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ぷらっと沿線紀行

線路は続くよ 脈々と JR関西線 島ケ原駅

2008年10月4日

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写真夕闇が迫るころ、電化から取り残された区間を走るディーゼルカー。レールは「鉄道村」へ続く写真183メートルもあるホームに1両のディーゼルカーが入ってきた。山あいの島ケ原駅は静かだった=いずれも三重県伊賀市写真幕を下ろすのが仕事だった「幕引きさん」写真加太トンネルの東側入り口に下ろされた幕=いずれも1971(昭和46)年、三重県亀山市地図フォトギャラリー

 「鉄道村」。三重県島ケ原村(現伊賀市)にはこんな異名があった。全世帯の3分の1に国鉄マンがいたからだ。

 JR関西線の前身は、関西鉄道の湊町(現JR難波)と名古屋を結んだ路線。ほぼ中間点に島ケ原駅が開業したのは1897(明治30)年のことだった。四方を山に囲まれて耕地が狭く、農業だけで食べていけない村人たちは、街道沿いに牛馬で荷物を運び、収入を得ていた。その仕事を汽車に奪われると、関西鉄道への就職者が相次いだ。

 駅員、機関士、車掌、整備員……。1907(明治40)年の国有化後も、家業のように鉄道の仕事が受け継がれていった。旧島ケ原村史によると、54(昭和29)年には全約750世帯のうち239世帯で計253人の国鉄職員がいた。新規採用の抑制などで少なくはなったが、旧村域に現在も50人前後の現役がいるという。

 大阪駅から乗った大和路快速の終点は加茂駅(京都府木津川市)。ここから先は未電化の単線だ。1両のディーゼルカーに乗り換え、約1時間半で島ケ原駅に着いた。かつて長編成の列車が止まったホームは183メートルもあるが、平日の昼前に乗り降りしたのは記者だけで、がらんとしていた。

 「大阪・名古屋と複線電化を」と訴える看板が駅構内にあった。レールに活気を取り戻そうと、鉄道村の人たちは奮闘していた。

■ぽっぽや村はあきらめない

 終戦から2週間。島ケ原で生まれ育った当時14歳の勝矢文義さん(78)は、国鉄奈良駅で助役をしていた親類から就職を勧められた。「召集でベテランがいなくなって人手が足りん。来てくれ」

 奈良駅で2年間、天王寺駅で38年間、改札業務などに携わった。一昼夜の勤務を終えて島ケ原へ帰る。出勤の日の朝、6両編成の湊町行きが島ケ原駅に着くと、それぞれの職場へ向かう100人近い国鉄職員が乗り込んだ。

 関西線175キロのうち114キロは1980年代までに電化され、大阪と名古屋の都市近郊路線として利便性が高まった。だが、島ケ原を含む中間部分、加茂(京都府木津川市)―亀山(三重県亀山市)はすっぽり取り残された。大阪へ行くには加茂駅で乗り換えが必要になり、そこまで車を使う人も増えた。島ケ原駅に止まるのは通常、2両編成が最長になった。

 「国鉄職員だったわしらが、現状に横向いとったらいかん」。勝矢さんら沿線住民や地元企業は88年、「複線・電化を進める会」を結成。93年から電化費用の募金活動を始めた。

 だが、過疎化などで一部区間の乗客はここ10年間で2割減少。先が見えない中、「進める会」は今夏、名称から「複線」の2文字を削った。公共施設などに置いていた募金箱965個は06年までに撤去。集まった290万円は眠ったままになっている。

    ◇

 それでも、鉄道村はあきらめていない。「博物館を開けないか」。国鉄に42年間勤めた島ケ原観光協会長の田増治雄さん(76)らは、こんな案を練っている。

 国鉄時代の切符の出札箱、駅で使っていた火鉢やベンチ、列車の行き先表示板……。元国鉄マンが手元に保管する懐かしい品々は、鉄道ファンや昔を知る人らの関心を引くはず。開業当時のまま残る島ケ原駅に展示し、関西線で見に来てもらおうという計画だ。

 観光ガイドも始めた。島ケ原は周辺諸国の大名が参勤交代に使った大和街道の宿場町だった。旧本陣、関所跡、奈良・東大寺の別院として創建されたという観菩提(かんぼだい)寺、松尾芭蕉が尻もちをついたと伝わる「芭蕉の尻もち坂」など名所は多い。駅のホームには、しまがはら郷づくり公社が運営する温泉施設の案内看板も立てた。

    ◇

 ガソリン高騰や環境への関心の高まりのせいか、今夏のJR西日本の利用客(新幹線・特急・急行)は前年並みを維持。関西線の未電化区間でも帰省客や観光客らで満員になる日があった。

 夕暮れ時。大阪府吹田市の事務職員田中麻里さん(21)が、温泉を楽しんで島ケ原駅に戻ってきた。青春18きっぷの旅。ホームの看板に誘われて下車したという。

 「鉄道の時代が来たと思う。疲れないし、目的地まで時間通り連れて行ってくれる」

 傍らで聞いていた田増さんのほおが緩んだ。

(文・星乃勇介 写真・小玉重隆)

鉄っちゃんの聞きかじり〈トンネルに「幕引きさん」〉

 JR関西線の加太(かぶと)駅(三重県亀山市)と柘植(つげ)駅(同県伊賀市)の間にある加太トンネル(930メートル)では、1970年代初めに蒸気機関車が廃止されるまで、「幕引きさん」と呼ばれる人が働いていた。蒸気機関車がトンネル内に入ると、鉄棒に張った布幕(幅4メートル、高さ5メートル)をトンネルの入り口に下ろすのが仕事だった。

 ここは「加太越え」と呼ばれた難所で、柘植駅側に向かって1キロごとに25メートル上る急な坂。蒸気機関車は時速20キロ前後しか出せず、トンネル内に煙が充満して乗務員や客を巻き込んでしまう。そこで考案されたのが、幕を下ろし、走り去っていく列車との間の気圧を下げて煙を後ろへ流す仕組みだった。冬の夜は寒さで機関車のパワーが上がらず、登坂に失敗することも。煙に巻かれながらズルズルと後退し、幕を突き破って戻ってきてしまうこともあったという。

探索コース

 島ケ原の特産の一つに耐火粘土がある。戦前は軍需工場向けに貨車で積み出された。伊賀焼の原料としても使われ、駅から徒歩15分の普門窯(0595・59・2012)では見学や制作体験ができる。予約が必要。11月30日には街道筋の名所を回る「大和街道ウオーク」が開催される。問い合わせは島ケ原観光協会駅前案内所(0595・59・3020)へ。

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