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ぷらっと沿線紀行

青い世界からの伝言 JR紀勢線・岩代駅

2009年9月12日

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写真岩代駅を通過した特急列車は夏の余韻を残す浜辺を通り過ぎていった=和歌山県みなべ町写真子どもたちが見守る中、懸命に産卵するアカウミガメ(6秒露光)=7月下旬、和歌山県みなべ町写真紀勢線の代名詞、特急「くろしお」=和歌山県みなべ町地図   フォトギャラリー

 「人間のいない地球」の風景を求めて、大阪・天王寺から特急くろしおに乗った。JR紀勢線・御坊駅(和歌山県御坊市)で各駅停車に乗り換え、さらに30分。線路の右手に急に海が開けた。岸壁の上に、岩代駅(同県みなべ町)がある。シンガー・ソングライター谷山浩子さんの「テングサの歌」の舞台だ。ホームへ降りると、歌詞にも出てくる木製の古いベンチがぽつんと置かれていた。

 34年前、20歳の谷山さんは三重県志摩市でコンサートを聞いた後、紀勢線経由で大阪まで旅をした。途中、岩代駅近くの民宿に泊まり、翌朝、梅林を抜けて駅へ。ベンチの上にある紫色のモジャモジャした物が目に留まった。駅員は「なんで、こんなところにテングサが……」。片づける姿を見ながら、即興で歌を作った。

 ♪あたしテングサ 海から採れた 海の生まれは退屈知らずよ

 「汽車の時間に汽車が来ないの」という歌詞も浮かび、一瞬、考えた。「日本の鉄道事情ではあり得ないなあ。じゃあ、人類が滅亡したことにしちゃおう」。こうしてシュールな歌詞ができた。

 駅はその後、85年に無人化された。今、停車は1時間に1、2本。降りる人もまばらだ。静かなホームで、歌を口ずさんでみた。「人間のいない地球って気持ちのいいものね」。眼下に広がる海では、人間ではなく、ウミガメが絶滅の危機に瀕(ひん)していた。

■あと1℃ 瀬戸際の浜

 アカウミガメの産卵がピークを迎えた7月。和歌山県みなべ町の千里の浜では、地元の青年たちが、毎晩見回りを続けていた。その一人、永井良和さん(29)は「寝不足はしんどいけど、カメが来る砂浜を子や孫の代まで守りたい」。砂浜の足跡から、上陸や産卵の頭数を数えて記録する。

 「上がってきたで」

 無線連絡を受け、NPO法人日本ウミガメ協議会=大阪府枚方市=の松沢慶将(よしまさ)主任研究員(40)が駆けつけた。甲羅の長さが80センチほどの大きなカメは、草の生え際に深さ50〜60センチの巣穴を掘り、卵を産み始めていた。眼からは涙がポロポロ。苦しいのではなく、体内の塩分を涙で排出しているのだ。

 南北に1.3キロの浜は、本州で随一の産卵地。松沢さんは「こんなにも自然が手つかずで残っているところは他にない」。産卵に際し、カメが最も嫌うのは光だ。ここでは、浜の樹木が近くの民家のあかりを遮っている。唯一、北側の岸壁を紀勢線の列車が光の帯となってよぎる。そのときだけ、カメは歩みを止める。

 産卵は91年の300回をピークに、98年には29回まで減った。持ち直して、今年は169回。だが、ウミガメは卵が孵化(ふか)する時の温度で雌雄が決まる。あと1度上がれば、メスばかりになるという。「まさに絶滅の瀬戸際です」

   ◇

 岩代―南部(みなべ)間は熊野古道が唯一、海辺を走る区間でもある。鉄道は古道に沿って1931(昭和6)年に南部まで通じた。「海が押し寄せて来る」「山が走るよ」。試乗した児童は当時、その速さに大喜びしたという。「ほんでも、1本逃すと2時間待つから、当時は線路の上をよく歩いたもんだ」と熊野古道の案内人、山本賢(まさる)さん(81)は回想する。

 60年代、みなべ町にはリゾート開発の話が盛んに持ちかけられた。だが、千里の浜を守ろうという人々の願いで64年、県の「名勝・天然記念物」に指定され、開発は止まった。

   ◇

 いや、浜を守ったのは特産の梅だ、という説もある。町の生産農業所得は県平均の2.3倍(05年現在)。裕福だから、観光やリゾートに惑わされずにすんだ、というのだ。昭和の初め、戦火の拡大につれ、梅林は拡張した。戦場での食中毒防止に、梅干しが軍需物資として重宝されたからだ。供出には貨物列車が使われた。

 今、岩代駅の北には約30ヘクタールの梅林が広がる。3代続く梅農家の松川哲朗さん(51)は梅干し造りの真っ最中。雨が多かったこの夏は例年より長く、1週間ほどハウスの中で干したという。

 最近のヒット作は完熟梅。梅酒にすると強い甘みが出る。宅配便で消費者に直送し、着いたころを見計らって電話を入れる。「傷みやすいから、すぐに漬けて」

 輸送方法が列車からトラックに変わっても、梅を扱う、細やかな農家の心遣いは変わらない。

(文・阿久沢悦子 写真・日吉健吾)

鉄ちゃんの聞きかじり〈黒潮が似合うのは紀勢線〉

 紀勢線を走る特急「くろしお」。その名は戦前に大阪―白浜口(現白浜)間を走ったリゾート列車「黒潮号」に由来する。1933年、鉄道省(当時)が私鉄の阪和電気鉄道(当時)と異例の共同運行を開始。34年には南海鉄道(当時)も加わり、天王寺と白浜を約3時間で結んだ。37年、戦時体制の拡大に伴い廃止された。

 特急「くろしお」は65年3月、紀勢線経由で天王寺―名古屋間で運行を開始。当時、黒潮の名は、太平洋岸の路線でモテモテだった。すでに四国で急行「黒潮」、房総半島で準急「くろしお」が走っていた。まぎらわしいため、同年10月、四国を「南風」、房総を「外房」と改称。「くろしお」は晴れて、紀勢線の代名詞となった。

 岩代駅の隣の南部駅には現在、1日に上下合わせて21本の特急が停車。3月の観梅期には増発される。

探索コース

 岩代駅の東を通る熊野古道を2.8キロ南に下ると、千里の浜がひらける。北端に千里王子社と千里観音があり、なだらかな砂浜が続く。駅の西に15分歩くと石碑「岩代の結び松」。7世紀、有間皇子が謀反の罪を着せられて白浜に護送される途中で、松の枝を引き結んで歌を詠んだ場所だ。その北には約2万本を栽培する岩代大梅林がある。

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