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ぷらっと沿線紀行

チエの町や ここは 南海本線 萩ノ茶屋駅

2008年7月26日

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写真高架上の駅を降りると商店街。日が暮れる前から、赤ちょうちんに明かりがともっていた写真古い家並みが残る駅の西側。駄菓子などを売る店の前で、子どもたちが鬼ごっこに興じていた写真用途が決まらず空き地のままの南海天王寺支線跡地=いずれも大阪市西成区地図フォトギャラリー

 平日の朝、仕事にあぶれた労働者らが立ち飲み屋に集い、カラオケのマイクを握っていた。駅員の岡春男さん(57)は「こないはよから、にぎやかな駅前は、ほかにありまへんな」と笑う。

 駅の西は棟割り長屋が連なる下町。東は簡易宿所が立ち並ぶあいりん地区(釜ケ崎)。何十年も時が止まったままのような街だ。

 漫画「じゃりン子チエ」(双葉社)が誕生したのは30年前。ファンの間では、作中の「西萩駅」はここがモデルとされる。

 81年の映画化でチエの声を担当したのは当時参院議員だった作家の中山千夏さん(60)。11歳の時、簡宿・釜ケ崎荘をめぐる人間ドラマを描いた舞台劇に出演し、天才子役と呼ばれた。「私しかいない」。小5でホルモンを焼き、大人を相手に奮闘するチエの役が回ってきたのは運命だと思った。

 その年の夏、中山さんは初めて釜ケ崎を訪れた。小学校で労働者らを前に講演し、前向きに生きてほしいと呼びかけたら、「きれいごとや」とヤジが飛んだ。一方で、「また来てや」と涙を浮かべたり、のどが渇いたやろうとジュースをくれたりする人も。聴衆の一人が黙って差し出した千円札は、炊き出しのカンパになった。

 「よそから集まった人が多いのに、お互いに他人の感じがしない街」と中山さんは思う。駅の周りを歩いていると、チエちゃんに出会えそうな気がした。

■ホンマはみんな優しいねん■

 江戸時代、住吉大社へ向かう街道沿いに、参拝客らが足を休める人気スポットがあった。周囲に紅白のハギの花が咲き乱れる風流な茶屋。それが地名の由来になったという。辺りはネギ畑が広がるのどかな農村地帯だった。

 その姿が変わり始めたのは100年余り前。現在の天王寺公園付近で1903(明治36)年に第5回内国勧業博覧会が開かれた際、近くに密集していた簡易宿所が行政によって釜ケ崎へ強制移転させられ、街の原形ができた。戦後、焼け野原に再び簡宿が立ち並び、全国最大の日雇い労働市場「寄せ場」になった。

    ◇

 萩ノ茶屋駅の開業は1907(明治40)年。所属は南海本線だが、現在は高野線の各停電車しか止まらない。ホームは6.7メートルの高架上。その向こうに夕日が沈むころ、労働者たちが現場から戻り、立ち飲み屋やホルモン屋が軒を連ねる駅東側の商店街はいっそう活気づく。

 改札口前にある甘党喫茶「ハマヤ」の客は9割方が男性だ。冷やしぜんざい、ミルク金時のかき氷で、仕事に疲れた体を癒やす。

 店番の浜口陽子さん(56)は兵庫県西宮市生まれ。中学から大学まで神戸女学院に通い、都銀に勤めていたが、大学時代から交際していた店主の博さん(60)と結ばれてこの街にやって来た。近くで暴動が起きることもある土地柄に驚いたが、なじむのに時間はかからなかった。

 お盆が近づく。「クニに帰りたい。いや、あかん」と言葉をのみ込む人。酒を飲まず、妻子に仕送りを続ける人。「みんな突っ張ってるように見えて、心根は優しいんよね」と陽子さんは言う。

 大阪市によると、800メートル四方の釜ケ崎に住むのは推計3万人で、7割が日雇い労働者。だが、携帯電話ひとつで仕事が見つかる時代になり、景気の低迷もあって、新たな流入者は少ない。高度成長期に移ってきた人は年老い、地域のほぼ3人に1人は65歳以上。10年前に202軒あった簡宿は100軒余りに減った。

 四つの簡宿を営んできた木原博文さん(80)は「働き盛りが集まらん」と寂しげだ。高齢で働けなくなっても、宿泊施設を居住地にしている人は生活保護の対象外になるため、04年から二つの簡宿をアパートに衣替えして元労働者を迎え入れている。

    ◇

 一方、安い宿代と交通の便の良さから、簡宿には新たなニーズが生まれている。5軒を経営する会社が00年からネット予約の受け付けを始めたところ、ほとんど見られなかった海外からの宿泊客が急増。昨年は4万2千人が利用した。遠方からの受験生や出張のサラリーマンも来るようになった。

 鳥は木で休み、朝になると飛び立っていく。だから、簡宿は木賃宿とも呼ばれた。宿り木が林立する釜ケ崎は、労働者や客人らを包み込む森なのかもしれない。

(文・室矢英樹 写真・日置康夫)

鉄っちゃんの聞きかじり〈どないする? 支線跡地〉

 釜ケ崎の東側にはかつて、南海天王寺支線が走っていた。天王寺―天下茶屋の2.4キロを結んで1900(明治33)年に開業。昭和初期には貨物輸送に貢献し、戦後は通勤、通学の人たちでにぎわった。

 66年、現在のJR大阪環状線と接続する南海本線新今宮駅が開業すると、利用客が減少。大阪市営地下鉄堺筋線が天下茶屋駅まで延伸されることになったのを受け、84年に天下茶屋―今池町がまず廃止され、93年には完全に姿を消した。廃線跡の一部には建物や道路ができたが、用途が決まらないままフェンスで囲われた空き地も多い。

 天王寺支線は簡易宿所や商店が立ち並ぶ狭い道路を横切り、踏切が多かった。75年ごろ、修学旅行生を乗せた臨時電車を運転したことがあるという新今宮駅長の松原道寛さん(59)は「緊張しながら走ったもんや」と振り返る。

探索コース

 萩ノ茶屋駅の周辺には大阪を代表する観光地がいっぱい。北に行けば、商売繁盛の神様「えべっさん」の今宮戎神社や、通天閣。東の松乃木大明神には、浄瑠璃作家の近松門左衛門を顕彰する石碑、三味線に使われたネコを供養する猫塚がある。近くには、かつて多くの芸能人や興行師が住み、上方演芸発祥の地とされる「てんのじ村」の記念碑がある。

※「ぷらっと沿線紀行」は次週から4回休載し、8月30日に再開予定です。

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