なんぼほど食べはるんやろ……=大阪市北区の奴寿司
にいちゃん、なんぼ? いっせんまんえん!=大阪市内
ブティックやデパートに並んでいるこ洒落(じゃれ)た服や小物は、値段やサイズなどを記したタグが見えないように陳列されている。カリスマ販売員のミホちゃんに理由を訊(たず)ねると、商品をきれいに見せるため、客が商品を触るようにして接客のきっかけをつくるため、と教えてくれた。ショッピングがストレス解消法の私は、気にいったものは真っ先にタグを手にとって値段をチェックする。たとえ買わなくても、だ。その行為は、ミホちゃんに言わせれば、「大阪の血やな」ということになる。
では、関西人以外の人は値札を見ないのか、というと、もちろんそんなはずはない。しかし、たとえば東京人の値札の見方は「値段なんか気にしていないんだけれど」というふうに、しごくさりげないのだ。それに比べて、大阪人は高級バッグのポケットに納められているカードの中からでも値札を取り出し、「たッかーッ。いっちょ前の値段つけてるやないの」と、店員さんを笑わせて買っていくのだ。
友人の礼ちゃんは、結婚してからも大阪の実家のお父さんにお小遣いをねだっている。欲しいものがあるとき、お母さんとさんざん長話したあと、普段はめったに話すことのないお父さんを電話口に呼び出してもらう。最初の頃はいそいそと娘からの電話に出ていたお父さんであったが段々(だんだん)無愛想になり、ある日、開口一番聞いたのである。
「なんぼや」
さすがに礼ちゃんが口ごもると、お父さんは言ったとか。
「わしかて忙しいねん。で、なんぼや。なんぼ欲しいねん」
以来、父と娘の会話は「なんぼや」「これだけ振り込んで」で終わるようになったという。可哀想なお父さん。でも、いらちで合理的で、現実的な大阪人の血液を採ると、「それで早い話がなんぼやねん」ウイルスが発見されるという話もある。
なんぼは、もちろんお金の額だけを言うわけではない。昔は「おばちゃん、お味噌(みそ)貸して」「なんぼほどいるのん?」といった会話はよく交わされていて、いくらとか、どの程度とか数量を表す副詞だ。てっきり関西の方言とばかり思っていたが、調べてみると、北海道や東北、北陸、中国、四国など広い範囲で使われているとあった。
それでも関西弁の印象が強いのは、金にシビアで「なんぼ?」を連発しているという大阪人のイメージのせいであろう。ちなみに私が好きななんぼの用法は、「なんぼのもんや」である。「東京? ニューヨーク? それがなんぼのもんや」と言ってのける心意気。無謀でもアホでも、大きなものに立ち向かっていく姿をカッコいいと刷り込まれてしまった人種を関西人と呼ぶのである。嘆息。
(文・島崎今日子〈ライター〉 写真・酒井羊一)
○まけさせたら価値あり
「ナスなんぼ? はい、200万円」「おおきに。20万円のおつり」
大阪のどこかの店で聞いた会話に、関東人の私はいたく感動した。「おいくら?」なら定価しか返ってこないが、「なんぼ?」だと違う。漫才が始まる……気がする。
現代日本語方言大辞典(明治書院)では、数量を「いくつ」、値段を「いくら」と使い分ける地域は関東など。「なんぼ」でどちらにも通じるのは関西から中国、東北と広い。
とは言え、さまざまな感情をこめて「なんぼ」を使うのは関西ならでは。「なんぼと聞けば、1200円やけど千円にまけとくわという返事を期待している」というのが、大阪の伝統野菜を守る活動をする「阿倍野研究家」難波りんごさんの見立てだ。さらに解説してもらうと――。
「このマフラー、なんぼやった?」→値段に見合う物か見極めようとする。「笑わせてなんぼ」→笑わせることが評価になる。
難波さんに言わせれば「大阪人は数字の多い少ないだけで判断しない。価値があるかを評価する自分のセンサーを持っている」。使いこなしてなんぼ、の言葉である。(河合真美江)
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