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ぷらっと沿線紀行

ぐるりの旅140円なり JRで琵琶湖一周

2008年12月13日

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写真滋賀県の北部を永原駅へ向けて走るJR湖西線の電車。この辺りでレールは琵琶湖岸を離れ、山あいへ入っていく=同県高島市マキノ町写真雪が舞う近江塩津駅。ここで湖西線と北陸線を乗り換える=滋賀県西浅井町写真「お食事処ちょっと一福」。観光客が沿線の見どころを地元の人に尋ねていた=滋賀県西浅井町のJR近江塩津駅写真うどんの器を手に乗り換え時刻を確認する2人の中学生。琵琶湖一周の途中だという=滋賀県西浅井町のJR近江塩津駅写真直流化を祝うJR長浜駅での出発式=06年10月21日、滋賀県長浜市、同県交通政策課提供地図    フォトギャラリー

 JR東海道線の大津駅から琵琶湖一周約170キロの旅に出た。東隣の膳所(ぜぜ)駅までの切符を買う。旅費はこの140円だけだ。

 まず西隣の山科駅に向かい、湖西線に乗り換える。琵琶湖西岸を北上した後、北陸線と東海道線を通って東岸を南下し、逆方向から膳所駅を目指す。

 JRが定めた大都市近郊区間内では、途中下車や引き返しをしなければ目的地までの経路は自由。その特例を利用して、こんな大回りの旅ができる。

 山科を出た敦賀行きの新快速がトンネルを抜けると、鏡のような湖面が見えた。朝の陽光を浴び、比叡山の紅葉が燃え立つ。「うっわぁ――」。近くの席の家族連れが歓声を上げた。北端の近江塩津駅で姫路行きの新快速に乗り換える。同好の士だろうか、老若男女15人ばかりが乗りこんでいった。

 羽柴秀吉と柴田勝家が戦った賤ケ岳(しずがたけ)の古戦場を抱く余呉湖、お市の方が住んだ小谷(おだに)城の跡、織田信長が天下統一を夢見た安土城址(あづちじょうし)……。石山駅で普通に乗り換え、ひと駅で終着の膳所駅だ。「桜、紅葉、銀世界。景色が美しいこのルートは人気です」と車掌さん。

 特例区間に湖西線が加えられ、初乗り運賃で「一筆書きの旅」が可能になったのは1998年12月。今は最速約3時間で駆け抜けることができる。だが2006年10月までは、この経路に「魔の区間」が存在していた。

■湖北 ぬくもり芽吹いた

 山科駅を起点とするJR湖西線の終点は滋賀県西浅井町の近江塩津駅だが、かつて京都方面から来る電車の大半は一つ手前の永原駅で引き返した。送電方式が永原駅までは直流、そこから先は交流と異なっていたからだ。

 両駅の距離は6キロ足らず。この道のりが遠かった。05年6月の時刻表を見ると、永原駅と近江塩津駅を結ぶのは一日に上下各8本。午前11時55分の永原発に乗り損ねると、次は3時間後の午後2時57分までない。当時は、綿密に計画を立てて旅に出ないと琵琶湖の北端で思わぬ落とし穴にはまった。

 気軽に琵琶湖一周が楽しめるようになったのは06年10月21日、永原駅から近江塩津駅を経て長浜駅までの約30キロが都市近郊路線と同じ直流になったから。これで京都方面から近江塩津駅に乗り入れる電車が増え、便利になった。さらに北陸線へ乗り継ぐ電車が昼間はほぼ1時間に1本あり、5分ほどで連絡している。

 ちなみに、滋賀県は直流化の構想段階から「琵琶湖環状線」と呼んでいたが、JR西日本はこの名称を認めていない。「大阪環状線のように乗り換えなしでぐるっと回れるわけではなく、誤解を招くから」というのが理由だ。

   ◇

 塩津は万葉の昔から交通の要衝で、北陸の物資を都へ運ぶ港として栄えた。町の北部には、父親について越前に下った紫式部が歩いたとされる深坂(ふかさか)古道が残る。塩津から敦賀に至る深坂峠を掘削して琵琶湖と日本海を運河でつなぐ壮大な計画も、平清盛の時代から幾度となく浮上したという。

 1955(昭和30)年、永原村と塩津村が合併して西浅井村が誕生。だが、双方の間に横たわる日計山(ひばかりやま)が往来を阻み、71年の町制施行まで村役場は1〜2年ごとに永原と塩津を行ったり来たりした。「反目し合っていた部分もあったね」と当時を知る町長の熊谷定義さん(61)。その垣根を「環状線」が取っ払ってくれた。

 「この辺にちょっと一服できるところ、ないですか」。直流化が実現すると、近江塩津駅前に住む増谷和子さん(66)の家を訪ねてくる人が目立つようになった。

 新快速の乗り入れで駅の利用客は6割増えたが、辺りは閑散としている。「町の玄関口なのに何もないなんて」。同じ集落に住む沢田清美さん(55)、増谷淑子さん(52)と話し合い、駅に店が出せないか町に相談。熱意が伝わり、駅舎の一角を提供してもらえることになった。「お食事処(どころ)ちょっと一福(いっぷく)」が開店したのは今年7月。利益は出ていないが、3人は「おもてなしの気持ちで始めたのだから」と明るい。

   ◇

 ちょうどお昼時。草餅入りのかき揚げうどん、ササの葉にくるまれたおにぎり、コロッケを注文した。どれも手作りだ。「時間が許す限り、ゆっくりしていってね」。雪が舞い始めた奧琵琶湖の駅で、まごころの味に出会った。

(文・日比野容子 写真・新井義顕)

鉄ちゃんの聞きかじり〈西日本 直流9割〉

 電車を走らせるのに直流と交流の異なる方式があるのはなぜか。

 19世紀末に国内で鉄道電化が始まった時は直流方式だけだった。しかし、直流は電力の損失が大きいという欠点があり、1950年代に交流方式が生まれた。

 電力会社からの送電は交流で、電車のモーターを回すには直流へ変換する必要がある。沿線に変電所を設けて架線に直流電気を流すのが直流方式。車両に変換装置を取り付けるのが交流方式だ。

 変電所設置と変換装置取り付けのコスト比較、鉄道電化の歴史的経緯などから、地域によってどちらの方式を選ぶかが変わってくる。JR西日本管内の交流は北陸線敦賀―糸魚川(新潟県)の277.6キロだけで、電化区間の約9割が直流。JR東日本は直流が約6割、JR九州はほぼ全域で交流だ。ちなみに、新幹線は交流方式を採用している。

探索コース

 湖西線のほぼ全区間で車窓から琵琶湖が望める。特に美しいのは大津市北部で、湖面がパステルピンクに染まる夕暮れ時は格別。一方、北陸線の長浜駅以南と東海道線の区間は「琵琶湖線」の愛称を持つが、湖が見えるのは長浜駅付近と瀬田川を渡る時だけ。琵琶湖の北にある余呉湖は水面の穏やかさから「鏡湖(きょうこ)」とも呼ばれ、天女の羽衣伝説が残る。

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