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ぷらっと沿線紀行

金田一さん!!開通です 井原鉄道

2008年10月18日

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写真夕日に向かって高梁川を渡る井原鉄道の列車。小説の中で金田一耕助がここを訪れたころは、交通の不便なところだった=岡山県総社市写真無料公開されている横溝正史の疎開宅。障子に浮かぶのは金田一耕助のシルエット=岡山県倉敷市写真田園風景が広がる川辺宿駅周辺。線路で地域が分断されるのを避けるため、井原鉄道は高架部分が多い=岡山県倉敷市写真観光客が待つ井原駅のホームに入ってきた総社行きの車両=岡山県井原市写真井笠鉄道記念館に展示されている機関車=岡山県笠岡市地図   フォトギャラリー

 岡山県の南西部。JR伯備線の清音(きよね)駅から第三セクター井原(いばら)鉄道の線路が分岐し、3分ほどで川辺宿(かわべじゅく)駅に着いた。出迎えてくれたのは、ホームの駅名表示板に描かれた名探偵・金田一耕助だった。

 1937(昭和12)年11月、金田一は高梁(たかはし)川を渡って川辺宿に向かった。もじゃもじゃの髪、形が崩れた帽子、しわだらけのはかま……。映画などでおなじみのキャラクターが推理小説「本陣殺人事件」で初登場したシーンだ。作者の横溝正史は戦時中に東京からこの辺りへ疎開し、大名を泊める本陣だった旧家で事件が起きる筋書きを練った。

 川辺宿は山陽道の宿場町として栄えた。今では一里塚や本陣跡の碑があるだけだが、西隣の宿場だった矢掛(やかげ)には本陣や脇本陣の建物が残る。毎年11月の第2土曜には、殿様、道中奉行、腰元などに扮した住民約80人が大名行列を再現する祭りがあり、「下にー、下にー」と練り歩く。

 明治維新後、住民たちは「宿場がすたれる」と鉄道建設計画に反対し、山陽道より5〜10キロ南の瀬戸内海沿いにレールが敷かれた。「本陣殺人事件」の中でも川辺宿一帯は「乗り物の都合のわるいところ」と表現され、清音駅を降りた金田一は歩くしかなかった。

 そんな交通不便な地に井原鉄道が開通したのは約10年前。さぞかし住民に歓迎され、利用されているのかと思いきや……。

■光も影も織りこみ、歩む

 遅れてきた鉄道――。総社(岡山県総社市)―神辺(広島県福山市)の41.7キロを一部JRに乗り入れて結ぶ井原鉄道は、住民からこう呼ばれる。

 日曜の昼過ぎ、川辺宿駅から1両だけのディーゼルカーに乗って神辺方面に向かった。乗客は他に3人。窓外には、黄金色の稲穂が揺れる田んぼが広がっていた。

   ◇

 鉄道構想が持ち上がったのは1951(昭和26)年。明治時代の線路敷設を逃した地元市町村は国鉄に必死の陳情をしたが、「赤字線にしかなりえない」と突っぱねられた。潮目が変わったのは、ジーンズブームが起きた60年代だ。

 岡山県の西端に位置する井原市には江戸時代から、あい染めの織物業者が多かった。それが次々とデニム生産に転換。織機をガチャッと動かせば1万円稼げたといい、「ガチャマン」と呼ばれた。若者が数百人規模で集団就職し、機械は24時間稼働。その活気が66年の国鉄新線着工に結びついた。

 ところが、国鉄の経営悪化で工事は80年に凍結。井原市会計管理者の松山裕郎さん(59)は当時、担当職員として何度も国へ陳情に出向いた。第三セクター方式を提案されると、自治体や民間企業を回って出資を募った。

 86年に三セクが設立され、今度は工事再開の認可を取り付ける仕事に追われた。「国から『沿線人口が不足』と言われれば、住宅団地を発案。『収益が見込めない』と言われれば、3年おきに値上げすることにした」という。

 工事は87年に再開され、99年1月、ようやく開業にこぎつけた。だが、この間にバブル経済が崩壊し、沿線人口は流出。乗客は開業当初から予想の半分の一日約3千人、毎年1億〜3億円の赤字だ。

   ◇

 織物業者は中国製の台頭などで最盛期の300社以上から17社に減少。それでも、新たな光明が見えてきた。

 井原市生まれのジーンズデザイナー丸山英輔さん(46)は6年前、地元で「commonplace」というブランドを創設。昨冬、ニューヨークやバルセロナの展示会に初出展したところ、3万円以上の高級ジーンズが200本近く売れた。生地や色合いの良さなどが好評で、今ではパリやロンドンからも注文が入る。

 「井原のジーンズが評価され、若い人が繊維産業に戻ってきてほしい」と丸山さん。欧州の一流ブランドに生地を提供する工場もあり、地域再興への期待がかかる。

 井原鉄道も攻めの姿勢を見せる。イベント会社と協力して今年から、カラオケやビールパーティーが楽しめる臨時列車を運行。昨年から井原、吉備真備、矢掛の各駅持ち回りで毎月第1〜3日曜に青空市を開き、地元農家などが出店する。燃料高騰を受け、沿線に菜の花を植えて菜種油を搾り、その廃食油を活用する構想も練る。

 「遅咲きの鉄道」を目指し、地道な歩みが続く。

(文・八尋紀子 写真・荒元忠彦)

鉄っちゃんの聞きかじり〈井笠鉄道記念館は旧駅舎〉

 井原鉄道の線路用地の一部は、井笠鉄道の廃線跡を利用している。

 井笠鉄道は井原笠岡軽便鉄道として1913(大正2)年、井原市と笠岡市を結ぶ19.4キロで開業。アサヒビールとサッポロビールの前身である大日本麦酒を起こし、「東洋のビール王」と呼ばれた井原市出身の馬越恭平らが設立した。その後、矢掛線、神辺線を設け、40年には総延長37キロになった。

 井原鉄道の湯野駅近くの高架下には井笠鉄道の橋げたが残る。線路幅はJR在来線の106.7センチに対して76.2センチしかなく、旧新山駅(笠岡市)を利用した井笠鉄道記念館に保存されている当時の車両は遊園地の豆汽車のようにかわいらしい。

 67年に矢掛線と神辺線が廃線になり、71年には全線が消えたが、井笠鉄道の名はバス会社として存続。旧矢掛駅はバスセンターとなり、軽便鉄道時代の待合室が使われている。

探索コース

 川辺宿駅前には「ミステリー遊歩道」の案内板がある。イラストの金田一耕助は血なまぐさい事件とは無縁のかわいらしさだが、田んぼの中を進むと、「濃茶の尼のほこら」「千光寺」など、横溝正史の推理小説に登場する人物や場所のモデルになったものがいっぱい。横溝が散歩中に腰掛けたという「耕助岩」に座れば、どんな謎でも解けるかも。

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