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【力餅食堂】まちまち それも味わい

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写真懐かしい風情の力餅食堂。この店の「カレーらめん(ラーメン)」は客の発案。「うどんもそばも中華そばも、全部手打ちです」=大阪市西成区玉出西、小玉重隆撮影写真力餅食堂ののれん=大阪市西成区、小玉重隆撮影イラスト絵・グレゴリ青山写真井上理津子さん

 神戸・水道筋、大阪・天五中崎通……。私の関西生活、いつも身近に「力餅(ちからもち)」があった。うどんや丼物を出す、あの大衆食堂。そろって軒先に杵(きね)が交差したロゴ入りのれんがゆらり、陳列棚におはぎがずらり。しかし、好物のカレーうどん一つとっても、ある店はどろどろ細めん、別の店はシャバシャバ太めん。カツオだしとカレーの香りのバランスは微妙に違い、値段もまちまち。だけど、おはぎの包み紙だけはなぜか一緒……。

 なぜ力餅と呼ぶの? 本当にチェーン店? 謎は深まるばかり。そんな中、力餅の店舗の特徴や外観写真など情報満載のサイトを発見。管理人を訪ねた。

   ◇

 大阪の高校に勤める50歳の男の先生。30代の頃、ボリューム満点のうどん付きコロッケ定食にひかれ、堺市内の勤務先そばの力餅の店に通い詰めた経験を持つ。「スポーツ新聞やテレビがあって職人気質のご主人と元気なおかみがいて。そんな落ち着く店、減ってしもたやん」

 先生が店でもらった「力餅連合会100年のあゆみ」によると、始まりは1889年に但馬地方で故・池口力造氏が開いた饅頭(まんじゅう)店。京都で饅頭を餅に変えて成功し、大阪・神戸で多店舗化。甘党中心だったが、大正末期に献立にめん類、丼物を追加――。なるほど、それであの屋号とおはぎか! 力餅の最大の特徴は、「8年以上働いて信頼を得たら独立できる」というのれん分け制度。開店時には組合が資金援助し、親方が花輪を届け、応援に駆けつける。

 先生が通った堺・一条通の店も、前田五十六さん(66)、伸子さん(58)夫婦がそうやって1973年に開いた。今、造りや煮物など栄養たっぷりの500円弁当が高校の教職員に人気だ。「客に喜んでもらえたらうれしい」。そんな奮闘を、夫婦が修業した大阪・玉出の店の親方中嶋順介さん(85)も優しく見守る。自身も新世界などで修業し、新聞紙にくるんだ金を貸してもらって開いた店は創業約50年。調理場は息子に任せたが、毎朝のおはぎ作りは続ける。「体に染みついているからね」

   ◇

 大阪力餅組合長の小幡俊郎さん(72)によると、最盛期180あった店は今では100ほど。「若い人にはしんどいの受けへんのかなあ。どこも後継者不足よ」。だが、自分の腕とのれんへの誇りは健在だ。「他がどうやってるか知らんから、やりたいことができる。あちこち違うと、それもおもろいやろ」

 合理化や均一化が当たり前の「逆風」の中で、連帯と自由裁量のバランスで刻んできた121年もの歴史。こんなん、東京にあったかなあ。(宮崎園子)

■推薦

フリーライター 井上理津子さん

入るとホッ 街なじめた

 1982年から10年ほど住んだ大阪・十三の店に週3回ペースで通いました。保育園のお迎えの帰り、お母さん仲間と「小腹も空いたし食べて帰りましょ」と。テーブルに引っかけるタイプの携帯用ベビーチェアを持ち歩いていたんですけど、店の奥さん、何も言わずにいつもそれをすっと広げてくれました。何げない気遣いがうれしくて。

 うどんも丼も、いわゆる「基礎」なものは全部そろってるけど私はいつも木の葉丼。ベタな街でベタなもん食べて。「ネーティブ」じゃなくても、子育てしながら「この街に根付いてんでー」って、その空気感がほっとしたんです。当時からご高齢のご夫婦。しばらくして店がなくなったと知りました。

 1月末、取材で行った京都で、古い店構えの力餅に入りました。相変わらず木の葉丼を食べました。

 食事って、満たしたいのは、おなかだけではないですからね。どんな空気で食べるかだと思う。力餅の味はごくごく平凡だけど、「味ではなくて味わい」。普通がゆえの安心感がいいんです。

 〈略歴〉 奈良県出身。タウン誌記者を経てフリーライター。著書に「大阪下町酒場列伝」など。

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