呉港のほとりを走り抜ける瀬戸内マリンビュー。その向こうに、建造中の巨大なタンカーが見えた=広島県呉市
実物の潜水艦を利用した「てつのくじら館」は、買い物客らが行き交う大型商業施設の隣にあった=広島県呉市
手前が電化前に使われていたトンネル。線路だったところが家庭菜園になっている=広島県呉市
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ふつうの車両より大きな窓の外を、瀬戸内の風景が流れていく。海に浮かぶ島々、漁港、カキ養殖のいかだ、建造中の巨大タンカー……。クルーザーをイメージした車内には海図や羅針盤が飾られ、ヘッドマークのデザインはオールと浮輪。鉄道なのに、船旅をしているような気分が味わえる。
2両編成の臨時快速列車「瀬戸内マリンビュー」がJR呉線(海田市(かいたいち)―三原)を走り始めたのは05年。一日4本のうち2本は山陽線を通って広島と結び、車両点検で運休する時期もある。
景色の美しさをPRして観光客増につなげようと考えた沿線4市がJR西日本に提案。古い車両の改造費約8千万円を負担した。同じ昼の時間帯を走る他の列車の乗車率は3〜6割だが、マリンビューは7割以上だ。
海に加えて後方に山が迫る呉は、かつて軍事拠点だった。海軍を統括する呉鎮守府が1889(明治22)年に開庁。1903(明治36)年には呉海軍工廠(こうしょう)が置かれた。同じ年に開業した呉線は、人や物資を運んで軍都の発展を支えた。
戦時色が濃くなってくると、車窓から青い海は望めなくなった。沿岸に密集する軍事施設の機密を守るため、線路脇に「目隠し板」が設置されたからだ。マリンビューの開放感とは大違い。当時の乗客はトンネルの中を走っているような圧迫感を抱いたという。
■平和よ この青空よ
線路の海側に列車とほぼ同じ高さの「目隠し板」が登場したのは1936(昭和11)年。詳しい記録は残っていないが、44年に国鉄に入って蒸気機関車のかまたきをしていた面迫(おもさこ)幸雄さん(79)=広島県熊野町=によると、呉市内で延べ数キロにわたり、列車から海が見通せる場所に設置された。車掌が窓のよろい戸を閉めるよう乗客に指示することもあった。
海上の軍艦には山で伐採した松の木が載っていた。小島のように見せかけて敵機を欺く作戦だったが、成功はしなかった。終戦直前に米軍機がまいた降伏を求めるビラには「船の上の木が枯れていますよ」と書かれていたという。
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14回の空襲を受け、約2千人の市民が犠牲になった呉は戦後、海軍工廠の技術を生かした造船や製鋼などで復興を遂げ、海上自衛隊呉基地も置かれた。目隠しの対象だったものはいま、観光資源の一つになっている。
科学技術のすばらしさを伝えようと05年に開館した呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)の目玉は、呉で建造された戦艦大和の巨大な模型。実物の10分の1、全長26.3メートルもある。年間40万人と見込んだ来館者は約半年で100万人を突破した。07年4月にできた海上自衛隊呉史料館(てつのくじら館)は実物の潜水艦の内部を公開。今年2月、目標より2カ月早く来館者50万人を達成した。
大和は沖縄へ向けて航行中の45年4月、米軍の爆撃を受けて東シナ海に沈み、乗員3千余人のうち生還したのはわずか276人だった。当時17歳だった八杉康夫さん(80)=広島県福山市=は重油が浮かぶ海に投げ出され、上官が浮輪代わりの丸太を譲ってくれて助かった。「おまえは若いんだから、頑張って生きろ」。上官はそう言って海中に消えた。
「多くの人が生きようともがいて死んでいった。二度とあんな時代に戻りたくない」。証言活動を続ける八杉さんは、ミュージアムを訪れる修学旅行生たちに「平和は祈るものではなく、自分たちの手でつくるもの」と訴えている。
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平和な時代だからこそ、軍隊食も味わえる。呉市は今夏、旧海軍が作っていた料理のうち8品のレシピを復刻。市内のレストランやホテルなど20カ所を目標に協力を求め、10〜12月の期間限定でメニューに加えてもらう予定だ。
ロールキャベツにはジャガイモがたっぷり入り、クラムチャウダー(貝と野菜のスープ)はそうめんをつけて食べる。食材が乏しいなか、ありあわせのものをうまく利用していたのだという。復刻のアドバイスをした元海上自衛隊1等海佐で海軍料理研究家、高森直史さん(69)=広島市安芸区=は「世界を巡った軍艦は多様な食文化を取り込み、それが民間に伝わって日本の食の発展に貢献した」と語る。
軍都が培った「技術」の平和利用で、街は活気づいている。
(文・石田貴子 写真・高橋正徳)
鉄っちゃんの聞きかじり〈単線なのにトンネル2つ〉
呉線は単線だが、海田市―呉間の11カ所のトンネルの隣には、それぞれ並行して別のトンネルがある。戦時中、軍事輸送の増強のために複線化を目指して新たなトンネルを掘り始めたが、戦局の悪化で中止になった。戦後に電化した際、運行を続けながら工事をするためにこれを掘り直して新しい線路を敷き、使われなくなった古い方のトンネルがそのまま残されているという。
事故が起きれば上下線ともに影響が出てしまうため、複線化は沿線市町の長年の悲願だ。05年の呉市長選では、複線化を公約に掲げた現市長が当選した。呉線の機能強化に向けた調査を06年度に始めたが、複線化には多額の費用がかかるため、すぐに着手できる状況ではない。
呉市の担当者は「残っている古いトンネルを掘り直して使えば、工事費の節約につながるはず」と活用に期待を寄せている。
探索コース
大和ミュージアム、てつのくじら館は呉駅から海側へ徒歩約5分。山側へ約10分歩くと、14軒の屋台が並ぶ一角がある。電気と上下水道が完備され、焼き鳥、ラーメンのほかアジアやイタリアの本格料理も味わえる。「れんがどおり」は呉市内で最もにぎやかなアーケード商店街。延長780メートルで、歩道には36万個のれんがが敷き詰められている。