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【京阪電車のテレビカー】時代遅れの「昭和」に揺られ

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写真京阪電車のテレビカー。地デジにも対応しているが、姿を消すことに写真車体に記されたテレビカーの表示写真導入まもない昭和30年代のテレビカー車内。通路も補助イスでぎっしり埋まっている=京阪電鉄提供イラスト絵・グレゴリ青山

 飛び乗った特急。席に座り一息。かすかに聞こえてきた。「心と体をリフレッシュ!」。ほどなくピアノの音色。朝9時25分、NHK「テレビ体操」の時間だ。見上げた画面の中で、女性の体が軽やかに揺れる。車内に流れる「ユルい」空気。だがまわりの客はテレビに目もくれず、携帯でメールにふけったりしている。――そもそもなんで「電車にテレビ」なんだ?

   ◇

 「うちはカーブだらけ。時間も距離も長くて分が悪い」。鉄道事業部技術課の西野信一さん(61)は苦笑いする。地図で線路を見れば一目瞭然(りょうぜん)だ。大阪から京都へ、JRはシュッと直線が続き、脇を阪急が寄りそう。京阪は2本のはるか南を独自のリズムでクネクネ。「長い旅を快適にする何かが必要だった」

 その「何か」がテレビカーだった。スタートはテレビ放送開始翌年の1954年夏。ひと足早く導入した東京の京成電鉄は十数年しか続かなかったが、京阪は半世紀以上、並々ならぬ投資と努力をつぎ込んできた。

 画像の安定のため当初は車掌がアンテナを手動で生駒山方向に向けた。その後、複数のアンテナからよい画像を自動で選ぶ方式に。沿線に高い建物が建って受信が困難になると、BS受信システムを搭載。地上デジタルにもばっちり対応させた。

 チャンネルは基本的にNHKだが、客の強い要望があれば民放に変えた。力道山、ロイヤルウエディング、東京五輪――。京都市北区の会社員鈴木康夫さん(59)は、あの頃の熱気を覚えている。月1回日曜日にお宮参りで向かう大阪。プロレスと野球が好きだった父はきまってテレビカーに陣取った。「テレビ自体が珍しかった時代だから、そりゃ衝撃でした」。人気が高く、1車両に20席の折りたたみイスが積み込まれた。

 だが、テレビの普及に加え、近年は携帯ゲーム機や携帯電話も登場。そしてワンセグ。誰にも気兼ねせず、見たい番組を手元で見られる。テレビカーは存在感を失っていった。

   ◇

 今年実施した車内の視聴状況調査の結果は散々だった。テレビに目を向けない人は実に8〜9割。テレビカーと「同い年」の木谷重延・技術課長補佐(55)は「ここまでとは思わなかった」と肩を落とす。地デジ完全移行の2011年度までにテレビは姿を消すことになった。

 鈴木さんは言う。「僕だっていつもテレビカーを選んで乗るわけやない。けど、京阪は変なところにこだわってきた電車やから。なんか寂しいね」

 「愛すべき時代遅れ」とでも言おうか。「昭和の残り香」がまた一つ、消える。(宮崎園子)

■推薦

フリーアナウンサー 羽川英樹さん

客本位 ようがんばった 

 今春出した著書「関西ぶらり列車旅」は黄色い表紙に赤い帯をつけました。まさに京阪特急。沿線で育った私にとって特別な存在です。テレビカーや2階建て車両に特急料金なしで乗れる。このサービス精神が関西ならでは。「お客さんのため」。商いの原点です。こんなにぜいたくなのに、鉄道ファンが選ぶ「ブルーリボン賞」をもらっていない。レコード大賞を逃した大ヒット曲みたい。

 局アナ時代、六地蔵(京都市)から天満橋まで通勤していました。今は中書島でも乗り換えできますが、帰りの特急は当時、京橋から七条までノンストップ。テレビが見たくて、運賃を余分に払ってテレビカーに「三角乗車」していました。

 停車駅が増えた今、15〜20分で降りる人が大半。そんな短いとテレビを必要としないやろね。テレビの創世期から頑張ってくれたテレビカーがなくなるのは残念やけど、時代の流れとちゃいますか。京阪さん、次なる「遺産」をぜひ、作ってください。「マッサージカー」なんてどうですか。

 〈略歴〉 53年京都市出身。77年読売テレビ入社、93年フリーに。ラジオ、テレビで活躍中。

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