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ぷらっと沿線紀行

その道 千金の輝き 近鉄奈良線

2009年9月5日

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写真奈良側から新生駒トンネルを抜け、石切駅を過ぎると、車窓の外には街のあかりが宝石のように輝く=大阪府東大阪市写真石切駅近くから見える大阪の光景=大阪府東大阪市写真大阪と奈良の府県境を貫く新生駒トンネル。なにわの街と古都を結ぶ電車がすれ違う写真近鉄奈良線に乗り入れる阪神の1000系(右)と9000系車両=阪神電鉄提供地図   フォトギャラリー

 車窓から見える大阪の夜景に息をのんだ。白、赤、黄……。きらめく星空を見下ろしているみたい。仕事帰りらしい男性が顔を上げて、窓の外を見つめていた。

 大阪難波駅から快速急行で約20分。絶好の夜景スポットが、生駒山(標高642メートル)を上る途中の石切駅(大阪府東大阪市)手前にある。先頭車両と最後尾の10両目の高低差は7メートルと、かなりの急傾斜だ。線路沿いのホテルセイリュウ支配人、坂本順一さん(52)は「毎日、クリスマスのイルミネーションを見ているようです」。

 石切駅を経て暗闇の新生駒トンネルへ。このトンネルが近鉄のドル箱・奈良線を支えている。JRは生駒山の南と北を迂回(うかい)するが、中腹をトンネルで貫く近鉄奈良線は、大阪と奈良を一直線で結ぶ。近鉄全294駅の乗降人数ベスト15のうち、9駅は大阪難波―近鉄奈良間にある。

 今のトンネルは2代目。先代トンネルは1914(大正3)年に開通した。建設を決めたのは、近鉄の母体となる大阪電気軌道を設立した一人、岩下清周(1857〜1928)。事業費は資本金の約2倍と見積もられた。しかし、岩下はこう周囲を説得したという。「最初にうんと金をかけて完全なものを建設せねばならぬ」

 社運をかけたトンネルは、後の近鉄に発展をもたらした。しかし、岩下にとっては思いもよらぬ苦難の道へとつながっていく。

■暗転 されど我が人生

 大阪電気軌道(大軌)は大阪と奈良を結ぶため、1910(明治43)年秋に設立された。その年の暮れ、トンネルではなく生駒山の北側を迂回(うかい)するルートに決め、国の許可も得た。ところが、取締役で北浜銀行頭取だった岩下清周がひっくり返した。

 迂回ルートは約1時間半、トンネルなら1時間以内。「岩下は、いかに工事費が高くなろうとも、将来の鉄道はスピードが生命だと考えていた」。岩下の半生を描いた「世評正しからず」の著者、海原(かいばら)卓さんはこう記す。

 岩下は長野県出身。三井銀行大阪支店長として関西に。独立して、大阪で北浜銀行を設立。人物本位で利益にこだわらず支援した。そのなかには、トヨタグループの基礎をつくった豊田佐吉や森永製菓の創業者・森永太一郎もいた。箕面有馬電気軌道(現・阪急阪神ホールディングス)には、三井銀行時の部下を専務として送り込んだ。後に阪急グループ創始者となる小林一三(いちぞう)だ。

    ◇

 全長3388メートルの初代・生駒トンネルは、軌道幅の広い「広軌」の複線としては当時日本一の長さ。地質学者の竹村恵二・京都大教授(57)は昨秋、トンネルの中に入った。軟弱な土と硬い岩の層が複雑に入り組む。「実際に掘ってみないとどれだけ崩れるのかわからない。難工事だったろう」

 着工2年目の13年、崩落事故が発生。153人生き埋め、死者19人という大惨事となった。翌年4月、ようやく開通。しかし、建設費は予算を大きく超えた。資金繰りに苦しみ、社員の給料は宝山寺(奈良県生駒市)からさい銭を借りて支払ったという。

 「さい銭を入れた袋をてんびん棒でかついで運んだそうだ」。生駒駅近くで菓子店を営む坂上清さん(73)は、技師としてトンネル建設にかかわった祖父から聞いた話を今でも覚えている。

 資金難が、当時大軌社長だった岩下を追い詰めた。「無謀なトンネル工事で集めた資金を北浜銀行に流用している」などと糾弾され、北浜銀行は取り付け騒ぎを起こす。頭取だった岩下は後に背任罪などで起訴され、懲役3年の判決を受け、23年に服役した。

    ◇

 奈良線は生駒駅周辺など沿線の宅地開発が進むにつれて、利用客が急増した。64年には車両の大型化に伴い、現在の新生駒トンネルを掘削した。80年には10両編成の車両を導入。関西の私鉄では奈良線が初めてだった。

 大阪の経営史に詳しい関西学院大大学院の宮本又郎教授は岩下の功績について、「彼がいたからこそ、近鉄や阪急、大林組など大阪を代表する企業が育ち、大阪経済が発展した」と話す。

 ゆかりの経済人らが執筆した「岩下清周伝」によると、有志が岩下の銅像を生駒山の山頂に建設しようとしたことがあった。隠遁(いんとん)生活を送っていた岩下は断ったという。

(文・長崎緑子 写真・森井英二郎) 

鉄ちゃんの聞きかじり〈急坂対策 ブレーキ強化〉

 近鉄と阪神電鉄が相互に乗り入れる阪神なんば線(尼崎―大阪難波)が3月に開業し、阪神の1000系と9000系車両が近鉄奈良線を走るようになった。主に平野部で運行されてきた阪神の電車には、生駒山の急な坂を安全に下るため、自動車のエンジンブレーキに相当する「抑速ブレーキ」が新たに導入された。

 生駒の坂は1キロで33メートル高くなる33パーミル前後の傾斜が約3キロ続く。「生駒の下り坂は、抑速ブレーキをうまく使わないとスムーズに運転できません」と、運転士の指導にあたる近鉄の片岡伸浩・運輸課主査(48)。抑速ブレーキの設定は時速72キロ、60キロ、53キロの3段階あり、車両数や乗客数、天候を考慮して切り替えて、速度を一定に保つ。阪神なんば線の桜川駅(大阪市浪速区)で近鉄、阪神の乗務員が交代し、自社区間の運行を担う。

探索コース

 枚岡(ひらおか)駅(大阪府東大阪市)近くの枚岡神社は日本最古の神社の一つ。8世紀に春日大社(奈良市)へ分祀(ぶんし)したとされ、元春日とよばれる。参道から登山道を3〜4キロ歩くと、生駒山上や大阪府の整備した「府民の森」。いずれも東大阪市の瓢箪山駅や石切駅からも3〜5キロの登山道がある。車で信貴(しぎ)生駒スカイラインから高台に行くこともできる。

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