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ぷらっと沿線紀行

いま 生きている 広島電鉄

2010年2月6日

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写真柔らかな日差しが包み込む「被爆電車」の中で、赤ちゃんと触れあう母親の姿があった=広島市写真広島電鉄本社内にある車庫では、「被爆電車」の652号が入念に点検を受けていた=広島市中区写真夕日が原爆ドームの向こうに沈む頃、最新型車両「グリーンムーバー max」が横切った=広島市中区写真「被爆電車」の運転台にあるレバーには、「651」と車体番号が刻印されていた=広島市中区地図   フォトギャラリー

 正午過ぎ。窓から車両内に柔らかな陽光が差し込む。窓の枠や足元の床は木製。まるで懐かしい校舎の中にいるようだ。

 広島市内を走る路面電車の広島電鉄。前面に「652」の車両番号が見える。広電で運行する電車は計126編成あるが、650番台の車両は2両しかない。もう一つは「651」だ。いずれも車体は緑色とクリーム色の2色で、1942(昭和17)年に製造された。原爆の投下に耐えたこの2両は「被爆電車」と呼ばれる。

 45年8月6日。藤井照子さん(81)=広島県福山市=は、650形より小さい路面電車を運転していた。43年に開校した広島電鉄家政女学校の1期生で17歳だった。戦時中に出征した男たちに代わり、同女学校の生徒が車掌や運転士を務めていた。

 午前8時15分、旧国鉄広島駅の電停を発車しようとした時だった。ラッシュ時の応援のために移動中で、乗客はいなかった。

 斜め前から青白い光が差し込んだかと思うと、辺りが暗くなった。手探りで歩くと、床を踏み外した。床板は爆風で吹き上げられていた。「お母さん」。思わず叫んだ。周りの建物や木はすべて倒れていた。

 原爆で同女学校の生徒30人、教師1人が亡くなった。運転中、命を落とした生徒もいた。命は助かったが、藤井さんも右手にやけどを負った。女学校は45年秋に廃校となる。開校からわずか2年半後だった。

■少女たちの叫びが聞こえる

 広島電鉄家政女学校は、爆心地の南約2キロにあった。1943年4月。第1期生の72人が門をくぐった。主に、広島や島根の農山村の少女たちだった。

 藤井さんの実家は広島県東部にある神石高原町の兼業農家だった。9人きょうだいの末っ子。募集要項の「運転を手伝えばミシンやタイプライターも教えてくれる」という言葉にひかれた。

 全寮制で、入学すると紺色の乗務服が支給された。それを着て繁華街の写真館で撮影してもらうのが、ささやかな楽しみだった。

 国語や数学のほか、電車の運行について授業を受けた。1年ほど車掌の仕事をした後、運転を任された。「最初は緊張で足が震えたけど、慣れたら運転の方が楽しかった」。原爆投下後、藤井さんは故郷に戻った。

   ◇

 路面電車は被害が少なかった宮島線変電所の送電を受け、3日後には一部で運行を再開。「復興のシンボル」と呼ばれた。家政女学校が廃校となった後は、復員してきた男性たちが再び広電の運転士を務めるようになった。

 河野弘さん(84)も復員後、49年から広電の運転士になった。10年ほど前、家政女学校を題材にした一人芝居を見た。戦時中に女学生が運転していたことを初めて知り、衝撃を受けた。

 受付にいた人に藤井さんを紹介された。「電車内で亡くなった人の悲しみ、叫びを思って、元気でいるうちに供養をするのが、私たちの責任だと思う」。藤井さんは静かにそう語った。

 広島電鉄の本社内には、原爆で亡くなった生徒と教師の慰霊碑がある。家政女学校の卒業生は毎年命日にお参りに訪れる。河野さんの呼びかけで、2003年8月6日、広電のOBら約70人が慰霊碑に手を合わせた。

 河野さんは家政女学校の物語を一冊の本にしたいと考えている。「女性たちも年をとってきた。戦時中に路面電車を支えていた事実を風化させたくない」と話す。

     ◇

 「動く交通博物館」。広電はこう呼ばれる。大阪、神戸、京都などで廃止された車両がそのままの姿で走る。一日の路面電車の利用者数は約11万人で全国一だ。

 「被爆電車」の650形は5両が造られた。現役の2両以外の3両のうち1両は06年のダイヤ改定後、広島市交通科学館で展示されている。別の1両は車庫で保管され、残る1両は廃車となった。

 被爆電車が古株とすれば、新顔の代表はグリーンムーバーmax。国産の超低床車両で、車いすでも楽に乗り込める。

 路面電車を地域活性化に生かす試みも盛んだ。NPO「地域商業を考える会」は電車を借り切り、講演会などの催しを開いている。代表の白井龍彦さん(58)は言う。「戦争や渋滞を経てなお残った路面電車には物語がある。そこから文化を発信したい」

(文・田中 京子 写真・高橋 正徳)

鉄ちゃんの聞きかじり〈ハノーバー寄贈の80歳〉

 広島市では、被爆電車の650形よりさらに古い80歳を超えた車両が現役で走っている。238の番号をつけた200形、通称ハノーバー電車だ。

 1928年に製造され、第2次世界大戦をくぐりぬけたという。88年、広島市が姉妹都市のドイツ・ハノーバー市へ組み立て式の茶室を贈った時、お礼に寄贈された。緑色の屋根に大きなパンタグラフがつき、クリーム色の車体の赤いラインがしゃれている。

 普通のチンチン電車は車輪が八つあるのに、これは四つしかない。カーブや交差点では、がたごととよく揺れる。エアコンがなく、窓は開かないので夏場は運行しない。11月〜3月の日・祝日のみ走っている。

 レトロな雰囲気を生かして年末には、クリスマス電車として市内を走る。広島電鉄職員がサンタクロースに変装し、イブの日は子どもにお菓子を贈る。

探索コース

 広島駅から宮島の玄関口まではJRで約30分、広島電鉄で約1時間。ゆっくり旅を楽しむだいご味は路面電車ならでは。沿線には原爆ドーム、旧広島市民球場など見どころが多い。電車一日乗車券(大人600円)や、広島電鉄全線と宮島への汽船、ロープウエーがセットになった宮島フリーパス(大人2千円)を買えば、何度でも乗り降りできる。

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