住宅地の中をまっすぐ走る水間鉄道。地域にとっては欠かせない足だ
下校する小学生たちでにぎやかな車内。空いた座席で宿題を始める子も
車内で切符を売る車掌さん。昔ながらの改札ばさみをリズミカルに操る
地域の人たちが支える水間寺。広い本堂に読経が響いていた
水間駅に残る最初期型の自動改札機=いずれも大阪府貝塚市
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貝塚駅を出発した2両編成の電車は、住宅の軒先をかすめるようにしてゆっくり進んだ。「カチカチカチ……」。黒いかばんを提げた車掌さんが改札ばさみの音を響かせながら車内を回る。「こんなレトロな電車が大阪にもあったんやね」。大阪市内から来たという大学生の女性2人がほほえんだ。
大阪府貝塚市北部の5.5キロを走る水間(みずま)鉄道は1926(大正15)年、厄よけ観音で知られる水間寺の参拝客を運ぶために全線開業。70年代のピーク時には年間約400万人が利用した。車で寺へ向かう人が多くなったいま、年間約220万人の通勤・通学客らが乗る都市型路線に姿を変えた。
そんな鉄道が存続の危機にさらされたのは数年前。バブル期の過剰な不動産投資で経営が悪化した。05年に約258億円の負債を抱えて会社更生法の適用を申請した時、従業員の給料約3カ月分が未払いになっていた。
「妻と子どもに大変な思いをさせたが、鉄道にかかわる者として1本の運休も許されないという使命感で働いた」。沿線で生まれ育ち、18歳で入社した副運輸長の中塚康宏さん(40)は振り返る。
支援に乗り出したのは、うどん店をチェーン展開するグルメ杵屋(本社・大阪市)。当時会長の椋本彦之(むくもと・ひこゆき)さん(今年6月に72歳で死去)は貝塚に疎開した縁があった。彼から再建の実務を託されたのは、一人の元鉄道マンだった。
■父の背を追い 娘は走る
無人駅にはクモの巣が張っていた。士気が低下しているのか、管理が行き届いていない。水間鉄道の再生を頼まれた元南海電鉄社員の関西美津治(せきにし・みつじ)さん(80)は「これは難しいかも」と思った。
だが、有人駅の改札口では丁寧に客に対応する若手も目にした。「まじめな社員がいる現場なら希望はある」。何よりも元鉄道マンとして、客の足が奪われるのは見過ごせないと決意した。
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1953(昭和28)年に南海に入社した関西さんは、駅のトイレ掃除から始まり、運転士、車掌、駅員、関連会社の役員などを歴任。複数のフェリー会社の立て直しにも手を貸した。
そんな経験と手腕が、水間鉄道の株を買い取ったグルメ杵屋に評価された。「水間鉄道は整理するしかない」と主張する債権者を説得。借金のほぼ全額を帳消しにしてもらい、会社更生法による一からの出直しに成功した。05年、事業管財人補佐になり、翌年に社長就任を無報酬で引き受けた。
経営効率化のためには古いシステムを見直す開発部門の強化が重要だった。だが、外部から専門家を招くと人件費が高くつく。関西さんは、長女でエンジニアの佳子さん(45)を誘った。
05年に入社した佳子さんは「スルッとKANSAIネットワーク」への参加を決めた実績などが認められ、父の後を継いで今年5月、社長に就任した。自動列車停止装置の導入、クリスマス列車や大みそかの深夜運行を発案。職員と一緒に駅前の放置自転車の撤去作業にも汗を流す。
当初は鉄道経営に興味がなく、2年間だけ手伝うつもりだった。だが、いつのまにか夢中になっていた。「迷ったり弱気になったりすると、『経営を安定させ、利益追求だけでなく沿線の文化を伝え育てる鉄道にしよう』という父の言葉を自分に言い聞かせる。まだ経営安定化が優先だけど、地域の良さを発信できる鉄道にしていくのが私の夢です」
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水間駅から歩いて約15分。渓流に架かる橋を渡ると、水間寺があった。708年、高僧行基(ぎょうき)が近くの滝で金の観音像を授かったのが起源と伝えられる。
水間地区には、行基が奈良の都から連れてきた僧たちの子孫とされる人たちがいる。「座中(ざなか)」と呼ばれ、この家々の男性は数え60歳になると得度して寺僧となり、水間寺を管理してきた。住職への権力集中を防ぎ、地域で寺を支える全国でも珍しい制度。いま、108歳を筆頭に58人の寺僧がいる。
かつて水間鉄道で通勤していた元高校教諭の山本昌治さん(62)も寺僧の一人。最近、鉄道再建の苦労話を人づてに聞いた。「鉄道も寺も厳しい時代になったけれど、この土地の良さは、寺僧制度を維持してきた人々の結びつきの強さ。その財産をもう一度見つめ、みんなで力を合わせていきたいですね」
(文・山内深紗子 写真・寺脇毅)
鉄ちゃんの聞きかじり〈最初期型の自動改札機〉
水間鉄道の貝塚駅と水間駅では、磁気乗車券に対応した最初期型の自動改札機が今も使われている。
この自動改札機は近鉄と立石電機(現オムロン)が共同開発し、1966(昭和41)年に近鉄大阪阿部野橋駅で試験導入。翌年3月に阪急北千里駅で営業運用が始まり、近畿の私鉄へ一気に広まった。関東で本格的に普及したのは90年代だ。
なぜ関西で導入が早かったのか?「新しもの好きと商魂たくましいところが研究に力を注いだ理由なのかもしれません」とオムロンの担当者。水間鉄道にある自動改札機は、80年ごろに南海電鉄が導入したものを89年に譲り受けた。オムロンによると、同社製の最初期型が現役で活躍しているのは全国でここだけ。性能は現在のものと変わらないが、ICカード対応の「PiTaPa(ピタパ)」導入に伴い、来年夏ごろまでに撤去される予定という。
探索コース
三ケ山口駅近くには、貝塚出身の江戸時代の天文学者、岩橋善兵衛ゆかりの品を展示する善兵衛ランドがあり、高性能の望遠鏡で天体観測も楽しめる。水間寺では1月2、3日、得度する前の座中の男性が餅をつく「水間千本搗(せんぼんづき)餅つき」がある。日曜には水間鉄道の車内に自転車を持ち込むことができる。電話(072・433・4709)で予約が必要。