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ぷらっと沿線紀行

想像力の「種」をまけ JR加古川線

2009年3月21日

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写真菜の花畑の脇を走る「目玉電車」。世界的に有名な画家、横尾忠則さんのデザインだ=兵庫県小野市写真加古川を渡る電車。右側の2両は横尾忠則さんがデザインした「銀河の旅」=兵庫県加古川市写真兵庫県立酒米試験地で、山田錦などの酒米を研究する職員=兵庫県加東市写真毎月第3日曜日に開かれる西脇市駅前の朝市。地元で取れた野菜や果物が並ぶ=兵庫県西脇市写真廃線になった鍛冶屋線の跡地は自転車道として整備された=兵庫県西脇市写真   フォトギャラリー

 カラフルな配色の中に、大きく見開いた黒い瞳がいくつも浮かぶ。人呼んで「目玉電車」。不気味な雰囲気を漂わせる2両編成の車体が、兵庫県南部の田園地帯を疾走する。

 「最初は子どもが怖がって泣いたと聞きました。でも、そういう体験が想像力を豊かにするんです」。デザインを手がけた世界的な画家、横尾忠則さん(72)は言う。沿線の西脇市出身だ。

 加古川線が04年に全線電化されたのを記念して、乗客増に協力してほしいと県知事から頼まれた。他にも「銀河の旅」「滝の音」「夜のY字路」の3種類の絵画電車がある。いずれも奇抜な印象を受けるが、「人を違う場所に運ぶ電車は、一種の異次元」という発想で描いたのだという。

 目玉電車内には今、子どものクレヨン画約20枚が中づり広告代わりにぶら下がっている。題材はその目玉電車。1日の乗客が約6千人という加古川線の利用低迷に悩む県が、07年から沿線風景をテーマに様々な作品を募集している。

 「僕の作品の中に、僕の作品を描いた子どもの作品がある。内と外がメビウスの輪のようにつながって面白いでしょう」

 横尾さんは高校卒業後、就職した加古川市の印刷会社まで加古川線を使って通勤。車窓には今と同じように田んぼが広がっていた。そこで作られる米には、日本酒を大きく変えたドラマがあった。

■実り 人あればこそ

 播州平野が広がる播磨国を地元の豪族が羽柴秀吉に明け渡したのは1580年のこと。ここで収穫された米は沿岸部の高砂から船で大阪へ運ばれた。1594年には、地元の豪農によって加古川の舟運が始まった。

 1913(大正2)年、加古川線の前身の播州鉄道が開通。加古川沿いに、現在の加古川市から小野市、加東市、西脇市、丹波市まで北上する48.5キロの線路が敷かれた。「これで、300年続いた舟運は一気に衰えました」と郷土史家の吉田省三(せいぞう)さん(75)。列車は舟運の時代と同じく米を運び、灘五郷向けの酒米も多く含まれていた。

   ◇

 28(昭和3)年、現在の加東市に県立酒米試験地が完成。初代研究員の藤川禎次(ていじ)は、播州平野の代表的な酒米「山田穂」を使って交配した新品種に着目した。質が良く、収穫量も多い。20キロ離れた試験田まで自転車で通い、栽培に没頭。36年に県の奨励品種に登録された。それが、今や最も有名な酒米になった「山田錦」だ。

 藤川は農家に栽培を説いて回った。しかし、戦況が悪化するにつれて酒米はぜいたく品とみなされ、食用米の生産が優先された。失意のうちに職場を去った藤川は終戦翌年の46年、病のため51歳で息を引き取った。加東市に住む次女の片山洋子さん(78)は「自分が一生懸命育てたものは何だったのかと、絶望に近い気持ちだったでしょう」と思いやる。

 その後、山田錦は徐々に生産量を伸ばしていくが、脚光を浴びたのは80年代。味を良くするため米の外側を大きく削って造る吟醸酒がブームになり、中心部分が壊れにくい山田錦が人気を集めた。

 近年では全国作付面積1位の酒米品種になり、うち8割近くが兵庫県で作られる。毎年5月の全国新酒鑑評会では、山田錦の使用比率が同程度の酒同士で競うルールになっているほど、品質への評価は高い。藤川はいつしか「山田錦の育ての親」とたたえられるようになった。

   ◇

 藤川がこの世を去ったころ、西脇市の田んぼで小魚取りに熱中していた横尾忠則少年は、絵を描くことも好きだった。地元を走る蒸気機関車も題材にしながら、画家への下地を磨いていた。

 酒を飲まない横尾さんが、初めて日本酒のラベルを描く仕事を引き受けたのは99年。「越後鶴亀」の銘柄で120年の歴史を持つ新潟県の上原酒造からの依頼だった。鶴、亀、杯、日の丸の絵に「ECHIGO TSURUKAME」の横文字を入れた斬新な図柄ができあがった。

 上原酒造は長らく北陸地方の米を使って酒を仕込んできたが、吟醸酒ブーム以降、高級酒には山田錦を使っている。「パンチがあって切れもある。大吟醸で質を保つには山田錦が必要」という。今年も、横尾さんが育った播州平野産の山田錦で新酒を仕込んでいる。

(文・清野貴幸 写真・西畑志朗)

鉄ちゃんの聞きかじり〈乗り換えは廃線の名残〉

 JR加古川駅から電車に乗って加古川線を北上すると、大半は途中の西脇市駅どまりで、ここから先は乗り換える必要がある。かつて、この駅から北西方面へ向かう支線、鍛冶屋(かじや)線があった名残だ。

 鍛冶屋線は加古川線が全線開通する1年前に営業を始め、兵庫県多可町(旧中町)までの約13キロ。途中の西脇駅が市中心部に位置していたことから、加古川発の列車の多くが鍛冶屋線に乗り入れていた。

 やがて鍛冶屋線の利用客が減ると、地元住民たちは鍛冶屋線の全駅名の頭文字を順に並べたミニ独立国「カナソ・ハイニノ」の設立を宣言し、存続運動を展開。だが願いはかなわず、90年に廃止された。

 加古川線では今でも、西脇市駅を境に利用客数の差が大きい。乗客の少ない北側は1両、通勤・通学客が多い南側は主に2〜4両編成で運行している。

探索コース

 兵庫県西脇市は経度と緯度で日本の中心に位置する「日本のへそ」を宣言している。JR加古川線の「日本へそ公園駅」を降りると、東経135度、北緯35度を示す標柱がある。地元出身画家・横尾忠則さんの作品を集めて市などが建てた岡之山美術館、日本へそ公園も近い。市中心部には播州織のオーダーシャツを作れる西脇情報未来館21がある。

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