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ぷらっと沿線紀行

駆け抜けた 列車も人も JR米原駅

2009年7月25日

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写真JR米原駅に停車する新幹線は日中、上り下りとも1時間に2本程度。通過列車が全速力で走り抜けていく写真再開発が進む駅前の更地にポツンと立つおでん屋「想い出」写真保存を求める署名が集められたラッセル車写真SLの動輪をまつっていると言い伝えられる「大神宮」。林の中にひっそりと立つ写真風洞技術センターに保存されている新幹線の高速試験車両=いずれも滋賀県米原市で地図   フォトギャラリー

 蒸気機関車(SL)の動輪をまつっている、と言い伝えられる祠(ほこら)がある。宮司は「ご神体のことは話せない」と言うが、鉄道員らはそう信じて疑わない。

 JR米原駅(滋賀県米原市)から東へ徒歩10分の山のふもと。祠の名は「大神宮(だいじんぐう)」という。かつて旧国鉄・米原機関区にあった。SLの機関士らは、運行の無事や安全への願いを込めて帽子を取り、祠に頭を下げた。合理化などに伴い機関区は86年に廃止された。翌年、鉄道員らは資金を出しあい、約500万円かけて大神宮を移転した。「米原機関区の伝統の証しを残しておきたかった」。元機関助士の池野馨さん(73)は話す。

 駅ができたのは1889(明治22)年。東海道線と北陸線が交わり、SLが頻繁に出入りする米原は「煙でスズメまでも黒い」と言われた。現在、新幹線、在来線あわせて1日2万人以上が利用するが、滞留人口は少なく、街に昔の活気はない。

 「鉄道のまち」の思い出をこの地に刻みたい。市民らが6月、昭和の時代に活躍し、駅近くに野ざらしになっている除雪用のラッセル車「キ555」号の保存を求め、市に880人分の署名を出した。財政難の市から色よい返事はない。往時の米原を知る角田(すみだ)八重子さん(71)も署名集めに奔走した。街に汽笛が鳴りやまなかったころ、彼女は駅構内を煤(すす)だらけになって走り回っていた。

■鉄道員の灯は消えない

 1950年代初頭。JR米原駅前にあった和菓子屋「四季軒」の娘、角田八重子さん(71)の仕事は走ることだった。

 「7号売店に最中(もなか)3箱」

 「1号売店、まんじゅう2箱」

 駅の売店から電話が鳴るたび、食堂やカフェ、旅館が立ち並ぶ繁華街を抜け、ホームに続く階段を駆け上がった。「忙しかった。目を閉じると、今でも駅前やホームのにぎわいが浮かんできます」

 ホームでは駅弁を売る「井筒屋」の立ち売りが声をからしていた。その一人、上林(かんばやし)利一さん(84)は戦後、半世紀にわたってホームに立ち続けた。列車が着くと「重(じゅう)」と呼ばれる箱に10個ほどの駅弁を入れて売り歩く。あちこちの車窓から弁当を求められ、動き出した列車を追って走った。「弁当を手渡すほんの一瞬やけど、いろんな人との交わりがあった」

 今、駅に2人の後継者はいない。「四季軒」は10年ほど前に店を閉じた。上林さんは12年前に引退。戦前、20人以上いたという駅弁の売り子は、上林さんを最後に途絶えた。

     ◇

 親子2代の「国鉄一家」は当たり前、機関区など鉄道施設で働く人は一時2千人を数えたという米原の活況は、55年ごろから陰りが見え始めた。鉄道輸送の主役が電気機関車に移ると、乗務員が減少。SLは姿を消し、機関区も廃止になった。

 かつて商店などが軒を連ねた駅前は、広大な更地になっている。ショッピングセンター、マンション、病院……。滋賀県内唯一の新幹線停車駅にふさわしい駅前にしようと、米原町(当時)は01年度から区画整理事業に着手。対象の38.6ヘクタールから170軒余りが移転した。土地の活用策は、民間のプロポーザル(提案)方式で決める予定だったが、世界的な経済危機のあおりを受け、計画は白紙のままだ。

 夕闇が迫る午後5時過ぎ。更地にぽつねんと残る1軒のおでん屋に灯がともる。店の名は「想(おも)い出」。約20平方メートルの小さな店は52年に開業した。「いつの間にか最後になってしまったんですよ」と、亡き母の後を継いで20年前から店を切り盛りする川口すみ代(「すみ」はさんずいへんに是=すみよ)さん(66)。「国鉄さん」の憩いの場だったこの店も7月末に閉まる。

     ◇

 SLから新幹線へ。時代は変わるが、米原駅は今も鉄路を守る重要な役割を担っている。

 JR東海・米原保線所が受け持つ岐阜県大垣市―滋賀県野洲市(68.5キロ)の「関ケ原地区」は、東海道新幹線の一番の雪の難所だ。64年の開業以降、新幹線は雪に泣かされてきた。76年度には635本が運休した。

 だが、除雪用のラッセル車の改良や回転ブラシで雪を巻き上げて吸い込むロータリーブラシ車の導入などで、94年度以降、雪による新幹線の運休は一度もない。

 保線を担うのは、米原常駐のJR社員42人。「鉄道のまち」の誇りを引き継いでいる。

(文・八百板一平 写真・南部泰博)

鉄ちゃんの聞きかじり〈先駆者たちに会える〉

 JR米原駅の貨物ヤード跡地に建つ鉄道総合技術研究所の風洞技術センター。高速鉄道の騒音や空気抵抗のメカニズムなどを調べる世界最高水準の風洞実験施設を備える。新幹線の技術開発に貢献したJR3社の高速試験車両も保存。JR東日本のSTAR21、JR東海の300X、JR西日本のWIN350の先頭車両だ。

 300Xは、騒音や振動を抑えた新幹線の高速化を目指して95年に米原―京都間で本格的な試運転を開始。その試験結果は、低騒音のパンタグラフや揺れを抑える油圧装置などの開発につながり、東海道・山陽新幹線を走る主力車両700系に生かされている。

 高速試験車両は米原市のイベントなどにあわせて一般に公開されている。公開時には車両内部も見学でき、運転席に座って運転士気分を味わうこともできる。

探索コース

 江戸時代、米原は北国街道の宿場町として、琵琶湖の内湖を使った水運の拠点として栄えた。JR米原駅から東へ徒歩約10分の山のふもとには、枯山水の庭園で知られる南北朝時代創建の青岸寺(せいがんじ)がある。車で10分ほど走れば、劇作家長谷川伸の戯曲「瞼(まぶた)の母」の主人公・番場の忠太郎の故郷とされた中山道の番場宿や、忠太郎地蔵がある蓮華寺(れんげじ)がある。

 ◆「ぷらっと沿線紀行」は8月中、休載します。

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