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ぷらっと沿線紀行

風はあの日を覚えてる JR山陰線 大山口駅

2008年7月12日

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写真大山口駅の近く。列車はいくつもの風車の横を過ぎていった。羽根は海風を受けてゆったり回っていた写真大山口駅のホームで列車を待つ高校生たち。63年前の空襲犠牲者の中には、同じ年頃の若者もいた写真土手に挟まれ退避所になっていた空襲現場。当時とほとんど変わっていないという写真列車空襲の犠牲者を悼む慰霊碑=いずれも鳥取県大山町写真境内に線路が通る日吉神社=鳥取県米子市地図   フォトギャラリー

 巨大な建造物が次々に車窓を通り過ぎていく。発電用の風車だ。支柱の高さは65メートル、1枚の羽根の長さは35メートルもある。

 日本海から風が吹き付ける土地柄を生かし、鳥取県中西部の4町に計38基が立つ。町や民間会社が2002年から建設を進め、1基で700世帯以上が消費する電力をつくれるという。

 大山口(だいせんぐち)駅の近くにも点在している。「シュッ、シュッ」。近くまでいくと、羽根が風を切る大きな音が頭上から聞こえてくる。

 63年前の「あの日」は、夏空に響くプロペラの音に人々が身を固くした。

 敗戦間近の1945(昭和20)年7月28日。午前7時15分、鳥取発出雲今市行き11両編成の列車が大山口駅に着くと同時に、多数の機影が現れた。米軍の空襲だ。列車は、線路の両側を土手に挟まれた退避所まで約600メートルバックしたが、3機から銃撃を浴びた。

 前2両は南方戦線から引き揚げてきた傷病兵ら、3両目以降は勤労学徒や国民義勇隊員らで満員だった。確認されただけで死者45人、負傷者31人。列車への空襲としては、同年8月5日に東京都八王子市で50人以上が犠牲になったのに並ぶ惨事だったという。

 駅前には、高さ3メートルを超す黒御影石の碑がある。刻まれているのは、列車への空襲で亡くなった人たちの名前。今年も、もうすぐ慰霊の日がめぐってくる。

■霊峰のふもと 平和の祈り

 中国地方の最高峰・大山(だいせん)(1729メートル)は古くから山岳信仰の対象だった。8世紀初めの奈良時代、殺生を省みて出家した狩人が修験道の道場を開いたとされる。

 いくつもの山が連なる姿は噴火活動によってかたちづくられた。眺める場所によっては富士山のようだったり、岩壁みたいだったり、様々な表情を映し出す。

    ◇

 大山口駅は、鳥取―松江間が鉄路で結ばれてから18年後の1926(大正15)年に開業。霊峰へ向かう人たちによるにぎわいは、戦争で途絶えた。45年3月の東京大空襲以降、本土空襲は激しさを増し、7月になると山陰地方でも連日のように警報が鳴った。

 あの日、伊藤清さん(78)は15歳。米子市の工場へ勤労奉仕に出かける途中だった。自宅の最寄り駅から二つ目が大山口駅。列車が後退して退避所に入った直後、銃撃音が聞こえ、乗客らは騒然となった。気が付くと退避所の線路脇に倒れていた。慌てて車両の下に隠れたが、弾の破片が右腕を貫通し、髪や眉は焼け焦げ、爆音で鼓膜が破れた。

 かつて狩人が命に思いをはせた山の入り口で、惨劇は起きた。伊藤さんは今も現場を通りかかるたびに、「この線路の下に、どれだけの血が染み込んでいるのだろうか」と考える。

 犠牲者の遺族らは毎年、空襲のあった日にそれぞれ駅を訪れて手を合わせてきた。やがて互いに面識ができ、一緒に慰霊できる場所をつくろうと91年に「大山口列車空襲被災者の会」を結成。寄付を集めて翌年に碑を建てた。

    ◇

 平和とともに観光客が駅に戻ってきた。だが、米子市と大山の中腹を結ぶ大山観光道路が63年に開通すると、山の玄関口は鉄道や道路の要衝である米子駅へ移った。大山口駅の一日平均乗車人数は、最盛期だった60年代初めの約1300人から約300人にまで減少。06年には無人駅になった。

 駅前の商店会に加盟するのは14店で、1974年の発足当初に比べて半数以下。さびれていく街を活気づけたいと今年5月、商店会や地元の企業などが立ち上がり、大山町観光協会の地元支部を設立した。

 支部長に就任したのは、商店会の会長で洋品店を営む岩崎学さん(67)。最初の取り組みは観光マップ作りだ。

 駅の近くには、弥生時代の大規模集落跡「妻木晩田(むきばんだ)遺跡」、江戸時代の大庄屋の屋敷などがある。来春までにマップを完成させ、大山だけではない地元の魅力をPRしたいという。

 4年前に亡くなった岩崎さんの母は、空襲に遭った列車に乗り合わせ、九死に一生を得た。「母はいつも、『二度と戦争はあってはならない』と話していた。ここを訪れた人は、慰霊碑にも立ち寄ってほしい。観光スポットとともに、忘れてはいけない地域の歴史も伝えたいと思っています」

(文・徳永悠 写真・高橋正徳)

鉄っちゃんの聞きかじり〈参道で「カーンカーン」〉

 大山口駅から西へ向かい、次の淀江駅を過ぎると、列車は日吉神社の境内を横切っていく。毎年5月の例大祭には約8千人の参拝者が訪れるが、線路が敷かれて約100年間、事故は一度も起きていないという。「不思議ですね。氏神様の御利益でしょうか」と安江忠愛(ただちか)宮司(80)。

 線路は別のところを通るはずだったが、地元住民が反対したため、当時は内務省神社局が管理していた神社の境内にルートが変更された。

 06年1月、鳥取県内のJR伯備線で保線作業員5人が列車にはねられるなどして死傷する事故が発生。安全対策の徹底を図るため今年3月、鳥居と社殿を結ぶ参道に警報機付きの遮断機が設けられた。

 交通科学博物館(大阪市港区)によると、住民の反対で線路の敷設計画が変更になったケースは多いが、神社の境内に踏切があるのは珍しいという。

探索コース

 大山寺の起こりは約1300年前とされ、かつては比叡山延暦寺、高野山金剛峯寺と並ぶ山岳仏教の修行道場だった。重要文化財の阿弥陀堂がある。観光案内は大山情報館、大山を基本から学ぶなら大山自然歴史館へ。バスで大山口駅から30分、米子駅から30分〜1時間弱。近くにスキー場や観光牧場もあり、一帯には年間約130万人の観光客らが訪れる。

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