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ぷらっと沿線紀行

帰ろう 私たちの故郷へ JR舞鶴線

2009年5月2日

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写真菜の花が咲く田園を特急列車が進む写真引き揚げ者を受け入れた舞鶴湾の入り江。復元された桟橋には、観光客や釣り人が訪れる写真明治時代に建てられ、海軍の武器を保管していた赤れんが倉庫=いずれも京都府舞鶴市地図   フォトギャラリー

 満員の列車に乗り込んだ大陸からの帰国者たちは、初めて安心感に包まれた。夢にまで見た故郷への出発点となったJR舞鶴線「東舞鶴駅」。今でこそ乗客の減少にあえぐ舞鶴線だが、かつては戦後の象徴「引き揚げ」の舞台だった。

 「引き揚げ船の中では、本当に日本に帰れるのか半信半疑でね。みんな不安そうだった。列車の中では、みんなにこやかな表情だったよ」。1947(昭和22)年冬、舞鶴港に下り立った京都市北区の安藤正信さん(82)はそう振り返る。技術者になろうと、14歳でふるさと鹿児島を出て、中国・旧満州に渡った。関東軍の少年兵となり、敗戦後、モンゴル・ウランバートルに2年間抑留された。

 舞鶴港は敗戦の45年から、旧満州や旧ソ連・シベリアから着の身着のままで引き揚げた600万人以上の人たちを迎えた18港の一つだ。北海道・函館、長崎・佐世保の両引揚(ひきあげ)援護局が廃止された50年以降は主要な引き揚げ港になり、58年までに計約66万人が上陸した。

 引揚記念公園がある丘からは、舞鶴湾の優美な入り江を背景に、帰国事務を引き受けた舞鶴地方引揚援護局の跡地が見渡せる。今はベニヤ板工場が立ち並ぶ。

 援護局と市街地を結ぶ船艇が行き来した市街地の桟橋では、引き揚げ者の歓喜の傍ら、兵士らの母や妻たちが「もしや、もしや……」と帰りを待ち続けていた。

■戦後の人生 ここが始発

 京都からJR山陰線の特急で日本海方面に向かうと、約1時間で京都府北部の都市、綾部に着く。綾部からそれまでの進行方向とは逆に進みだし、乗客を少しあわてさせる。ここから舞鶴線に分岐するためだ。

   ◇

 昨年8月、元シベリア抑留者の80〜90代の男性4人が、特別な思いを秘めて舞鶴線に乗った。30年前、引揚(ひきあげ)記念公園に建てられた慰霊碑のもとに埋めたタイムカプセルの開封式に出席するためだ。一辺約60センチの立方体の銅製カプセルには、シベリアで亡くなった人たちの位牌(いはい)や引き揚げ者の手記などが納められていた。

 4人は半世紀余り前、東舞鶴駅から十数年ぶりの故郷を目指した。「極寒の中、強制労働で多くの仲間たちが死んでいった。舞鶴は人生の再出発の場所です」。1953(昭和28)年、旧ソ連・ハバロフスクから生還した神奈川県相模原市の渋谷清さん(86)は開封式の後そう語り、涙ぐんだ。

 舞鶴市東部は、旧海軍とともに発展したまちだ。歴史をひもとけば、日本の近代化と戦争、復興の軌跡が浮かび上がる。

 帝政ロシアとの関係が急速に悪化した1901(明治34)年、舞鶴東港に海軍の舞鶴鎮守府が開庁。03年春、京阪神から兵員、軍需物資を輸送するため舞鶴線の建設が始まった。日露戦争の開戦(04年2月)に少し遅れて、同年秋に開通。わずか1年半の突貫工事の様子は、「各工区の請負人は競争の態度を以(もっ)て昼夜の別なく専心一意工を急げり」と、鉄道院(旧国鉄の前身)の記録に残る。

 それまで2週間かかっていた阪神地区からの輸送が約6時間に短縮された。鉄路は、敗戦の45(昭和20)年まで軍港を支え続けた。

     ◇

 戦後、引き揚げ者ばかりでなく、約1万6千人分の遺骨もまた、列車にのって遺族のもとに戻った。舞鶴線の歴史に詳しい元国鉄マンの田中實さん(65)は「若いころ、戦争に負けても鉄道は動いていたと先輩から聞き、強く心に残っている。鉄道が再び戦争とかかわらないよう切に願う」と話す。

 岸壁の母や妻が立った桟橋から、東舞鶴駅まで約1キロ。戦後の生活が一段落すると、舞鶴市民は駅に向かう引き揚げ者に茶やふかし芋などを振る舞い、駅で手を振って引き揚げ者を見送った。NPO法人「舞鶴・引揚語りの会」の豊田信明理事(66)は「市民は帰国者を勇気づけた。市にとって、引き揚げは胸をはって後世に伝えるべき歴史なのです」と語る。

 当時を知る東舞鶴駅舎は96年に取り壊された。鉄道愛好家らでつくる「北近畿鉄道友の会」は、かつての同駅の模型を作り、支線の廃線跡を歩くイベントを開く。

 「日本の近現代史とともに歩んだ舞鶴線の歴史を伝えていくのも、鉄道好きの私たちの使命だと思っています」。事務局長の嵯峨根八郎さん(66)はそう言い切った。

(文・岩井建樹 写真・筋野健太)

鉄ちゃんの聞きかじり〈軍港の面影今も〉

 軍港だった舞鶴市はいま、「自衛隊の街」だ。海上自衛官を養成する舞鶴教育隊には今春、18〜27歳の自衛官の卵119人が入隊。4、5カ月間の厳しい訓練を受けた後、東舞鶴駅から配属先へと向かう。

 舞鶴線には、軍港だったころの名残があちこちで見られる。開通時のれんが造りのトンネルや橋梁(きょうりょう)はいまも「現役」だ。海軍の武器庫だった国の重要文化財「赤れんが倉庫群」では2、3日に鉄道模型などを楽しむイベントが開かれる。

 舞鶴線は車社会の到来とともに衰えた。支線の舞鶴港線、海軍施設への引き込み線だった中舞鶴線は85年までに廃止。舞鶴線の電化は京都府内で最も遅い99年だった。

 中舞鶴線跡地に残るれんが造りの「北吸トンネル」は国の登録有形文化財。終点の中舞鶴駅跡には、かつて舞鶴線を走った蒸気機関車が展示されている。

探索コース

 当時、「岸壁の母」が立った桟橋は五条海岸にあり、東舞鶴駅から徒歩約10分。案内板には、舞鶴湾を眺める母子3人の姿が。そこからタクシーで十数分の舞鶴引揚記念館(0773・68・0836)には、全国の引き揚げ者らが寄付した当時の写真や衣類、日用品など約900点が展示されている。大人300円、小学生〜大学生150円。

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