉なことですが」と長老の高田良信(りょうしん)さん(67)。金堂修理が終わり、落慶法要が営まれた54年以降、参拝者が急に増えた印象があるという。

    ◇

 戦後、駅の周辺では開発が進み、寺の南側に広がっていた稲田はなくなった。いつの間にか、民家の陰に隠れて駅からは五重塔が見えなくなった。

 それでも法隆寺の存在感は揺るぎない。93年に姫路城とともに国内初の世界文化遺産に登録。97年制定の斑鳩町民憲章は「わたしたちは、聖徳太子ゆかりの斑鳩のまちに住むことを誇りとし、『和』の精神を尊び……」とうたう。

 ここで生まれ育ち、大阪で会社勤めをしていた矢井田陽子さん(36)は5年前から、法隆寺の裏手で喫茶店を切り盛りしている。子どもを亡くした悲しみを癒やすため寺を毎年訪れる50代の夫婦がいる。「斑鳩で初めて夕日の美しさを知った」と話す観光客もいた。「ここは心を穏やかにし、日本の良さを教えてくれるところ。全国から訪れる人と出会い、私もその素晴らしさに気づきました」

    ◇

 何の変哲もない平屋建てだった法隆寺駅は昨年3月、2階建ての橋上駅に改築された。白壁に塔を思わせる重層の屋根。法隆寺をイメージしたデザインだ。

 取材を終えて駅に戻り、見晴らしが良くなった2階の改札口から振り返る。商業施設の屋根の上に、新緑の山肌に溶け込むようにして、五重塔の最上層がちらりとのぞいた。

(文・藤田さつき 写真・森井英二郎)

鉄っちゃんの聞きかじり<天理への近道…でした>

 法隆寺駅から奈良方面に向かってすぐ、進行方向右側の車窓に、赤れんがを土台にした道のようなものが池を横切っているのが見える。1915(大正4)年に開業し、新法隆寺駅から天理駅までの9キロを結んだ「天理軽便(けいべん)鉄道」の廃線跡だ。

 新法隆寺駅は法隆寺駅のすぐ南にあった。各地から訪れた天理教信者を奈良や桜井を経由せずに天理へ運ぶのが、この鉄道の役割だった。

 軽便鉄道とは、明治末―大正時代に各地に敷設された短距離の簡易鉄道。これに詳しい元高校教諭の松藤貞人さん(81)は「当初は深夜まで天理行きが走っていた。誤算だったのは、反対方向の客が少なかったこと。帰りの信者は国鉄で奈良見物に行ってしまったのです」と解説してくれた。近鉄の前身会社が20年に買収。22年から区間を短縮して細々と運行を続けたが、戦時中にレールを供出して廃線となった。

探索コース

 斑鳩の里を訪れたら、法隆寺と合わせて法起寺、法輪寺の3塔を巡るのも楽しい。法起寺の三重塔は飛鳥時代の建立。法輪寺の三重塔は1944年に落雷で焼失し、文化人らの尽力で75年に再建された。「法隆寺金堂展」(奈良国立博物館で7月21日まで)の来場者は、法隆寺の本尊・釈迦三尊像と根本本尊・薬師如来像を割引料金で拝観できる。

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