白玉はおわんに一つ。小豆は高級品の「丹波大納言」を使っている。口直しは塩昆布=大阪市中央区の夫婦善哉、伊藤恵里奈撮影
絵・グレゴリ青山
桂雀々さん
大阪・ミナミのど真ん中。石畳が敷かれ、しっとりと落ち着いた雰囲気の法善寺横丁の一角、水掛不動尊のすぐそばに、1883(明治16)年開店の甘味処「夫婦善哉」がある。
メニューは800円の善哉のみ。1人前をわざわざ2杯のおわんに分けて出す。
有名にしたのは、1940年に発表された織田作之助の「夫婦善哉」だ。こんなくだりがある。父親から勘当された甲斐性(かいしょう)なしの柳吉(りゅうきち)が善哉をすすりながら、「一杯山盛にするより、ちょっとずつ二杯にする方が沢山(ぎょうさん)はいってるように見えるやろ、そこをうまいこと考えよったのや」と説明する。すると芸者上がりでしっかり者の蝶子(ちょうこ)がつっこむ。「一人より女夫(めおと)の方が良えいうことでっしゃろ」
森繁久弥と淡島千景の主演で55年に映画化。同名のラジオやテレビのトーク番組は、ミヤコ蝶々、南都雄二が司会をし、「夫婦で一緒に食べると円満になる」といわれた。
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6月初旬、熊本県の川野英隆さん(73)と睦子さん(71)が店を訪れた。数十年前に映画を見て以来、寄り添って生きる柳吉・蝶子にあやかりたいと、いつか2人で来たいと思っていた。英隆さんは元自衛官で、睦子さんとともに全国各地に転勤。ここ10年以上は自宅で両親を介護し、そしてみとった。親類の病気見舞いで大阪を訪れることになり、立ち寄ることができた。
睦子さんは「来年は金婚式。自分の足で歩けるうちに、来られてよかった。この思い出を糧に、けんかしいしい、いつまでも仲良く過ごしたい」と話す。
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初代の店は1944年、強制疎開で閉店。経営者は何度か代わり、1964年には、「和食さと」などを展開する「サトレストランシステムズ」(本社・堺市)の先代社長が買い取った。近くですし屋を営んでいて閉店の危機を知り、「なにわの文化的遺産が消えてしまうのは忍びない」と考えたという。店のブランドを守りきるのが社の方針。支店は出さない。
現在のスタッフ小田嶋和枝さん(48)は、帰る客に「ありがとうございました」ではなく、「お幸せに」と声をかけて送り出す。結納後に、毎年の結婚記念日に、カップルが顔を見せる。店内でプロポーズしたという2人が結婚の報告に来てくれたこともあった。
知らない客同士が会話を弾ませる光景を取材中何度も見た。カップルは仲が良くても険悪でも、あるいはひとりで来ても、ほのかに甘い善哉は、ほんわか笑顔にさせてしまう和やかさがあると思った。(高島靖賢)
■推薦
落語家 桂雀々さん
苦労人の母 思い出の味
「夫婦(めおと)善哉(ぜんざい)」を初めて食べたのは、小学1年のとき、ミナミのたばこ屋で働いていた母を手伝いに行った帰りでした。母に怒られるようなことをしてしまったあとで、落ち込んでいました。善哉は何とも言えん甘さで、「うまいもんやな、これ」とほんとうに感動したことをよく覚えてます。同じような感動をしたのは、やはり小学生で初めてマクドナルドのハンバーガーを食べたときくらいしかありません。
でも、それから食べる機会はなくて、再び訪れたのは一昨年、仕事の関係ででした。控えめで上品な甘さは子どものときと変わらずおいしく、心と体に染み渡りました。以来月1回ぐらい通っています。食べると、疲れていても自然と顔がほころびます。
父はギャンブル好きで借金だらけでした。母は1日にいくつも仕事を掛け持ちして、塾にも行かせてくれた。自分のために苦労してくれたと思います。でも、父に愛想を尽かし、わたしが小6のときに蒸発しました。そんな母が連れて行ってくれた店なので、余計に思い入れがあるかもしれません。
<略歴> 60年、大阪市生まれ。著書に「必死のパッチ」(幻冬舎)。